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21. その花の名は
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美術館も兼ねている広い店内には、色とりどりのガラス細工が煌びやかに飾られていた。
「きゃあ、可愛い! お兄様、こっち、見て見て」
入店した途端、カトレアの歓声が上がった。レオナルド殿下の腕を取り、自分の興味のある方に引っ張っていく。
そんな2人を尻目に、私は静かに1人店内を見て回った。警備上、この時間は私達だけの貸し切りにしてくれたので、心ゆくまで堪能できる。
優美な曲線を描く花瓶に、細密な装飾が施された香水瓶。様々な形のグラスや器はもちろんのこと、果ては工芸品という名の、作り手の表現力を疑う置物までーー
「あら、これは……」
綺麗にディスプレイされた棚の3段目、小柄なピンクの子犬と目が合う。
こてんと、不思議そうに首を傾けているその様子が、まるでカトレアのようで愛らしかった。
「何かお気に召したものがありましたか?」
「え?」
突然、背後から声を掛けられて驚いた。ジョセフ様が私の肩越しに手元を覗き込んでくる。
「気に入ったと申しますか……この子犬の置物が可愛らしいなと思いまして。ほら、この首を傾げた感じとか、どこかカトレアに似ていると思いませんか?」
「ああ、確かに! 可愛らしいですね。淡いピンク色ってところがまた、何というかカトレア嬢らしいです」
「ふふ、仰る通りですわ」
「ーーそうだ、どうかその、それを私にプレゼントさせて下さい」
「えっ!」
いい思い付きだとばかりにその表情は得意気だけど。私は、ジョセフ様の思わぬ申し出に動揺した。
だって、このピンクの子犬はーー
「そ、そんなの申し訳ありませんわ。お気を遣って頂かなくてもーー」
「いえいえ、ぜひお願いします。今日の記念にしたいので!」
「いえ、あの、でも、ちょっ……」
爽やかに笑って、必死に押し留める私の声に全く耳を貸さず、ジョセフ様は問答無用で置物を鷲掴んだ。
「ちょっとお待ちになってーー」
走り去っていくその肩が意気揚々と弾んでいる。突然のことになす術もなく、私はその後ろ姿を見送ることしか出来なかった。
「ど、どうしよう……」
だってあの子犬は、レオナルド殿下がカトレアにプレゼントするはずだったのにーー
不測の事態の成り行きに、頭の中が真っ白だ。
あれ程順調だったのに、これでは明らかにゲームの筋が変わってしまう!
意味もなくキョロキョロと辺りを見遣って、状況を把握しようと試みる。
「……?」
爽やかな水色の光の中で煌めく何か。
ふと目に鮮やかな青色が飛び込んできて、私は思わずそちらに気を取られた。
展示品のステンドグラスの窓から差し込む光に照らされて、きらりと輝くコバルトブルー。
赤い小さなジュエリークッションの上に、ちょこんと飾られた花型のイヤリングがあった。
矢車菊ーー
優美な青い小さな花びらが幾十にも重なった、愛らしいのにとても逞しい花……
今日何処かでこの花を見かけた気がして、すぐに思い当たった。
先程昼食を取ったレストランの向かい側。青い花を腕一杯に抱えた、綺麗というより可憐な女性の顔を思い出す。
ああ、そうだ。どこかで見覚えがあると思ったら、確かゲームの中で一瞬だけ出てきた、町娘ーー
その彼女を遠目に見つめて、レオナルド殿下がどこか物思いに耽っていたのは勘違いではないだろう。
まさか、殿下の秘密の恋の相手は彼女なのだろうか?
以前王妃様が、レオナルド殿下が恋しているのは、結ばれるのが難しい相手と言った。確かに平民相手なら、その想いが叶う可能性はゼロに等しいだろう。
Ich gebe die Hoffnung nicht auf ーー私は希望をあきらめない
矢車菊の花言葉の一つだ。綺麗なコバルトブルーの、可憐な花。
その昔、レオナルド殿下のサファイアの瞳が矢車菊のように見えて、幼心に私は随分と見惚れたものだ。
それにしても良く出来ているなと、改めてイヤリングをじっくりと見つめる。綺麗に花びらの形にカットされたガラスビーズが、立体的に花の形に組み合わされていた。
「それが気に入ったの?」
「え?」
いつの間にかレオナルド殿下が側に立っていた。私の肩に触れる距離で、一緒になってイヤリングを覗き込んでいる。
「い、いえ。ただ、綺麗だなと思って……」
「ーー矢車菊だね。確かに綺麗だ」
「ええ、よく出来ていますよね」
「そういえばアメリアは、昔からこの花が随分好きだったよね。じゃあこれは、私が今日の記念にプレゼントしよう」
「え、ええええ……それは申し訳なくーー」
「いいから、いいから」
ああこの展開、先程と同じだ。狼狽える私を置き去りに、レオナルド殿下が早々に店員を呼びつける。
「はい」
にっこりと笑って手渡されたのは、もちろん青く輝くイヤリングだった。
……買ってもらってしまった。
受け取るために差し出した手が僅かに震えている。
「ありがとう、ございます。大切にさせて頂きますね……」
泣き笑いのような、引き攣った笑顔になったが仕方ない。
視界の隅に、カトレアに子犬の置物を渡すデレ顔のジョセフ様の姿が見えて、私はもう言葉も出なかった。
いやいやいや、なんでこうなるの!?
「きゃあ、可愛い! お兄様、こっち、見て見て」
入店した途端、カトレアの歓声が上がった。レオナルド殿下の腕を取り、自分の興味のある方に引っ張っていく。
そんな2人を尻目に、私は静かに1人店内を見て回った。警備上、この時間は私達だけの貸し切りにしてくれたので、心ゆくまで堪能できる。
優美な曲線を描く花瓶に、細密な装飾が施された香水瓶。様々な形のグラスや器はもちろんのこと、果ては工芸品という名の、作り手の表現力を疑う置物までーー
「あら、これは……」
綺麗にディスプレイされた棚の3段目、小柄なピンクの子犬と目が合う。
こてんと、不思議そうに首を傾けているその様子が、まるでカトレアのようで愛らしかった。
「何かお気に召したものがありましたか?」
「え?」
突然、背後から声を掛けられて驚いた。ジョセフ様が私の肩越しに手元を覗き込んでくる。
「気に入ったと申しますか……この子犬の置物が可愛らしいなと思いまして。ほら、この首を傾げた感じとか、どこかカトレアに似ていると思いませんか?」
「ああ、確かに! 可愛らしいですね。淡いピンク色ってところがまた、何というかカトレア嬢らしいです」
「ふふ、仰る通りですわ」
「ーーそうだ、どうかその、それを私にプレゼントさせて下さい」
「えっ!」
いい思い付きだとばかりにその表情は得意気だけど。私は、ジョセフ様の思わぬ申し出に動揺した。
だって、このピンクの子犬はーー
「そ、そんなの申し訳ありませんわ。お気を遣って頂かなくてもーー」
「いえいえ、ぜひお願いします。今日の記念にしたいので!」
「いえ、あの、でも、ちょっ……」
爽やかに笑って、必死に押し留める私の声に全く耳を貸さず、ジョセフ様は問答無用で置物を鷲掴んだ。
「ちょっとお待ちになってーー」
走り去っていくその肩が意気揚々と弾んでいる。突然のことになす術もなく、私はその後ろ姿を見送ることしか出来なかった。
「ど、どうしよう……」
だってあの子犬は、レオナルド殿下がカトレアにプレゼントするはずだったのにーー
不測の事態の成り行きに、頭の中が真っ白だ。
あれ程順調だったのに、これでは明らかにゲームの筋が変わってしまう!
意味もなくキョロキョロと辺りを見遣って、状況を把握しようと試みる。
「……?」
爽やかな水色の光の中で煌めく何か。
ふと目に鮮やかな青色が飛び込んできて、私は思わずそちらに気を取られた。
展示品のステンドグラスの窓から差し込む光に照らされて、きらりと輝くコバルトブルー。
赤い小さなジュエリークッションの上に、ちょこんと飾られた花型のイヤリングがあった。
矢車菊ーー
優美な青い小さな花びらが幾十にも重なった、愛らしいのにとても逞しい花……
今日何処かでこの花を見かけた気がして、すぐに思い当たった。
先程昼食を取ったレストランの向かい側。青い花を腕一杯に抱えた、綺麗というより可憐な女性の顔を思い出す。
ああ、そうだ。どこかで見覚えがあると思ったら、確かゲームの中で一瞬だけ出てきた、町娘ーー
その彼女を遠目に見つめて、レオナルド殿下がどこか物思いに耽っていたのは勘違いではないだろう。
まさか、殿下の秘密の恋の相手は彼女なのだろうか?
以前王妃様が、レオナルド殿下が恋しているのは、結ばれるのが難しい相手と言った。確かに平民相手なら、その想いが叶う可能性はゼロに等しいだろう。
Ich gebe die Hoffnung nicht auf ーー私は希望をあきらめない
矢車菊の花言葉の一つだ。綺麗なコバルトブルーの、可憐な花。
その昔、レオナルド殿下のサファイアの瞳が矢車菊のように見えて、幼心に私は随分と見惚れたものだ。
それにしても良く出来ているなと、改めてイヤリングをじっくりと見つめる。綺麗に花びらの形にカットされたガラスビーズが、立体的に花の形に組み合わされていた。
「それが気に入ったの?」
「え?」
いつの間にかレオナルド殿下が側に立っていた。私の肩に触れる距離で、一緒になってイヤリングを覗き込んでいる。
「い、いえ。ただ、綺麗だなと思って……」
「ーー矢車菊だね。確かに綺麗だ」
「ええ、よく出来ていますよね」
「そういえばアメリアは、昔からこの花が随分好きだったよね。じゃあこれは、私が今日の記念にプレゼントしよう」
「え、ええええ……それは申し訳なくーー」
「いいから、いいから」
ああこの展開、先程と同じだ。狼狽える私を置き去りに、レオナルド殿下が早々に店員を呼びつける。
「はい」
にっこりと笑って手渡されたのは、もちろん青く輝くイヤリングだった。
……買ってもらってしまった。
受け取るために差し出した手が僅かに震えている。
「ありがとう、ございます。大切にさせて頂きますね……」
泣き笑いのような、引き攣った笑顔になったが仕方ない。
視界の隅に、カトレアに子犬の置物を渡すデレ顔のジョセフ様の姿が見えて、私はもう言葉も出なかった。
いやいやいや、なんでこうなるの!?
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