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1章

02 フラれ男の晩飯

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「まーだ帰って来ないのかーあの愚弟は。まったく、このままじゃ餓死しちゃうよって」

 ショートカットを真ん中に分けた女――豪篤の姉の前野彩乃(あやの)が、足をバタつかせていた。大きな胸をテーブルに乗せ、その向こうに顔を突っ伏した。
 突っ伏した顔の先には、ごはん、みそ汁、野菜炒めやコロッケやサラダなどの夕飯が用意されている。それぞれから食欲をそそる湯気が立ち上り、おいしさが今まさにピークを迎えていた。
 しかし、かれこれ五分ほど経っても、料理たちは彩乃の胃袋に入ることなかった。レストランの入口に飾られた食品サンプルのように、不動の姿勢を貫いている。
 彩乃がおもむろに顔を上げる。重ねた腕の上に置いてむすっと頬を膨らませた。

「先に食べちゃおうっかなー。このままじゃ、私が作ったのにまずくなっちゃうし……」

 おもむろに箸を取る。

「いただきま――」

 ガチャリとドアの開く音がした。続いて靴を乱暴に脱ぐ音が聞こえ、箸を置いて廊下に続くドアに視線を移した。

「おっ、色男のお帰りだ。どうだったんだろーな」

 イスから立ち上がって、ドアの近くで待つ。まもなくドアが開く。からかってやろうとニヤニヤしていたのだが、豪篤の顔を見てそんな気持ちは遥か彼方へ飛んでいった。

「豪篤、どうしたのあんた……目を真っ赤にしちゃって」
「なんでもねえよ」

 豪篤は適当にあしらい、自分の箸が置いてある位置に座った。

「いただきます」

 みそ汁をひと口すすってから、箸でごはんを大量に取って口に運ぶ。おかずも一気に口に詰め込む。リズムを取るように顔全体で噛み砕く。その痛々しい様子に彩乃は溜息を漏らすと、正面に腰かけ、水差しからコップに水を注ぎ始めた。

「もうちょっとゆっくり食べなよ」

 しかし、豪篤は露骨に無視を決め込んでいるようだ。口と箸を、盛んに動かし続けるばかりである。
 それでも、彩乃はまっすぐ豪篤の目を見つめた。

「……フラれたのね」
「ぐッ」

 豪篤の口から苦悶の声が漏れ、手と口の動きが止まった。

「はい、水。アンタよりも五年長く生きてる独身女を、なめちゃいけないよ」

 彩乃から乱暴にコップを取り、水で口に残っていた物を胃に流し込んだ。

「すーはー、すーはー、すーはー」

 苦しさから開放され、大きく深呼吸を繰り返す豪篤。彩乃はコップに水を注いでやる。
 それを一気に飲み干してから、投げやり気味に言った。

「そうだよ、フラれちまったよ。笑いたければ笑えよッ!」
「そっか。残念だったね。どんな娘(こ)か会いたかったなぁ」
「俺にはもったいないぐらいの美人な奴だった……」
「そうなのっ? あーもう、なおさら会いたかった! いっしょに料理を作ったりしたかったし……あわよくば、うちの会社にバイトとして入ってもらいたかったなー! 主任使えないし、人数たんないし!」

 彩乃は表情をコロコロ変え、ひとり妄想を爆発させている。

「だからさ……」

 豪篤は言ったきり、下を向いて黙ってしまった。

「だから?」
「いや、なんでもない。ごちそうさま。寝るわ」

 豪篤は彩乃から極力顔をそらしつつ、逃げるようにして自室へ入っていった。
 彩乃はイスに座り直すと夕食を食べ始めた。

(あいつ……泣いてたね。ま、外面は暑苦しくしてても、中身はぴゅあぴゅあハートなところがあるからなぁ)



 * * *



 彩乃が豪篤の部屋のドアを開ける。豪篤が覆いかぶさるように、ふとんに包まっている。

「豪篤ー、もう九時だよー。起きないのー?」
「ごめん、もうちょっと寝かせてくれ」

 豪篤はふとんの中から蚊の鳴くような声で答える。
 彩乃は心の中でため息をつきつつ、笑顔を作った。

「わかった」

 ドアが閉められ、彩乃が去っていく。
 豪篤はふとんの中でリモコンの電源ボタンを押し、亀のように首だけ這い出す。
 フラれたショックがまだ強いのか、何も考えずにリモコンのボタンを押し、ザッピングを始めた。
 とくにおもしろいものがやっていなかったのか、電源ボタンを押そうとしたそのときだった。
 テレビ画面に映し出されるメイド姿の女性たちが、慣れた様子で接客している。

「『今、若い男女に人気! 変わったメイドカフェ特集!』か。……へえー」

 ここまでは普通のよくあるメイドカフェの光景だった。しかし、接客しているのが……。

「女装した男?」

 興味を惹かれ、画面に釘付けになった。
 ひとりのメイドが語る。

『やっぱりぃ、男の子でも女の子になりたいって言うじゃないですか! 化粧もしたいし、かわいい服も着たいしー』

 べつのメイドに切り替わる。

『彼女に勧められちゃったんですよー。始めたころは嫌々だったんですけど、だんだん楽しさに気づいてきたというか。それに、この格好をしてると女の子の気持ちが学べますしね』
「女の気持ちが学べる……?」

 昨日の渚の言葉がふと脳裏をよぎる。

『あんたには女ってものを勉強してきて欲しい。とくに、心理的なものを――』

 豪篤はおもむろにふとんを跳ね上げ、

「なるほど、そういうことか!」

 サイフと携帯電話だけズボンねじ込み、部屋を出た。足音を鳴らしてリビングに入るや否や、

「姉貴、ちょっと出かけてくる!」
「ええっ? あ、行ってらっしゃい」
「行ってきます!」

 玄関で靴を履くのももどかしく、かかとを踏みつけたまま出て行った。
 キツネにつままれた様子の彩乃だったが、

「まあ、元気になったからいいか」

 玄関のほうに目を向けながら、優しげに微笑んだ。
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