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なくなった
しおりを挟む小学校に上がる前から内気な子供だった。
エネルギッシュな同年代の子とは明らかに違っていて、いつも絵本を読んでいた。
それが性に合っていたのだと思う。
だがそのせいで、いじめられた。
小学校四年生の時までは、なんとか保健室登校が出来た。
だが、中学校に上がる頃には殆ど登校拒否のような有様だった。
そんな弟を面倒がるように、父は母と離婚した。
母は仕事第一の人間で、その日の内に帰らないことなど、ザラにあった。しかし、自分たちが愛されているというのは分かった、根拠は無いが。
そんな折、いつものように家で弟とテレビゲームをして、母を待っていた時だった。
「や、や、や、嫌々イヤイヤ、がっこ、学校、いきたくないい、ぁぁぃあ。」
目を剥いて弟を宥める。
「大丈夫だ!落ち着け!」
「あは、あははは、いき、いきたくない、い、いい、嫌々イヤイヤ、いやだぁ。」
今まで自己主張すらまともにしているところを見てこなかったので、この発作には驚愕した。
このとき人生で初めて救急車を呼ぶのを躊躇しなかった。
駆けつけた救急隊員も、愕然としていた。
すぐさま母に連絡が行き、病院に受け入れ要請が入った。
が、精神疾患で急を要する症状はないだのなんだの言われ、弟は明け方まで病院をたらい回しされた。
母も飛んで来て、弟に寄り添ったが、どこで息を吐いているかわからない無機質な叫びは留まるところを知らなかった。
この時、救急隊員に「まだなんですか!」などと噛みついていたのを覚えているが、それは、詮無い話であった。
実はその日、母が弟にきつく当たっていたのだ。
それは、二階の部屋にも、簡単に届いた。
どうして学校に行かないの、どうしていじめられるの、どうして私ばっかり…。
身もふたもない話であったが、その日弟は何も言わずに学校に行き、なにもいわずに帰ってきた。
そして、あの発作である。
横の母を見る。
戦々恐々としていて、何かを懺悔しているかのような、後悔と焦燥の入り混じった表情だ。
明け方四時、ようやく国立病院の小児科が受け入れてくれた。
数時間に及び、無機質な、それでいて悲しい叫びを聞いていた母などは、疲弊して受付も簡単に済ませ、待合室で完全に突っ伏してしまった。
そして、五分して、唐突に言われた。
「あの子1人くらい、養えるわよね…。」
なんのことか分からなかった。
「貯金もあるし、それくらい…。」
話の輪郭が、ぼんやりとだが、現れていく。そして、
「決めた。あの子だけは私が動けなくなるまで養う。」
暗にお前は養えないと言われた。そのことがショックでもあり、期待ととり、嬉しくもあった。
しばらく、具体的には1時間ほどして、弟の部屋に通された。
白衣の男性がグリップボードになにか書き込みながら「非常に悪い状態です。」
と言った。
母はカルチャーショックを受けたようで、胸を押さえてへたり込んだ。
「アスペルガー症候群に、スペクトラム心身症、どちらも慢性です。ストレス性胃潰瘍を併発していますし、うつ病の疑いもあります。現在は精神安定剤を投与していますので、大丈夫ですが、定期通院と薬による治療が必要ですね。それと、一週間ほどは入院です。」
母はただ俯いていた。言葉の意味を噛み締めているかのようだった。
次の日から母は五日間休暇を取り、弟につきっきりだった。
その間、弟は何をされても頷くだけで、何も喋らなかった。
喋りたくないのだろうと、ある種放置していたが、一週間後そうでないことを知る。
帰路につくまでも、弟は母の質問に何も答えなかった。
母は、これから弟は学校に行かなくて良い事、自分が働けなくなるまで弟を養う事を伝えた。
弟は、その間ですら無言で表情を崩す事は無かった。
次の日、土曜日。
留守番をしていて、ゲームに勝っても負けても全く喋らない弟に痺れを切らし、ついに声を荒げた。
「なんで喋らないんだよ?」
弟は一瞬ビクッと怯えたように肩を竦め、それから、涙をぽろぽろ流した。
泡を食って謝るが、弟は首を振った。
涙をぽろぽろ流して、首を振り続けた。
その時、なにかがストンと腑に落ちた。
「お前…喋らないのか…?」
弟は目を真っ赤に腫らし、俯いてしまった。それは、婉曲に肯定を語っていた。
母が帰って来たので、その旨を伝えると、母は両手で顔を覆い、膝から崩れた。
そして、ごめんね、ごめんね、と謝り続けた。
弟はそんな母にしがみついて、ただ首を振っていた。
月曜日、精神科を尋ねると、医師からうつ病の心配は無いと言われ、さらに喋れなくなるというおかしな現象についても説明がなされた。
「弟さんは、ご自分の発作時に記憶があると言っています。つまり、精神が落ち着いた時、自身の良心の呵責に耐えられなかったのでしょう。声帯には何も異常がなかった事はCTで分かっているので、恐らく本人の気持ち次第です。
お母様、お兄ちゃん、焦らないであげて下さい。
精神疾患というものは全快するのに年単位での時間がかかります。
薬は調合しておきますので、朝昼晩食後必ず服用してください。
それと、無理に学校には…。」
「ええ、もう学校には行かせません。」
母はひたと医者を見据え、肯定した。
それは、揺るがぬ意思を物語っていた。
春、決して楽では無い筈の生活の中、母は高校に行かせてくれた。
とても、とても、感謝している。
弟はもっぱら部屋で何かを書いていた。
高卒で就職するのを決めたのも、その頃だ。弟の為に、人生を棒に振ると、綺麗事でもそう決意した。
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