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この日、魔法省に待望の一報が入った。
「第一連隊より入力あり。『龍、駆逐す』とのことです」
遂に、南の地方で暴れていた凶暴なドラゴンが斃されたとのことだった。そのドラゴンに煽られて発生していた魔獣の大暴走も、急速に収拾の方向に向かっているという。
「魔獣による暴走もほぼ制圧したようです。あとは地方の警備隊でも対処できるかと。これにより直ちに帰都するとのことですが、それに伴い負傷者の迅速な対応を求む。とのことです」
「数は?!」
近年稀にみる魔獣の大量発生、そして来襲に、地方の警備隊では到底歯が立たず、王都から第一連隊が討伐に出発したのが2週間程前。通常なら3日はかかる移動距離を2日で現地入りし、休む間も惜しんですぐさま戦闘体制に入ったのだから大したものだ。
しかし精鋭部隊と名高い南師団の第一連隊から、さらに選りすぐった部隊で挑んだにも拘わらず、全ての制圧に10日近くかかったのだから、その被害の大きさが窺い知れた。
「重傷2名、軽傷7名といったところですが、隊員のほぼ全員が魔力切れをおこしている模様。あと現地の状況ですが──」
魔法省の司令部は、被害状況を確認した途端、直ちにその対応に走った。
「早急に聖女を集めよ。治療には診療所に近い兵舎の予備部屋を使用し、負傷者に配偶者がいる場合はこちらに呼んで待機させろ。あと被害地の復興のために、関係各位に至急連絡を取り、然るべき援助を要請しろ!」
戦局を見守っていた師団長の喝が飛ぶ。対策本部であった会議室は、俄かに慌ただしくなった。
「で?」
魔法省、特科師団に所属する特務大尉であるアレクサンドラ・グラソンは、感情のない表情で自分の前に立つ本部の男を見た。その付け入る隙が全くない冷たい対応に、文官の男の腰が若干に引けている。
アレクサンドラが怒るのも当然だ。火急の案件につき魔法省の事務所──正確にいえば兵舎と診療所が入る棟と廊下で繋がる、憲兵師団事務所に呼び出され、こんな馬鹿げたことを言われているのだから。
氷の女王のような美貌を持つ凄腕の魔術師の、その切れ長のアイスブルーの瞳で見据えられ、本部の男は自分のくじ運の無さを心底恨んだ。
「えーと、ですから……」
男は再び、おずおずと説明した。
「東館のお部屋に、負傷されたルキウス・レオン隊長がいらっしゃるので……」
看病をお願いします。とは続けられなかった。なぜならアレクサンドラの冷たい瞳が、更に氷点下まで色をなくしていくのが分かったから。
「だから、なぜ私が?」
今回、ドラゴンを含めた魔獣の大暴走の鎮圧に向かった第一連隊は、満身創痍になりながらも何とか王都に帰還した。魔力切れによる症状は深刻で、早急に多くの聖女が治療にあたっているという。
「聖女がいるでしょう?」
治療は私の仕事ではないと、アレクサンドラは主張する。彼女の言い分は尤もだった。
女性では珍しく上級将校の地位にあるアレクサンドラの仕事は、魔法陣による大規模攻撃、新規の魔法陣の構築、もしくは国管轄の様々な魔法陣の管理といった魔術師としての活動が主だからだ。
程度の差はあれ、人間は誰しも魔力を持っている。日常生活の至る所で活用されている魔石を使うには、それこそ石に軽く触れるだけで済むが、魔術師や魔剣士となると、並以上の魔力が必要だった。しかもそれを 制御出来る技術が必須条件で、選ばれた人間にしかなることが出来ない憧れの職業だ。
残念なことに聖女──聖職に就く人間は、魔術師になれなかった『なり損ない』だ。魔力は多いのにそれを使いこなすことが出来ず、さらに多すぎる魔力を放出する術も知らないので体内に籠り苦しんでいた。だから手っ取り早く解放する方法──それが他人に魔力を分け与えることだった。その最も効率の良い方法が体を重ねることで……
つまり、『聖女』は『性女』なのだ。魔法省お抱えの公認娼婦といったら聞こえが悪いが、自らの体の不調からくる立派な治療法なので、そんなに悲壮感はない。
大掛かりな魔法陣を緻密に描く必要があるので冷静沈着、かつ計画的、論理的に動く魔術師と違って、その場の状況に応じて咄嗟に行動する魔剣士は、特に魔力切れを起こしやすかった。何より剣士というだけあって血気盛んで、日々の訓練でも無駄に魔力を消費する。しかも男の下半身事情も相まって、聖女達の存在は彼らの癒しでもあった。
お互いに恋愛感情が芽生えれば結婚もできるし、事実、魔剣士の嫁は元聖女が多い。魔力の相性かつ、体の相性もいい相手は、自分専用として側に置いておきたいのは世の常だろう。
それに、どうしても聖女になりたくなければ、魔力を吸い取る特殊な磁場に建つ修道院に入ることも可能なので、少なくとも魔法省にいる聖女は、自らその立場に身を置いている者ばかりだった。
そんな癒しのプロがいるのに、どうして私が治療しなければいけないんだと、アレクサンドラは当然憤った。
「ルキウスが負傷したと仰られるが、結局は魔力切れなのでしょう? なら聖女にお願いするのが筋ではありませんか」
確かに王都の南を守る師団の、過去最強と謳われる第一連隊隊長を務めるルキウスの魔力容量はべらぼうに多い。だが聖女が複数で治療すれば、そこそこ回復するはずだ。
「ですがグラソン特務大尉は、レオン隊長の、その、彼女だとお伺いしていま──」
「違います」
速攻でアレクサンドラは否定した。その断固たる態度に、本部の男は狼狽えるばかりだ。また一段と場の空気が凍えたように感じて、ぶるりと身震いする。「チチチ」と、窓の外では、春のうららかな陽気に鳥たちが喜んでいるというのに。
「で、ですが、学生の頃からお付き合いをされて──」
「事実無根です」
「……ですが、レオン隊長が貴女を──」
「全てデマです」
男が何かを言い出す前に、アレクサンドラは全てを否定してぶった斬った。
全く、中央は何を何処まで把握しているのか?
確かにアレクサンドラとルキウスは、魔法省立士官学校に通っている頃から同期だった。二人とも魔力が群を抜いて多く、抜きつ抜かれつして首席の座を争ったものだ。アレクサンドラは専攻が魔術師、ルキウスは魔剣士だったので、結局は決着がつかなかったものの、ことある毎に対立はしていた。なにしろ二人とも唯我独尊な性格で、ルキウスは有言実行、少しばかり口より先に手が出るタイプ。アレクサンドラは冷静に論破しながら、その陰で密かに実力行使の策を講じる陰湿さがあった。
そもそも好む魔法の系統も真逆だったので、とことん馬が合わなかったのだ。
人間の魔力には、多くの魔獣が持つ四元素──『火・水・風・土』といった属性がない。だから四元素のいづれかを含んだ魔石を通して魔法を発動させるのだが、少なからず自分の魔力と相性のいい属性はあった。
人間の魔力はいわば燃料だ。自然界の恵みや、魔獣の体内から採れる魔石を介して、初めて火が起こせたり水が出たりする。もしくは複雑な魔法陣を描いて魔法を使用することも可能だが、これには専門の複雑な知識が要った。
つまり、魔石を通した際には至近距離のみになるが即時に発動、しかも状況に応じて機敏な対応が出来るのに対し、魔法陣は時間は掛かるものの規模も大きく、広範囲にわたって効果を発揮することが出来るといったところか。どちらも一長一短があるので、どちらが優れているとは言い切れない。
ルキウスは愛剣に仕組んだ『火』の魔石を誰よりも自在に使いこなし、アレクサンドラはどちらかといえば、『水』と『風』を組み合わせた氷魔法や雷魔法を得意とした。特に雷の魔法は複雑で、使いこなせるのはアレクサンドラを含め、魔法省に3、4人しかいないだろう。
「そういうことなので私は帰ります。ルキウスには聖女を2、3名ほどあてがえば、少しは回復するでしょう」
「あ、ちょ、お待ちください!」
本部の男は、アレクサンドラの醸し出す冷気で室内は肌寒いのに、額に浮き出た冷や汗をハンカチで拭うという事態に胃がキリキリと痛む思いだった。
上層部も当初は、この二人が犬猿の仲なのを知っているので、ルキウスには聖女を用意していたのだ。それも選りすぐりの。これは特に本部が意図したわけではなく、気づけばそうなっていたのだが。
今まで魔力切れで聖女のお世話になったことがない、将来有望な連隊隊長。しかも階級が既に少佐とあって、数人の聖女の間で熾烈な争いがおきたのだ。
はっきりいってルキウスは美男子だ。体格もよく、実績を伴った自信に満ち溢れ、先頭に立って戦いに身を置くのだから男でも惚れる。
弱冠24歳ながら既に連隊の隊長を拝するほどの男に、あわよくば見染められたい。狙うは将来安泰。自己評価の高い一部の聖女が張り切るのも無理はなかった。
だが。それを「否」と首を横に振ったのは、他でもないルキウス本人だった。
「アレックスを呼んでくれ」
「え?」
「特科の、アレクサンドラ・グラソン特務大尉だ」
色男に、色気がダダ漏れのヤツれた顔で凄まれ、彼の様子を見に来た本部の人間達はごくりと生唾を飲んだ。有無をも言わせないその眼光が……圧が、圧が凄い。
魔力切れで疲労しているとはいえ、歴戦の猛者である剣士に力で太刀打ち出来るとは思わない本部の文官達は、しかしすぐさま頷く勇気も持ち合わせていなかった。
なにせ彼が望んでいるのは、あのアレクサンドラ・グラソンだ。こちらも氷の女王と名高い特務大尉、氷結の特級魔術師だ。確かに彼女なら、その魔力の多さからいって一人でルキウスの完璧な治療が可能だろう。問題は、彼女がそれを快く承諾しないことが目に見えていることで……
まさに『前門の虎、後門の狼』状態。具合の悪さから、「早くアレックスを引っ張ってこい」と早々に追い立てられた男達は、すぐさま誰が『猫の首に鈴をつけ、引っ張ってくるか』と、醜い押し付け合いをすることになった。
とことん運が悪い……
望まない大義を背負った本部の男は、今にも扉を開けて出て行こうとするアレクサンドラに必死に縋った。ここで彼女を逃したら、今度は魔力切れで非常に気の立っているルキウスに罵られる。
「あの、レオン隊長はこの度の一番の功労者です。魔法省上層部、強いては王太子殿下からも彼の意に沿うようにと厳命されていますので──」
「……離せ」
「え?」
所詮は女と、どこかで過信していたのか。一応は男としての矜持があった本部の男は、力任せにアレクサンドラの腕を掴んで叫んでいた。だが、これがいけなかった。
「その汚い手を離せと言ったんだ」
アレクサンドラが唸るように呟いた途端、男の袖口がピキピキと凍っていく。見ればアレクサンドラの耳を飾っていたピアスの魔石が、青白く光っていた。
「う、うわっ?!」
服だけでなく腕にまで冷気を感じて、男はパニックになった。冷たい、よりも痛い。アレクサンドラから発せられる膨大な魔力に当てられ、男はみっともなく尻餅をついた。
自分はただ、上から押し付けられた仕事を遂行していただけなのに! てか、事務所で魔法使用は御法度なのにーっ!
ぐるぐると弁解や非難の言葉が頭の中で回るが、上手く声にならない。口から溢れるのは、説得力のない懇願だけだ。
「お、落ち着いて。やめてくれ──」
もう肩まで霜を被って、上着全体が俄かに白くなっていた。万事休す。と、その時──
本部の男の悲壮な叫び声が届いたのか、乱暴に扉が開いて、アレクサンドラの気が逸れた。
冷気を掻き消すように、ムワッと部屋に雪崩れ込んでくる熱気。アレクサンドラはゆらりと振り返ると、その凍えるアイスブルーの瞳で突然の乱入者を見据えた。
「──ルキウス」
「よう、アレックス。待ってたぜ」
乱れた黒髪に、アンバーの瞳を輝かせ、炎の隊長ルキウス・レオンが不敵に笑っていた。
男にとっては待ちに待った救世主の登場だったが……
「ひいいぃぃぃ」
魔法省の憲兵師団事務所の一画、よく面接や会議に使われる大きな部屋に、男の悲惨な叫び声が響いた。必死に頭を抱えて蹲るが、床は絶対零度の如く冷たいし、だからといって顔を上げれば、渦巻く炎にやられてしまう。実際、自分の後ろ髪は焦げてチリチリになっているはずだと男は確信していた。
「お前、何こんなところで遊んでんだ。俺が呼んだら、さっさと来いよ!」
「断る!」
部屋が……魔法で防御されているはずの部屋が、この人外の強さを持った二人によって破壊されてしまう。
「ぎゃあああーーーー」
吹雪に雷まで混じるようになって、本部の男は這うようにして出口へと向かった。もうこうなると、力のない自分にこの二人を止めることは不可能だ。だが幸か不幸か、男がドアノブに手をかけるより先にルキウスが動く方が早かった。
「離せ離せ離せー!!」
密かに本格的な魔法陣を描き始めたアレクサンドラの隙をつき、ルキウスがタックルして彼女を抱え上げたのだ。
「全く、こんなところで無駄に魔力消費しやがって。そんなに有り余っているなら、素直に俺に寄越せよ! ただでさえ、こっちは魔力切れで疲れてるっていうのに」
「だから聖女に相手してもらえばいいだろう!」
「うるせぇ! ほら、さっさと行くぞ」
ジタバタと暴れる特務大尉を難なく肩に担ぎ上げて、飢えた獣のような凶悪な表情を浮かべた隊長は颯爽と立ち去った。
台風一過とはまさにこのことだ。めちゃくちゃに荒らされた部屋に一人取り残された男は、
「た、助かった……?」
生き残れた喜びに、年甲斐もなく床に蹲ってしばらく咽び泣いた。
「第一連隊より入力あり。『龍、駆逐す』とのことです」
遂に、南の地方で暴れていた凶暴なドラゴンが斃されたとのことだった。そのドラゴンに煽られて発生していた魔獣の大暴走も、急速に収拾の方向に向かっているという。
「魔獣による暴走もほぼ制圧したようです。あとは地方の警備隊でも対処できるかと。これにより直ちに帰都するとのことですが、それに伴い負傷者の迅速な対応を求む。とのことです」
「数は?!」
近年稀にみる魔獣の大量発生、そして来襲に、地方の警備隊では到底歯が立たず、王都から第一連隊が討伐に出発したのが2週間程前。通常なら3日はかかる移動距離を2日で現地入りし、休む間も惜しんですぐさま戦闘体制に入ったのだから大したものだ。
しかし精鋭部隊と名高い南師団の第一連隊から、さらに選りすぐった部隊で挑んだにも拘わらず、全ての制圧に10日近くかかったのだから、その被害の大きさが窺い知れた。
「重傷2名、軽傷7名といったところですが、隊員のほぼ全員が魔力切れをおこしている模様。あと現地の状況ですが──」
魔法省の司令部は、被害状況を確認した途端、直ちにその対応に走った。
「早急に聖女を集めよ。治療には診療所に近い兵舎の予備部屋を使用し、負傷者に配偶者がいる場合はこちらに呼んで待機させろ。あと被害地の復興のために、関係各位に至急連絡を取り、然るべき援助を要請しろ!」
戦局を見守っていた師団長の喝が飛ぶ。対策本部であった会議室は、俄かに慌ただしくなった。
「で?」
魔法省、特科師団に所属する特務大尉であるアレクサンドラ・グラソンは、感情のない表情で自分の前に立つ本部の男を見た。その付け入る隙が全くない冷たい対応に、文官の男の腰が若干に引けている。
アレクサンドラが怒るのも当然だ。火急の案件につき魔法省の事務所──正確にいえば兵舎と診療所が入る棟と廊下で繋がる、憲兵師団事務所に呼び出され、こんな馬鹿げたことを言われているのだから。
氷の女王のような美貌を持つ凄腕の魔術師の、その切れ長のアイスブルーの瞳で見据えられ、本部の男は自分のくじ運の無さを心底恨んだ。
「えーと、ですから……」
男は再び、おずおずと説明した。
「東館のお部屋に、負傷されたルキウス・レオン隊長がいらっしゃるので……」
看病をお願いします。とは続けられなかった。なぜならアレクサンドラの冷たい瞳が、更に氷点下まで色をなくしていくのが分かったから。
「だから、なぜ私が?」
今回、ドラゴンを含めた魔獣の大暴走の鎮圧に向かった第一連隊は、満身創痍になりながらも何とか王都に帰還した。魔力切れによる症状は深刻で、早急に多くの聖女が治療にあたっているという。
「聖女がいるでしょう?」
治療は私の仕事ではないと、アレクサンドラは主張する。彼女の言い分は尤もだった。
女性では珍しく上級将校の地位にあるアレクサンドラの仕事は、魔法陣による大規模攻撃、新規の魔法陣の構築、もしくは国管轄の様々な魔法陣の管理といった魔術師としての活動が主だからだ。
程度の差はあれ、人間は誰しも魔力を持っている。日常生活の至る所で活用されている魔石を使うには、それこそ石に軽く触れるだけで済むが、魔術師や魔剣士となると、並以上の魔力が必要だった。しかもそれを 制御出来る技術が必須条件で、選ばれた人間にしかなることが出来ない憧れの職業だ。
残念なことに聖女──聖職に就く人間は、魔術師になれなかった『なり損ない』だ。魔力は多いのにそれを使いこなすことが出来ず、さらに多すぎる魔力を放出する術も知らないので体内に籠り苦しんでいた。だから手っ取り早く解放する方法──それが他人に魔力を分け与えることだった。その最も効率の良い方法が体を重ねることで……
つまり、『聖女』は『性女』なのだ。魔法省お抱えの公認娼婦といったら聞こえが悪いが、自らの体の不調からくる立派な治療法なので、そんなに悲壮感はない。
大掛かりな魔法陣を緻密に描く必要があるので冷静沈着、かつ計画的、論理的に動く魔術師と違って、その場の状況に応じて咄嗟に行動する魔剣士は、特に魔力切れを起こしやすかった。何より剣士というだけあって血気盛んで、日々の訓練でも無駄に魔力を消費する。しかも男の下半身事情も相まって、聖女達の存在は彼らの癒しでもあった。
お互いに恋愛感情が芽生えれば結婚もできるし、事実、魔剣士の嫁は元聖女が多い。魔力の相性かつ、体の相性もいい相手は、自分専用として側に置いておきたいのは世の常だろう。
それに、どうしても聖女になりたくなければ、魔力を吸い取る特殊な磁場に建つ修道院に入ることも可能なので、少なくとも魔法省にいる聖女は、自らその立場に身を置いている者ばかりだった。
そんな癒しのプロがいるのに、どうして私が治療しなければいけないんだと、アレクサンドラは当然憤った。
「ルキウスが負傷したと仰られるが、結局は魔力切れなのでしょう? なら聖女にお願いするのが筋ではありませんか」
確かに王都の南を守る師団の、過去最強と謳われる第一連隊隊長を務めるルキウスの魔力容量はべらぼうに多い。だが聖女が複数で治療すれば、そこそこ回復するはずだ。
「ですがグラソン特務大尉は、レオン隊長の、その、彼女だとお伺いしていま──」
「違います」
速攻でアレクサンドラは否定した。その断固たる態度に、本部の男は狼狽えるばかりだ。また一段と場の空気が凍えたように感じて、ぶるりと身震いする。「チチチ」と、窓の外では、春のうららかな陽気に鳥たちが喜んでいるというのに。
「で、ですが、学生の頃からお付き合いをされて──」
「事実無根です」
「……ですが、レオン隊長が貴女を──」
「全てデマです」
男が何かを言い出す前に、アレクサンドラは全てを否定してぶった斬った。
全く、中央は何を何処まで把握しているのか?
確かにアレクサンドラとルキウスは、魔法省立士官学校に通っている頃から同期だった。二人とも魔力が群を抜いて多く、抜きつ抜かれつして首席の座を争ったものだ。アレクサンドラは専攻が魔術師、ルキウスは魔剣士だったので、結局は決着がつかなかったものの、ことある毎に対立はしていた。なにしろ二人とも唯我独尊な性格で、ルキウスは有言実行、少しばかり口より先に手が出るタイプ。アレクサンドラは冷静に論破しながら、その陰で密かに実力行使の策を講じる陰湿さがあった。
そもそも好む魔法の系統も真逆だったので、とことん馬が合わなかったのだ。
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人間の魔力はいわば燃料だ。自然界の恵みや、魔獣の体内から採れる魔石を介して、初めて火が起こせたり水が出たりする。もしくは複雑な魔法陣を描いて魔法を使用することも可能だが、これには専門の複雑な知識が要った。
つまり、魔石を通した際には至近距離のみになるが即時に発動、しかも状況に応じて機敏な対応が出来るのに対し、魔法陣は時間は掛かるものの規模も大きく、広範囲にわたって効果を発揮することが出来るといったところか。どちらも一長一短があるので、どちらが優れているとは言い切れない。
ルキウスは愛剣に仕組んだ『火』の魔石を誰よりも自在に使いこなし、アレクサンドラはどちらかといえば、『水』と『風』を組み合わせた氷魔法や雷魔法を得意とした。特に雷の魔法は複雑で、使いこなせるのはアレクサンドラを含め、魔法省に3、4人しかいないだろう。
「そういうことなので私は帰ります。ルキウスには聖女を2、3名ほどあてがえば、少しは回復するでしょう」
「あ、ちょ、お待ちください!」
本部の男は、アレクサンドラの醸し出す冷気で室内は肌寒いのに、額に浮き出た冷や汗をハンカチで拭うという事態に胃がキリキリと痛む思いだった。
上層部も当初は、この二人が犬猿の仲なのを知っているので、ルキウスには聖女を用意していたのだ。それも選りすぐりの。これは特に本部が意図したわけではなく、気づけばそうなっていたのだが。
今まで魔力切れで聖女のお世話になったことがない、将来有望な連隊隊長。しかも階級が既に少佐とあって、数人の聖女の間で熾烈な争いがおきたのだ。
はっきりいってルキウスは美男子だ。体格もよく、実績を伴った自信に満ち溢れ、先頭に立って戦いに身を置くのだから男でも惚れる。
弱冠24歳ながら既に連隊の隊長を拝するほどの男に、あわよくば見染められたい。狙うは将来安泰。自己評価の高い一部の聖女が張り切るのも無理はなかった。
だが。それを「否」と首を横に振ったのは、他でもないルキウス本人だった。
「アレックスを呼んでくれ」
「え?」
「特科の、アレクサンドラ・グラソン特務大尉だ」
色男に、色気がダダ漏れのヤツれた顔で凄まれ、彼の様子を見に来た本部の人間達はごくりと生唾を飲んだ。有無をも言わせないその眼光が……圧が、圧が凄い。
魔力切れで疲労しているとはいえ、歴戦の猛者である剣士に力で太刀打ち出来るとは思わない本部の文官達は、しかしすぐさま頷く勇気も持ち合わせていなかった。
なにせ彼が望んでいるのは、あのアレクサンドラ・グラソンだ。こちらも氷の女王と名高い特務大尉、氷結の特級魔術師だ。確かに彼女なら、その魔力の多さからいって一人でルキウスの完璧な治療が可能だろう。問題は、彼女がそれを快く承諾しないことが目に見えていることで……
まさに『前門の虎、後門の狼』状態。具合の悪さから、「早くアレックスを引っ張ってこい」と早々に追い立てられた男達は、すぐさま誰が『猫の首に鈴をつけ、引っ張ってくるか』と、醜い押し付け合いをすることになった。
とことん運が悪い……
望まない大義を背負った本部の男は、今にも扉を開けて出て行こうとするアレクサンドラに必死に縋った。ここで彼女を逃したら、今度は魔力切れで非常に気の立っているルキウスに罵られる。
「あの、レオン隊長はこの度の一番の功労者です。魔法省上層部、強いては王太子殿下からも彼の意に沿うようにと厳命されていますので──」
「……離せ」
「え?」
所詮は女と、どこかで過信していたのか。一応は男としての矜持があった本部の男は、力任せにアレクサンドラの腕を掴んで叫んでいた。だが、これがいけなかった。
「その汚い手を離せと言ったんだ」
アレクサンドラが唸るように呟いた途端、男の袖口がピキピキと凍っていく。見ればアレクサンドラの耳を飾っていたピアスの魔石が、青白く光っていた。
「う、うわっ?!」
服だけでなく腕にまで冷気を感じて、男はパニックになった。冷たい、よりも痛い。アレクサンドラから発せられる膨大な魔力に当てられ、男はみっともなく尻餅をついた。
自分はただ、上から押し付けられた仕事を遂行していただけなのに! てか、事務所で魔法使用は御法度なのにーっ!
ぐるぐると弁解や非難の言葉が頭の中で回るが、上手く声にならない。口から溢れるのは、説得力のない懇願だけだ。
「お、落ち着いて。やめてくれ──」
もう肩まで霜を被って、上着全体が俄かに白くなっていた。万事休す。と、その時──
本部の男の悲壮な叫び声が届いたのか、乱暴に扉が開いて、アレクサンドラの気が逸れた。
冷気を掻き消すように、ムワッと部屋に雪崩れ込んでくる熱気。アレクサンドラはゆらりと振り返ると、その凍えるアイスブルーの瞳で突然の乱入者を見据えた。
「──ルキウス」
「よう、アレックス。待ってたぜ」
乱れた黒髪に、アンバーの瞳を輝かせ、炎の隊長ルキウス・レオンが不敵に笑っていた。
男にとっては待ちに待った救世主の登場だったが……
「ひいいぃぃぃ」
魔法省の憲兵師団事務所の一画、よく面接や会議に使われる大きな部屋に、男の悲惨な叫び声が響いた。必死に頭を抱えて蹲るが、床は絶対零度の如く冷たいし、だからといって顔を上げれば、渦巻く炎にやられてしまう。実際、自分の後ろ髪は焦げてチリチリになっているはずだと男は確信していた。
「お前、何こんなところで遊んでんだ。俺が呼んだら、さっさと来いよ!」
「断る!」
部屋が……魔法で防御されているはずの部屋が、この人外の強さを持った二人によって破壊されてしまう。
「ぎゃあああーーーー」
吹雪に雷まで混じるようになって、本部の男は這うようにして出口へと向かった。もうこうなると、力のない自分にこの二人を止めることは不可能だ。だが幸か不幸か、男がドアノブに手をかけるより先にルキウスが動く方が早かった。
「離せ離せ離せー!!」
密かに本格的な魔法陣を描き始めたアレクサンドラの隙をつき、ルキウスがタックルして彼女を抱え上げたのだ。
「全く、こんなところで無駄に魔力消費しやがって。そんなに有り余っているなら、素直に俺に寄越せよ! ただでさえ、こっちは魔力切れで疲れてるっていうのに」
「だから聖女に相手してもらえばいいだろう!」
「うるせぇ! ほら、さっさと行くぞ」
ジタバタと暴れる特務大尉を難なく肩に担ぎ上げて、飢えた獣のような凶悪な表情を浮かべた隊長は颯爽と立ち去った。
台風一過とはまさにこのことだ。めちゃくちゃに荒らされた部屋に一人取り残された男は、
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