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本章 1/ライオン、半悪魔
2 ゴースター教授
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ぼくがMMMでどうのこうのだなんて、正直のところ至極どうでもよい話だったから、授賞式のときなんかは眠いしだるいしで適当に言葉を羅列していただけだった。あんなちっぽけな所での注目はぼくには不必要だった。
じゃあ、なんでアルバート・レイノルズのアドバイスに乗ったかって、それは、彼との距離をすこしつめたかったからだ。
まだそこまで関わったことはないが、ぼくと彼は、似ている気がする。はじめて彼の姿、そして目を見て、そう思った。
感覚は――父、ジェイ・エヴァンズを見て、ぼくと「似ている」と思ったそれとは――違う。
でも、ぼくと彼は、似ているんだ。
まとわりつく死のにおい。
それから、命のにおいが。
あのイベントによりぼくの存在を知った子が増えて、MMMはもう終了したのにも関わらずぼくにたかる子は割といるし、現に、あれから二日経った昨日、自宅まで誰かがつけてくる気配もあって(実際、ぼくが振り返ると慌ててすぐに建物の影にかくれる女の子の姿を見た)、やれやれぼくは学校の人気者になったようだ。別に、MMMでの特別賞を受賞したことも、この人気も、嫌な気分だってことはない。たいしていい気分ということもないが。
けれど周りの子には残念だがぼくを取り囲む彼女たちに対して興味はないので、機嫌のいいときは返事をしてあげたりなにか簡単な会話に応じてあげることもあるものの、評判を悪くしない程度に基本は軽くあしらうくらいだ。
ぼくはどうでもいい人間に時間を割く気はない。
が、一言残しておこう。
ゴースター教授はぼくにとってどうでもいいことはない人物だ。
MMMが終わってから数日経った死者蘇生学の授業では、相変わらず可笑しな光景が広がっていた。ハナからこの講義に興味と熱意のある学生なんかひとりもおらず、少数の受講生徒に対しこの広い講堂で、あっちでは学生Aが寝息をたてながら居眠り中。そっちでは学生Cがノートをデスクの上に立てて壁にし、その内側でこそこそとプラモデルの製作。隣の隣の奴――ニコラス・ハッターという筋肉質な男子学生――は、タブレットでレースゲームをしていて、延々と体を左右に揺らしていた。そんな様子なのにも関わらず、教授のゴースターがそれを注意したりしないのは、あくまでも彼らが自分の話を妨げているわけではないからで、ゴースターは、自分の話を遮られたり、邪魔さえされなければそれでいいようだった。彼は一生懸命そうには話しているものの、声はぼそぼそとしていてあまりききとりにくく、わざわざ使っているマイクはまるで意味もなく、それは彼の手の中ではただの棒と化している。
毎回授業はそんなかんじなので、実を言うとこの講義に関心があったぼくとしては残念ではある。ゴースターの話は、ききたくてもあんなんじゃきくこともできない。というわけでぼくがこの授業がはじまる前にすることは、彼がいつもこの講堂の正面で使用する教卓の内側でのボイスレコーダーの設置。あとは授業後それを回収し、自宅でゆっくりききながらメモでも何でもとればOK。……なのだが、自宅につくとすっかり面倒になってしまって、実は録音済みの講義は録音するだけしておいてまだ一度も聴けていない。ぼくのしていることもほとんど無意味に近い。
「今回もちゃんと録音してるんだ?」
授業中、隣のアルバートが小声で言った。彼との会話はレコーダーの設置と同じくこの授業でのぼくのお決まりだ。
「ああ。でも、まだ一度もきいてないんだ」ぼくは肩をすくめる。「どうにも、うちへ帰ると面倒になっちゃってね」
「でも、録音してるってことは、この講義に少しでも興味があるってことだろ」
「まあ、そうだね。興味がないと言えば、それは嘘になる」
「意外だな」アルバートは頬杖をついて言った。「きみのような奴は、『死者蘇生』とかいう馬鹿馬鹿しいテーマには知らんぷりなように見える」
「ぼくの中には、少年の心がまだ残っているんだ」
きみには? ぼくがそうきくと、アルバートは苦い顔をしてみせて、L字にした両手を合わせて三角形を作った。
「そのトライアングルはどういう意味?」
「僕にも少年心というものはあるけれど、その少年心はこのテーマにはあまり目を向けていない、ということ」それから両手をぱっと離し、「そりゃ最初はわくわくしたさ。でも僕は都市伝説だとかそういうのは一切信じない派なんだ。一応現実主義者でね。ゴースターの言ってることは、まずききとりにくいってのもあるけど、わからないし、一度死んだ人間が生き返るだのどうのこうのだなんて、不可能だと思ってる」
「それじゃきみは、魂の存在も信じないし、たとえば、幽霊やゾンビなんかも信じない、と」
「そういうことになる。きみは?」
「いや――」
ぼくは無意識に目線を天井へやった。
「信じてるっていうのは、ちょっと違う。ただ、有りえることではあると思ってる。人間は死んだらどこにいく? 死んだら、その次はどうなる? 人間の中には魂があるのだろうか? 幽霊ってのは一体なんなんだ? ゾンビは本当にいるのか? ありえるのか? そういうことが、科学で証明できるかもしれない。実は公になっていないだけで、すでに証明されているかもしれない。たとえば、大昔は考えられなかったこの地球の形なんかも、ゆくゆくは明らかになっただろ。だからひょっとしたらその要領で……有りえるかもしれない」
「きみの考えは非現実でもあるし、現実的でもあるな。それに、そう言われてみればそうなのかもって、僕もちょっと思ってきたよ」
でも、ま、とアルバートが切り出す。「さすがにゴースターはクレイジーだと思うけど」
ぼくはゴースターを一瞥した。読唇術を会得している人間でも彼が何を言っているかは理解できないだろう。彼の唇は、喋っているのにも関わらず大したアクションを見せない。震えているだけのように見てとれる。
ギョロギョロ動く右目に、微動だにしない左の義眼。不気味だ。
「これは、僕が先輩からきいた話、というより噂なんだけれど――」
「何?」
「ゴースターは、ここの教授になる以前は、アペアスポイル内部の人間だったらしい。自称してるって」
「内部の人間?」思わず食い入り、眉をひそめる。「その言い方だと、ただの社員だった、ってわけじゃないの?」
「無論僕には詳細はわからないし、ぜんぶゴースターのひどい妄想かもしれない。それに自称ってあたりがあやしい。ただ、内部ってよりは暗部って言ったほうがいいみたいだ。ゴースターは、アペアスポイルに設置されてた『死者蘇生研究チーム』のひとりだった、と」
「死者蘇生研究チーム……」
「いろいろあって、ゴースターはアペアスポイルのその研究チームから追い出されたらしい。それで、今はなぜか教授をやってるみたいだ。ここらへんもぼんやりしてるけれど、ゴースターがこうやってここで馬鹿げた授業を好き勝手やっているのは、ゴースターの父がかなりの資産家で、この大学のバックにいる人物のひとりだから、この大学の人間はゴースターにはなにも口出しできないらしい」
「まって、もしゴースターが本当にその研究チームの元メンバーだったとして、なんでアペアスポイルには咎められないんだ? いや、元メンバーでなかったとしたらなかったとしたらで、アペアスポイルにとってはこんな作り話されたらたまったもんじゃないはずだ。だからゴースターに注意がいってるんじゃ……それにアペアスポイルの死者蘇生についてはちょっとした都市伝説だからきいたことがあって半信半疑だけれど、ゴースターがそこの人間だった、てのは信憑性がほとんどないね」
「ゴースターが研究チームの元メンバーだった、ってことについては真偽のほどは不明だ。でも、アペアスポイルは一応、ゴースターのその過去については否定していて、一度大学を通してゴースターには厳重注意したらしい。だけど無理だと。大学側も何もできないし、別に授業をきいている生徒なんて今までにいないに等しいし、それにアペアスポイルにとってはそんなんちっぽけな害にすぎないから、もうゴースターに対するお咎めはあきらめた、と。小さな講堂、そして少人数相手にぼそぼそやる以外には大きな行動をとらないみたいだし、アペアスポイルは一周回ってあたたかい目で見守るようになったとかなんとか」
アルバートの口ぶりや態度からすると、これらのことを本当に一切信じておらず、馬鹿にしたような口調だった。
アペアスポイル社が死者蘇生について研究しているのは事実だ、とぼくが話しても信じないだろう。
ぼくがその死者蘇生研究チームに招待されている、と話しても、冗談だと思って、信じないだろう。
とりあえず、今日のアルバートとの会話はゴースターやアペアスポイルのことばかりだった。
今日の授業がすべて終わった後、エイブラハム・アップルヤードとの予定があったために本当はそのままアペアスポイル本社へと直行したかったが、その前にまずゴースターの部屋へと足を運ぶことにした。
ゴースターは、授業後は夜まで自分に用意された専用の小さな研究室にこもり、夜になったら大学を出て帰宅するらしい、というプライベートなことさえもアルバートからきいたので、ゴースターに会うにはまだ余裕があるということがわかった。まだ夕方にもなっていない。
ゴースターの研究室のあるC棟は、他の棟と比べて小さく、ゴースターの研究室以外にはほとんどぼくたち学生にも(それから恐らく、他の教授たちにでさえも)用のない部屋ばかりがあるだけで、ここに足を踏み入れる人間はほぼいないと言ってもいいはずだ。
ここは木造だった。それから、今日は晴れだというのに、じめったい。ありがたいことに、ゴースターの部屋は一階だった。階段を使用する必用がない。
ぼくは、薄汚い茶色い木のドアを数回ノックする。トントン、というよりは、ボク、ボク、という音がした。
「教授。いらっしゃいますか? ぼくです。ハロルド・エヴァンズです」
数秒待ってみたものの、返事がない。こんなところで立ち尽くすのはなんとなく嫌だったので、失礼だとはわかっていながらもドアを勝手にあけることにした。返事をする声がぼくに届かなかっただけで、不在であるというわけではないかもしれないし。
ドアをゆっくりと開けると、部屋の中央に禿げ散らかした頭部が見えた。ゴースターは、つっぷして寝ていた。
(なにか研究でもしてるのかと思えば、居眠りか)
内心では呆れたが、
「あの、教授……すみません……」
申し訳なさそうにそっと声をかけてみる。
するとばっと禿げ頭が上がってきて、ゴースターは突然眠りから覚めた。
「……なんだ、君か……まったく、びっくりしたよ……」
「勝手に入った挙句、驚かせてしまいすみません。ノックしてもお返事がなかったので、不安になって。普段夜までこの研究室にいらっしゃるって、きいていたものですから」
でも、入ってみて、よかったです。ぼくはにこりと微笑んでみせて、そう言う。
それにしても、こんな無防備でいいのかと不安になる。
(アペアスポイルにいつ消されてもおかしくないような立場なんだぞ、あんたは)心の中でゴースターに言った。
「それにしても、いきなり……ここへ……なにか用があるんだろう……」
ぼそぼそとゴースターが言った。近くで話す分にはききとれないことはなかった。
「教授のことで、ちょっとおききしたいことが」
ぼくがそう言っても彼は相槌もうたずただただ無言だったので、すぐにぼくのほうから口を開いた。
「教授は、アペアスポイルの暗部の人間であるとききましたが……それは本当ですか?」
ま、ゴースターにきくよりは、エイブラハム・アップルヤード氏にきくほうが信用はできるだろうが。
ゴースターはすぐに返答した。
「……ああ、本当だが……君も興味があるのか……」
「興味ですか? 勿論あります。なぜなら」
すっ、と、軽やかな仕草でぼくはポケットからそれを出して、ゴースターの目線より高い位置でそれを見せた。
アペアスポイル社の入社許可カードだ。
「ぼくはアペアスポイルに招かれている人間だからです」
ゴースターが数回、強く目を瞬かせる。そして机から身を乗り出し、じっとカードを見つめた。
「これをご存じで?」
「……入社カードだ。私がまだあそこにいたときもそのカードだった……そのカードは、社員か、エイブに呼ばれた特別な人間にしか渡されない……なぜアペアスポイルに……?」
「なぜなら。『死者蘇生』を裏でアペアスポイルが研究している、というくだらない都市伝説を高校在学中に耳にしたぼくが、エイブ社長に目をつけてもらいたかったということもあり、死者蘇生についてのぼくなりの見解等をまとめた論文を父の伝手を利用しエイブ社長に送付したところ、やはり彼の目にとまり――こうしてぼくは暗部への招待を受けた――といったところです。参加するか否かは、まだ決めていませんが……」
ゴースターは何も言わない。
「ぼくは、アペアスポイルが死者蘇生について研究しており、またそのための暗部が存在しているということを信じています。信じるもなにも、現実としてこの目で確認しましたしね。もっとも、まだ確認できているのはほんの一部だけれど……暗部についてはともかく、本当に教授が暗部の人間だったのだろうかと、思いまして。いえ、疑っているわけではないんです。もしアペアスポイルに少しでもいたことのない人間ならば、そもそも他人に話をできるほどの知識なんてないはずだ。そうですね、ようするにぼくは……あなたからアペアスポイルのその研究チームについてなにか詳しく個人的にきけたらと……そう思ったんです」
ぎょろり、とゴースターの右目がぼくの顔のほうを向いた。
「……私にきく必要はない。私は、個人的には暗部について話す気はない……」
なら、やっぱり、ゴースターが暗部にいたというのは、彼の妄言なのか?
「嘘だと思ったか……嘘ではない……ではきこう、きみは、私がアペアスポイルのその研究について肯定的だと思うか? あるいは、否定的だと思うか?」
「えっと」
思わず返答に困った。彼の講義での話をまともにきいたことがないし(第一、録音をきかない限りではあんなぼそぼそ喋られたら授業じゃ話をききたくてもきけない)、彼はほとんど無表情で感情を読み取りにくいものだから、彼がアペアスポイルのそれについて肯定的なのか否定的なのか非常にわかりにくい。
(知らねえよ、クソッタレ)
心の中で漏れたのは、ぼくにしては珍しい下品な暴言だった。
「講義を設けている程ですから、ぼくからすると、教授はアペアスポイルのその研究について肯定的であるのかと……」
「ちがう!」
ゴースターがなんの前触れも無しに怒鳴った。怒りの沸点がどうも低いようだ。大きな声に驚いたぼくは、ついつい目を見ひらいて肩をふるわせてしまう。大きな音や声は苦手だ。
「す、すみません。否定しているほうだったんですね」
「……ああ、そうだ……」彼はすぐにいつもの調子に戻った。しかし声は少し震えていて、「私は否定的だ……決して嬉々としていつも話しているわけではない……私は、チームの一員だったために、当然、研究について目の当たりにしてきた……そして」
ゴースターがぼくを見る。
「私も被害者のひとりとなった」
そう言ったすぐあと、彼は立ち上がる。ぼくを追い出したがったのだ。
「私は君たちに注意を喚起しているつもりであの講義で話をしているのだ……だから私は、君に、君が望んでいるような暗部の楽しいお話なんかはできない……いや、するつもりがない……」
「被害者? 被害者と、おっしゃいました? 一体それはどういうことなんですか?」
追い出される前にぼくがきくと、ゴースターの顔がみるみるうちに赤くなってゆくのがわかり、また怒鳴られるのは嫌だったので素早く「すみません」と謝罪をつけたす。
ゴースターにはやはり話す気はないようだった。
「……暗部への参加はまだ決めていないと言ったな……それなら私が今ここでアドバイスしておこう……やめておきなさい。君にも私のように被害者にはなってほしくない……それにあの会社――社長――は……狂っている」
ぼくの予想していた展開とは違っていた。てっきりゴースターは『肯定的』な人間で、喜んでいろいろ話しているかと思っていたのに。これでは、ただ怒鳴られに行っただけじゃないか。
「本当に興味があるなら、講義をきいているだけにとどめておきなさい……」
結局、背中を押され無理矢理研究室を追い出されるはめとなってしまった。
大きな音を立てて閉められた木製のドアに、力を、そして背をあずけるようによりかかる。
(被害者って、どういうことなんだ……?)
じゃあ、なんでアルバート・レイノルズのアドバイスに乗ったかって、それは、彼との距離をすこしつめたかったからだ。
まだそこまで関わったことはないが、ぼくと彼は、似ている気がする。はじめて彼の姿、そして目を見て、そう思った。
感覚は――父、ジェイ・エヴァンズを見て、ぼくと「似ている」と思ったそれとは――違う。
でも、ぼくと彼は、似ているんだ。
まとわりつく死のにおい。
それから、命のにおいが。
あのイベントによりぼくの存在を知った子が増えて、MMMはもう終了したのにも関わらずぼくにたかる子は割といるし、現に、あれから二日経った昨日、自宅まで誰かがつけてくる気配もあって(実際、ぼくが振り返ると慌ててすぐに建物の影にかくれる女の子の姿を見た)、やれやれぼくは学校の人気者になったようだ。別に、MMMでの特別賞を受賞したことも、この人気も、嫌な気分だってことはない。たいしていい気分ということもないが。
けれど周りの子には残念だがぼくを取り囲む彼女たちに対して興味はないので、機嫌のいいときは返事をしてあげたりなにか簡単な会話に応じてあげることもあるものの、評判を悪くしない程度に基本は軽くあしらうくらいだ。
ぼくはどうでもいい人間に時間を割く気はない。
が、一言残しておこう。
ゴースター教授はぼくにとってどうでもいいことはない人物だ。
MMMが終わってから数日経った死者蘇生学の授業では、相変わらず可笑しな光景が広がっていた。ハナからこの講義に興味と熱意のある学生なんかひとりもおらず、少数の受講生徒に対しこの広い講堂で、あっちでは学生Aが寝息をたてながら居眠り中。そっちでは学生Cがノートをデスクの上に立てて壁にし、その内側でこそこそとプラモデルの製作。隣の隣の奴――ニコラス・ハッターという筋肉質な男子学生――は、タブレットでレースゲームをしていて、延々と体を左右に揺らしていた。そんな様子なのにも関わらず、教授のゴースターがそれを注意したりしないのは、あくまでも彼らが自分の話を妨げているわけではないからで、ゴースターは、自分の話を遮られたり、邪魔さえされなければそれでいいようだった。彼は一生懸命そうには話しているものの、声はぼそぼそとしていてあまりききとりにくく、わざわざ使っているマイクはまるで意味もなく、それは彼の手の中ではただの棒と化している。
毎回授業はそんなかんじなので、実を言うとこの講義に関心があったぼくとしては残念ではある。ゴースターの話は、ききたくてもあんなんじゃきくこともできない。というわけでぼくがこの授業がはじまる前にすることは、彼がいつもこの講堂の正面で使用する教卓の内側でのボイスレコーダーの設置。あとは授業後それを回収し、自宅でゆっくりききながらメモでも何でもとればOK。……なのだが、自宅につくとすっかり面倒になってしまって、実は録音済みの講義は録音するだけしておいてまだ一度も聴けていない。ぼくのしていることもほとんど無意味に近い。
「今回もちゃんと録音してるんだ?」
授業中、隣のアルバートが小声で言った。彼との会話はレコーダーの設置と同じくこの授業でのぼくのお決まりだ。
「ああ。でも、まだ一度もきいてないんだ」ぼくは肩をすくめる。「どうにも、うちへ帰ると面倒になっちゃってね」
「でも、録音してるってことは、この講義に少しでも興味があるってことだろ」
「まあ、そうだね。興味がないと言えば、それは嘘になる」
「意外だな」アルバートは頬杖をついて言った。「きみのような奴は、『死者蘇生』とかいう馬鹿馬鹿しいテーマには知らんぷりなように見える」
「ぼくの中には、少年の心がまだ残っているんだ」
きみには? ぼくがそうきくと、アルバートは苦い顔をしてみせて、L字にした両手を合わせて三角形を作った。
「そのトライアングルはどういう意味?」
「僕にも少年心というものはあるけれど、その少年心はこのテーマにはあまり目を向けていない、ということ」それから両手をぱっと離し、「そりゃ最初はわくわくしたさ。でも僕は都市伝説だとかそういうのは一切信じない派なんだ。一応現実主義者でね。ゴースターの言ってることは、まずききとりにくいってのもあるけど、わからないし、一度死んだ人間が生き返るだのどうのこうのだなんて、不可能だと思ってる」
「それじゃきみは、魂の存在も信じないし、たとえば、幽霊やゾンビなんかも信じない、と」
「そういうことになる。きみは?」
「いや――」
ぼくは無意識に目線を天井へやった。
「信じてるっていうのは、ちょっと違う。ただ、有りえることではあると思ってる。人間は死んだらどこにいく? 死んだら、その次はどうなる? 人間の中には魂があるのだろうか? 幽霊ってのは一体なんなんだ? ゾンビは本当にいるのか? ありえるのか? そういうことが、科学で証明できるかもしれない。実は公になっていないだけで、すでに証明されているかもしれない。たとえば、大昔は考えられなかったこの地球の形なんかも、ゆくゆくは明らかになっただろ。だからひょっとしたらその要領で……有りえるかもしれない」
「きみの考えは非現実でもあるし、現実的でもあるな。それに、そう言われてみればそうなのかもって、僕もちょっと思ってきたよ」
でも、ま、とアルバートが切り出す。「さすがにゴースターはクレイジーだと思うけど」
ぼくはゴースターを一瞥した。読唇術を会得している人間でも彼が何を言っているかは理解できないだろう。彼の唇は、喋っているのにも関わらず大したアクションを見せない。震えているだけのように見てとれる。
ギョロギョロ動く右目に、微動だにしない左の義眼。不気味だ。
「これは、僕が先輩からきいた話、というより噂なんだけれど――」
「何?」
「ゴースターは、ここの教授になる以前は、アペアスポイル内部の人間だったらしい。自称してるって」
「内部の人間?」思わず食い入り、眉をひそめる。「その言い方だと、ただの社員だった、ってわけじゃないの?」
「無論僕には詳細はわからないし、ぜんぶゴースターのひどい妄想かもしれない。それに自称ってあたりがあやしい。ただ、内部ってよりは暗部って言ったほうがいいみたいだ。ゴースターは、アペアスポイルに設置されてた『死者蘇生研究チーム』のひとりだった、と」
「死者蘇生研究チーム……」
「いろいろあって、ゴースターはアペアスポイルのその研究チームから追い出されたらしい。それで、今はなぜか教授をやってるみたいだ。ここらへんもぼんやりしてるけれど、ゴースターがこうやってここで馬鹿げた授業を好き勝手やっているのは、ゴースターの父がかなりの資産家で、この大学のバックにいる人物のひとりだから、この大学の人間はゴースターにはなにも口出しできないらしい」
「まって、もしゴースターが本当にその研究チームの元メンバーだったとして、なんでアペアスポイルには咎められないんだ? いや、元メンバーでなかったとしたらなかったとしたらで、アペアスポイルにとってはこんな作り話されたらたまったもんじゃないはずだ。だからゴースターに注意がいってるんじゃ……それにアペアスポイルの死者蘇生についてはちょっとした都市伝説だからきいたことがあって半信半疑だけれど、ゴースターがそこの人間だった、てのは信憑性がほとんどないね」
「ゴースターが研究チームの元メンバーだった、ってことについては真偽のほどは不明だ。でも、アペアスポイルは一応、ゴースターのその過去については否定していて、一度大学を通してゴースターには厳重注意したらしい。だけど無理だと。大学側も何もできないし、別に授業をきいている生徒なんて今までにいないに等しいし、それにアペアスポイルにとってはそんなんちっぽけな害にすぎないから、もうゴースターに対するお咎めはあきらめた、と。小さな講堂、そして少人数相手にぼそぼそやる以外には大きな行動をとらないみたいだし、アペアスポイルは一周回ってあたたかい目で見守るようになったとかなんとか」
アルバートの口ぶりや態度からすると、これらのことを本当に一切信じておらず、馬鹿にしたような口調だった。
アペアスポイル社が死者蘇生について研究しているのは事実だ、とぼくが話しても信じないだろう。
ぼくがその死者蘇生研究チームに招待されている、と話しても、冗談だと思って、信じないだろう。
とりあえず、今日のアルバートとの会話はゴースターやアペアスポイルのことばかりだった。
今日の授業がすべて終わった後、エイブラハム・アップルヤードとの予定があったために本当はそのままアペアスポイル本社へと直行したかったが、その前にまずゴースターの部屋へと足を運ぶことにした。
ゴースターは、授業後は夜まで自分に用意された専用の小さな研究室にこもり、夜になったら大学を出て帰宅するらしい、というプライベートなことさえもアルバートからきいたので、ゴースターに会うにはまだ余裕があるということがわかった。まだ夕方にもなっていない。
ゴースターの研究室のあるC棟は、他の棟と比べて小さく、ゴースターの研究室以外にはほとんどぼくたち学生にも(それから恐らく、他の教授たちにでさえも)用のない部屋ばかりがあるだけで、ここに足を踏み入れる人間はほぼいないと言ってもいいはずだ。
ここは木造だった。それから、今日は晴れだというのに、じめったい。ありがたいことに、ゴースターの部屋は一階だった。階段を使用する必用がない。
ぼくは、薄汚い茶色い木のドアを数回ノックする。トントン、というよりは、ボク、ボク、という音がした。
「教授。いらっしゃいますか? ぼくです。ハロルド・エヴァンズです」
数秒待ってみたものの、返事がない。こんなところで立ち尽くすのはなんとなく嫌だったので、失礼だとはわかっていながらもドアを勝手にあけることにした。返事をする声がぼくに届かなかっただけで、不在であるというわけではないかもしれないし。
ドアをゆっくりと開けると、部屋の中央に禿げ散らかした頭部が見えた。ゴースターは、つっぷして寝ていた。
(なにか研究でもしてるのかと思えば、居眠りか)
内心では呆れたが、
「あの、教授……すみません……」
申し訳なさそうにそっと声をかけてみる。
するとばっと禿げ頭が上がってきて、ゴースターは突然眠りから覚めた。
「……なんだ、君か……まったく、びっくりしたよ……」
「勝手に入った挙句、驚かせてしまいすみません。ノックしてもお返事がなかったので、不安になって。普段夜までこの研究室にいらっしゃるって、きいていたものですから」
でも、入ってみて、よかったです。ぼくはにこりと微笑んでみせて、そう言う。
それにしても、こんな無防備でいいのかと不安になる。
(アペアスポイルにいつ消されてもおかしくないような立場なんだぞ、あんたは)心の中でゴースターに言った。
「それにしても、いきなり……ここへ……なにか用があるんだろう……」
ぼそぼそとゴースターが言った。近くで話す分にはききとれないことはなかった。
「教授のことで、ちょっとおききしたいことが」
ぼくがそう言っても彼は相槌もうたずただただ無言だったので、すぐにぼくのほうから口を開いた。
「教授は、アペアスポイルの暗部の人間であるとききましたが……それは本当ですか?」
ま、ゴースターにきくよりは、エイブラハム・アップルヤード氏にきくほうが信用はできるだろうが。
ゴースターはすぐに返答した。
「……ああ、本当だが……君も興味があるのか……」
「興味ですか? 勿論あります。なぜなら」
すっ、と、軽やかな仕草でぼくはポケットからそれを出して、ゴースターの目線より高い位置でそれを見せた。
アペアスポイル社の入社許可カードだ。
「ぼくはアペアスポイルに招かれている人間だからです」
ゴースターが数回、強く目を瞬かせる。そして机から身を乗り出し、じっとカードを見つめた。
「これをご存じで?」
「……入社カードだ。私がまだあそこにいたときもそのカードだった……そのカードは、社員か、エイブに呼ばれた特別な人間にしか渡されない……なぜアペアスポイルに……?」
「なぜなら。『死者蘇生』を裏でアペアスポイルが研究している、というくだらない都市伝説を高校在学中に耳にしたぼくが、エイブ社長に目をつけてもらいたかったということもあり、死者蘇生についてのぼくなりの見解等をまとめた論文を父の伝手を利用しエイブ社長に送付したところ、やはり彼の目にとまり――こうしてぼくは暗部への招待を受けた――といったところです。参加するか否かは、まだ決めていませんが……」
ゴースターは何も言わない。
「ぼくは、アペアスポイルが死者蘇生について研究しており、またそのための暗部が存在しているということを信じています。信じるもなにも、現実としてこの目で確認しましたしね。もっとも、まだ確認できているのはほんの一部だけれど……暗部についてはともかく、本当に教授が暗部の人間だったのだろうかと、思いまして。いえ、疑っているわけではないんです。もしアペアスポイルに少しでもいたことのない人間ならば、そもそも他人に話をできるほどの知識なんてないはずだ。そうですね、ようするにぼくは……あなたからアペアスポイルのその研究チームについてなにか詳しく個人的にきけたらと……そう思ったんです」
ぎょろり、とゴースターの右目がぼくの顔のほうを向いた。
「……私にきく必要はない。私は、個人的には暗部について話す気はない……」
なら、やっぱり、ゴースターが暗部にいたというのは、彼の妄言なのか?
「嘘だと思ったか……嘘ではない……ではきこう、きみは、私がアペアスポイルのその研究について肯定的だと思うか? あるいは、否定的だと思うか?」
「えっと」
思わず返答に困った。彼の講義での話をまともにきいたことがないし(第一、録音をきかない限りではあんなぼそぼそ喋られたら授業じゃ話をききたくてもきけない)、彼はほとんど無表情で感情を読み取りにくいものだから、彼がアペアスポイルのそれについて肯定的なのか否定的なのか非常にわかりにくい。
(知らねえよ、クソッタレ)
心の中で漏れたのは、ぼくにしては珍しい下品な暴言だった。
「講義を設けている程ですから、ぼくからすると、教授はアペアスポイルのその研究について肯定的であるのかと……」
「ちがう!」
ゴースターがなんの前触れも無しに怒鳴った。怒りの沸点がどうも低いようだ。大きな声に驚いたぼくは、ついつい目を見ひらいて肩をふるわせてしまう。大きな音や声は苦手だ。
「す、すみません。否定しているほうだったんですね」
「……ああ、そうだ……」彼はすぐにいつもの調子に戻った。しかし声は少し震えていて、「私は否定的だ……決して嬉々としていつも話しているわけではない……私は、チームの一員だったために、当然、研究について目の当たりにしてきた……そして」
ゴースターがぼくを見る。
「私も被害者のひとりとなった」
そう言ったすぐあと、彼は立ち上がる。ぼくを追い出したがったのだ。
「私は君たちに注意を喚起しているつもりであの講義で話をしているのだ……だから私は、君に、君が望んでいるような暗部の楽しいお話なんかはできない……いや、するつもりがない……」
「被害者? 被害者と、おっしゃいました? 一体それはどういうことなんですか?」
追い出される前にぼくがきくと、ゴースターの顔がみるみるうちに赤くなってゆくのがわかり、また怒鳴られるのは嫌だったので素早く「すみません」と謝罪をつけたす。
ゴースターにはやはり話す気はないようだった。
「……暗部への参加はまだ決めていないと言ったな……それなら私が今ここでアドバイスしておこう……やめておきなさい。君にも私のように被害者にはなってほしくない……それにあの会社――社長――は……狂っている」
ぼくの予想していた展開とは違っていた。てっきりゴースターは『肯定的』な人間で、喜んでいろいろ話しているかと思っていたのに。これでは、ただ怒鳴られに行っただけじゃないか。
「本当に興味があるなら、講義をきいているだけにとどめておきなさい……」
結局、背中を押され無理矢理研究室を追い出されるはめとなってしまった。
大きな音を立てて閉められた木製のドアに、力を、そして背をあずけるようによりかかる。
(被害者って、どういうことなんだ……?)
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ブラック企業勤めの37歳の高橋 渉(わたる)は、過労で倒れ会社をクビになる。
嫌なことを忘れようと、異世界のアニメを見ていて、ふと「異世界に行きたい」と口に出したことが、始まりで女神によって死にかけている体に転生させられる!
転生先は、スキルないも魔法も使えないアレクを家族は他人のように扱い、使用人すらも見下した態度で接する伯爵家だった。
新しく生まれ変わったアレク(渉)は、この最悪な現状をどう打破して幸せになっていくのか??
更新予定:なるべく毎日19時にアップします! アップされなければ、多忙とお考え下さい!
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
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