鬼の花嫁

炭田おと

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69_逮捕されました

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 京月の大通りには、蕎麦屋、享楽きょうらくという店がある。

 近くで橋の工事が行われていることもあり、安さが売りのその店は、今日も人足にんそく達で賑わっていた。


 私は享楽の向かいにある甘味処の椅子に座って、享楽に出入りする人達や、店先で楽しそうに笑っている人足達の見つめていた。


 ――――浪健長老に鐘達の情報を聞くと、鐘達と思われる男が、何度か享楽という店を訪れていた、という目撃情報を教えてくれた。


 ――――だけど、鐘達は現れなかった。


 吐きそうになりながら何度も蕎麦をお代わりしたり、甘味処でお茶を何杯も飲んで粘ってみたけれど、目的の人物が現れる気配はない。


(・・・・当り前よね。鬼峻隊や刑門部がまだ鐘達を見つけられていないのに、私が簡単に見つけられるはずがない)


 あまり長居しても、怪しまれる。わかっていても、私は立ち去れずにいた。

(・・・・そろそろ、頃合いだ)

 空が赤みを帯び、日暮れを教えられても私は動けず、日が暮れてようやく、私は御政堂に戻る決心がついた。


 収穫が何もなかったことに落ち込みつつ、立ち上がり、御政堂に向かって歩き出そうとしたところで、誰かが私の前に立ち塞がる。


「もう帰るのか?」


 ――――冷え切った声に、ぎくりと肩が強ばった。


 顔を上げて、血が凍り付く。


「鬼久頭代・・・・」


 めったに笑わない鬼久頭代が、私に微笑みかけてくれていた。


 ――――もちろん、この状況で鬼久頭代の顔に浮かんでいるのが、友好的な笑みであるはずがなく、私は金縛りにあったように、動けなくなっていた。





 ――――そうして私は、浪健長老の屋敷に連行された。

「浪健長老」

 私を連れて、玄関の三和土に踏み込むなり、鬼久頭代は出迎えてくれた浪健長老の前に、私を押し出した。

「長老が俺に守るように言ったのは、この容疑者で間違いないでしょうか」

「容疑者!? ついに私は、容疑者扱いになったんですか!?」

 害のない不審者どころか、ついには容疑者扱いに至り、私の声は裏返っていた。

「お、おう、やす――――御嶌さん。ご無事でなにより」

 浪健長老は引き攣った笑顔を浮かべている。

「と、とにかく、玄関で話すのもなんだから、中にお入りくだ――――いや、中に入ろう。さ、こっちへ」


 浪健長老は私達を、庭に面した座敷に通してくれた。そこで向かい合って、お互いに一息つく。


「・・・・状況を説明してください、浪健長老」


 私は、浪健長老を睨みつける。浪健長老の目は蝶のように宙を泳ぎ、視線が絡むことはなかった。

 ここに来るまでの間、私が何を聞いても、鬼久頭代は答えてくれなかった。だけど、この状況から、すでに答えは見えている。

「先に俺の質問に答えてください、長老」

 私が答えを聞く前に、鬼久頭代が膝を前に進める。

「なぜあなたが、御嶌に協力しているんですか? 御嶌は、何者なんです?」

「それは、その・・・・」

 眼光で威圧され、浪健長老は委縮して、首を竦める。まるで首がなくなったように、身体が萎んでしまっていた。私には聞かず、浪健長老に聞いたのは、私が口を割らないと見越してのことだろう。

「彼女は、私の友人の娘なのだ。まあ、それ以上は聞かないでくれ」

 鬼久頭代の追及に、私は焦ったけれど、浪健長老は私の正体には触れないでいてくれた。

 浪健長老にはあらかじめ、今、私が御嶌逸禾と名乗り、身分を偽っていることを伝え、誰かに私のことを聞かれても、私の正体については黙っていてくださいと、頼んである。

 長老の口の堅さで、私の秘密を守り通してくれる、はず。


 ――――だけど、鬼久頭代は揺るがなかった。


「それで、御嶌は何者なんです?」

「だからそれは――――」

「長老、今すぐ白状してください」

「・・・・・・・・」

(あ、これ、暴露するのも時間の問題かも・・・・)

 蛇に睨まれた蛙のように、少しずつ小さくなっていく浪健長老を見て、私は、嶺長老なら黙ってくれている、という安心感が崩壊していくのを感じた。

(お願い、耐えきって、浪健長老!)

 鬼久頭代の強固な姿勢と睨みは、もはや凶器だ。この目で犯罪者と戦ってきたのだと、あらためて思い知る。私と浪健長老は、取り調べを受けている容疑者の心地を味わっていた。

「――――浪健長老」

「それは・・・・その・・・・」

「・・・・・・・・」

「は、腹は減っておらぬか? 饅頭でも持ってこさせよう」

(なんとか耐えきった! )

 浪健長老は話題を明後日の方向にもっていくことで、なんとか尋問を凌いでいた。

「・・・・長老がその態度を貫くなら、御嶌は容疑者として、屯所に連れて行くしかありません」

「どうして容疑者なんですか!? 私の罪状は・・・・!」

「不正に情報を入手し、捜査を妨害した罪だ」

「い、いや、それはまずい! 彼女を、そんな目には遭わせられない!」

「・・・・ご自分が何をしたのか、きちんと理解されていらっしゃらないようですね、浪健長老」

 鬼久頭代の低い声から、隠しきれない怒りを感じて、ハッとする。

「俺が到着する前に、御嶌が鐘達を見つけていたら? 御嶌の尾行に、鐘達が気づいた場合を、想定しないのは愚かです。・・・・ご友人の娘を、危険に晒すおつもりだったんですか?」

「そ、それは・・・・」

 鬼久頭代がこんなに怒ったのを見たのは、はじめてかもしれない。静かな怒りだけれど、静かだからこそ、気迫を感じた。

「あ、あの・・・・これは私が無理に頼み込んだことなので、浪健長老をそれ以上責めないでください・・・・」

 浪健長老が責められているのを見て、申し訳なく思って口を挟むと、今度は私が、鬼久頭代の鋭い視線で射抜かれることになった。

「鐘達のことは、鬼峻隊に任せろと言ったはずだ」

「ああ、そうだ! 鬼峻隊と一緒に行動すればいいのではないか!?」

 いい思い付きだと思ったのか、浪健長老の目は、輝いていた。それが一度私が提案して、鬼久頭代に断られた方法などとは、思いもしなかったらしい。

 沈黙が流れて、浪健長老は微妙な空気に気づいたようだ。

「あ・・・・あ、その・・・・」

 浪健長老の笑顔は萎んでしまう。

「とにかく、御嶌を捜査に同行させることはできません」

「・・・・私が、弱いからですか?」

「鬼と人間では、身体の頑丈さが違う。鬼の俺達からすると、人間は壊れやすくて扱いにくい」

 確かに鬼の身体は、人間の身体よりも何倍も頑丈だ。彼らは高い場所から落ちても、たとえがれきの下敷きになっても、死ぬことはない。

「だから、おぬしが側にいてやれば大丈夫だろう」

「それでは戦いのときに、支障が出ます。守りながらの戦いでは、敵を逃がす恐れがある」

「私の鬼道なら、敵の動きを封じることができます。鐘達が逃げようとすれば、私が鬼道で動きを止めてみせます!」

 鬼久頭代の鋭い視線に射抜かれながらも、必死に訴える。


「・・・・だったら、こういうのはどうだろうか」


 束の間沈黙していた浪健長老が、会話に入ってきた。


「――――まずは、彼女に力を示す場を与えたらどうだろう?」


 浪健長老の言葉に、鬼久頭代が顔を顰めたのは、言うまでもない。


「・・・・一体、何を言い出すんですか?」

「私からもお願いします、鬼久頭代」

 畳みかけるため、私も言葉を重ねる。

「私は確かに、鬼久頭代のような腕力も脚力も、頑丈な身体も持っていません。ですが鬼道の力は、状況と使い方によっては、それらに対抗できる可能性を秘めています。私に、機会をください。私でも役に立てることがあることを、証明したいんです」

 私は顔を上げ、真っ直ぐ鬼久頭代を見据えた。

「証明か・・・・ああ、そうだ」

 浪健長老がなにかを思いついたようだった。


「彼女に、一仕事してもらうのはどうだろう?」


「・・・・一仕事?」

 鬼久頭代は嫌な予感を抱いたのか、威圧的な睨みで、浪健長老を黙らせようとしていた。一方浪健長老は、視線に気づかないふりをしている。

「あなたに、護衛の仕事を頼みたいと思う」

「私に?」

「ああ、ここにいる、鬼久頭代の護衛をな」

 長老は流れるように腕を動かして、鬼久頭代に手の平を向けた。

(護衛・・・・? )

 見張った目で、鬼久頭代の横顔を見つめる。鬼久頭代は、苦虫を噛み潰したような顔になっていた。

「鬼久頭代は今、護衛が必要な状況なんでしょうか?」

「そうなんだ。燿茜が鬼久家の頭代を務めていることは、もうあなたも知っていると思うが、それに異を唱えている鬼がいる。だからあなたに、彼の護衛を頼みたい」

「・・・・浪健長老」

「何も言うな、燿茜。おぬしには護衛が必要なんだ。・・・・引き受けてもらえるかな?」

「はい! もちろんです!」

 私は勢いよく、畳に手をついて、頭を下げた。

「よろしくお願いします!」


「・・・・浪健長老。――――お話があります」


 鬼久頭代は私に、ではなく、浪健長老ににっこりと笑いかけた。


「あ、ああ・・・・」

 浪健長老は、鬼久頭代の不自然なほどにこやかな笑顔とは裏腹に、彼の両肩から放たれる、湯気のような怒気を見て、我に返ったのだろうか、顔面が蒼白になっていた。

「だが、今は話の途中だし、後で・・・・」

「今すぐ、話し合わなければならないことです」

 動こうとしない浪健長老の襟首をつかんで、鬼久頭代は彼を廊下に引きずり出し、襖を閉めた。

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