鬼の花嫁

炭田おと

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38_やり過ごせたと思っていたのに・・・

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 御政堂は厳戒態勢になっていて、御政門も固く閉じられていたけれど、久宮隊長のおかげで、なんとか私は御政堂の中に戻ることができた。

「送っていただいて、ありがとうございます」

 久宮隊長に、深く頭を下げる。

「いいんだよ。・・・・俺もちょっとの間だけ、仕事をサボれたし」

 それから、久宮隊長は溜息を吐き出した。

「・・・・これからみんなに聞き込みして、町中をまわって不審者がいないかと目を光らせ、犯人の手がかりがつかめなかったら、過去の怪しい奴の名簿から、一つ一つ当たっていかなきゃならない・・・・絶対、眠れないな。今から考えただけで、目眩がしそう」

「ご、ご苦労様です・・・・」

 大きな事件が起こってしまったら、鬼峻隊の隊士も、刑門部省の武官も、眠らずに捜査をしなければならないのだろう。眠れずに走りまわらなければならないなんて、気の毒で、かける言葉が見つからなかった。

「何か手伝えることがあればいいんですが・・・・」

「手伝えること?」

 久宮隊長は、ばっと顔を上げた。

「それじゃ、暇な時でいいから屯所に遊びに来てよ」

「遊びに?」

「可愛い子が応援に来てくれると、やる気が出てくるからさ」

「は、はい・・・・それで、お役に立てるのなら」

 戸惑いながら、視線を動かす。

 御政堂の前にたむろしている女中の中に、千代の姿を見つけて、私はあっと声を上げた。


「千代?」


 千代のほうも私に気づいて、手で何か、合図を送ってくる。

「知り合い?」

「は、はい」

「そっか、じゃ、俺は屯所に戻るね。また今度」

 久宮隊長が御政門の外に出るまで見送って、私は急いで千代に駆け寄った。


「穏葉様、今日は、木蔦の宮にお戻りください!」


 千代は口を開けるなり、そう言った。

「今は、まだ戻れないよ。桜女中の詰め所に戻らないと・・・・」

「そんなことを言ってる場合ではありません!」

 千代の剣幕に、私は面食らった。

「・・・・どうしたの?」


「刑門部の者が、刑門部卿が穏葉様に面会を希望しているという伝言を、伝えに参ったのです」


「今から?」

 ぎょっとして、声が裏返ってしまっていた。

「はい。今からです」

「・・・・・・・・」

 恋人関係でもない男が、夜に女の宮を訪ねるなんて、非常識だ。

 梅の廓は閉じられた場所で、人目を避けることは難しい。噂が命取りとなることを諒影はよく知っているから、今まで夜に、会いに来たことはなかった。

(もしかして、あの時目が合ってしまったから?)

 鬼久頭代が隠してくれたから、やり過ごせたと思っていた。――――まさか、わざわざ木蔦の宮にまで、確かめに来るなんて。

「諒影はもう来てるの?」

「いえ、今日は忙しかったようで、まだ来ておりません。ですが来ると言った以上、必ず訪ねてくるでしょう」

「・・・・・・・・」

「あの方は、穏葉様の顔や声を知っています。・・・・だからお戻りください。桜女中取締には、私から説明しておきます」

 私が不在の時、いつも愛弥が私の振りをしてくれていた。御簾越しの面会だから、今まではそれでなんとかなっていたけれど、諒影は私の声を知っているから、その方法が通用しない。

「・・・・わかった」

 私は千代に手を引っ張られ、走り出す。

 私は後ろ髪を引かれる思いだったけど、千代に手を引かれ、梅の廓のほうへ歩きだした。





 木蔦の宮は、忘れられたように、梅の廓の隅にひっそりとある。

 忘れられた姫君が住む宮を、訪れる者はとても少ない。特に夜ともなれば、木蔦の宮の門を出入りする人間は一人もいなくなる。


 だけど、その日だけは違った。刑門武官の恰好をした男が、木蔦の宮の敷地内に入ってくる。

 私は窓から、入ってくる諒影の姿を見ていた。諒影はいつものように、二人の部下を引き連れている。千代が門のそばで、諒影を出迎える。


「ようこそいらっしゃいました、刑門部卿」

「穏葉様は、まだ起きておられるか?」

「ええ。ですが今日は体調が優れず、伏せっていらっしゃいます。なので、申し訳ありませんが――――」

「少し話をするだけだ」

 諒影は強引に木蔦の宮に近づいてきた。

 私は溜息を零して、御簾を下ろす。

 そうすれば、諒影からは私の姿は見えないはずだ。


「失礼します、穏葉様」


 諒影が中に入ってきて、正面に座ったようだった。御簾を通してみているので、私のほうからも、諒影の姿は、ぼんやりとしか見えない。


「久しぶりに、しかもこんな夜分に会いに来たことを、お許しください。なにぶん、忙しかったものですから」

 先々代の、御主の末息子なのだから、諒影は、本来なら私に敬語を使う必要はないはずだった。

 でも諒影はなぜか、私だけじゃなく、同格であるはずの張乾御主のご子息達にも、低姿勢で接している。まるで部下のように振舞っているのだ。私が敬語を使わなくていいと言っても、決してその態度を崩そうとはしなかった。

「気にしないで。あなたが忙しいことはわかってる」

 久しぶりの再会に、私は気まずさを感じていた。

 幼い頃は、諒影のことを兄のように思っていた。

 だけど、年頃になったせいなのか、それとも父上が亡くなったからなのか、諒影が会いに来る回数は減った。

 長い付き合いなのに、心を許してもらっていると感じたことは、一度もない。いつも――――今でも、諒影が、私に近づきすぎないようにしている気配を感じていた。

 先代御主の娘である私は、今は梅の廓の腫れ物だ。だから誰もが表面上は頭を下げていても、私と関わり合いになることを避けている。


 ――――諒影も、その一人なのだろうと思っていた。


 だけど今、思い返してみると、不思議なところもある。

 諒影は私に距離を置いて接してくるけど、完全に離れていくこともない。京月にいるときはたまに会いにくるし、遠征から戻ってきたときは、必ず手土産を持ってくる、かいがいしさだった。

 近づこうとすれば遠ざかって、こちらが引けば近づいてくる。――――まるで波のような人だと思う。だから私も、どう接すればいいのかわからない。


「ところで、今日は何のようで、こんな夜更けにきたの?」

「・・・・・・・」

 不意に、諒影は押し黙ってしまった。

「どうしたの?」


「失礼します」


 諒影がさっと近づいてきて、御簾をめくった。

 私は驚いて、下がろうとしたけど、その前に顎をつかまれてしまう。


 ほんの一瞬、お互いの息が顔にかかるような距離で見つめあうことになって、呼吸だけじゃなく、心臓まで止まってしまいそうだった。


「刑門部卿! 何をなさっているのです!」

 中に戻ってきた千代が、慌てて諒影を後ろに下がらせた。

「失礼しました」

 諒影はあっさり引き下がって、また膝をついた。

「な、なにを・・・・」

 鼓動が激しくなって、声が声にならない。心臓が止まってしまいそうな勢いだった。

「こんなこと、あってはならないことですよ、刑門部卿!」

「申し訳ありません。・・・・でもこれも、理由あってのこと」

「理由? どのような理由ですか?」

 千代はかなり怒っていた。私を抱きしめるような恰好で、諒影を睨みつけている。


「・・・・・・実は先ほど、大奥で、穏葉様にそっくりの女中を見かけたのです」


「・・・・・・!」

 また、呼吸が止まってしまった。諒影は伏せていた顔を上げて、探るように私を見る。

「目の錯覚と思い、その時は流しましたが・・・・まさかと思ったので、穏葉様のお顔を確かめさせてもらった次第です。なにせ、お顔を見たのは、もうずいぶん前のことなので」

 最近は、御簾越しにしか、話をしていない。だからお互いの顔を見たのは、ずいぶん前のことだ。


(・・・・私の顔を覚えてたの?)


 もう何年も、顔を合わせていなかったのに、諒影が私の顔を覚えていたことに驚いていた。


「そのようなこと・・・・ありえるはずがないでしょう!」

 千代も動揺を静めようとしていたけれど、少し声が上擦っている。

「ええ、そうですね。気のせいだったようです・・・・まさか、穏葉様が女中の恰好をして、宮中を歩くなど・・・・ありえないことですよね」

「・・・・・・・」

 諒影の、冷笑にも見える微笑を見ていると、彼の真意がどこにあるのかわからなくなる。――――考えが読めないことに、恐怖を感じていた。


「このような真似は二度となさらないでください!」

 千代は持ち上げられていた御簾を元に戻した。

 諒影の姿が、また影にしか見えなくなる。


「帰って、諒影」

「・・・・・・」

 諒影はすっと立ち上がって、扉のほうに動いた。


「・・・・穏葉様。今、御政堂で問題が起こり、京月は非常に不安定な状況に置かれています。――――くれぐれも、軽率な真似はなさりませんように」


「・・・・・・・」

 諒影はそれだけ言って、木蔦の宮を出ていった。

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