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3章
21 脱出への誘い
しおりを挟む「何べん言ったらわかるのッ!?」
拝藤組のクラブハウス内の監督室で監督の園木が青筋(あおすじ)を立て、目の前でそわそわしている葵を怒鳴りつけていた。
「物事には順番ってものがあるの! 直属の上司をすっ飛ばしてオーナーでもある社長に言ってどうするの? 言いたいことがあったらアタクシにおっしゃいって、言ってるでしょうがッ!」
「監督に言ってもどうにもならないから、拝藤社長のもとへ言いに行ってるのですが……」
葵は怯えながらも小さな声で反論する。何度も茜の起用法について監督に直談判していた。あの日――日本選手権で負けて以来、毎日1日1試合は練習試合で先発で投げさせられている。ほかに何人ものエース級の投手がいるのにも関わらず、だ。酷使で潰そうとしているのかと疑いたくもなる。だからこそ相方である葵が休養日を設けるように園木に進言するのだが、まったく聞き入れられた試しがない。それゆえに勇気を振り絞って拝藤のもとへ行くのだが、決まって答えが「わかった。善処する」の一点張りであり、園木へ起用法を変えさせようと働きかけなかった。
「お黙りッ!」
園木は拳(こぶし)を執務(しつむ)机に叩きつけた。
「敗戦の汚名を返上するには、実戦で結果を出していくしかないの! その過程で潰れたらそこまでの投手だったってこと!」
何十回と聞いた言葉が金切り声と一緒に飛んでくる。
――選手は駒じゃない。ロボットでもない。生身の人間なのに……!
喉元まで出かかった言葉を必死に飲み込む。口から飛び出れば、今は口頭注意だけで済んでいるところに罰まで加わるだろう。両手を握って震えて耐えた。
「仏の顔も三度までよ。もしも次直談判しにいったりでもすれば……相応の罰を下すことになるから覚悟なさいッ!」
「……わかりました……」
絞り出すようにして言い、葵は監督室を辞した。
「なあ、葵。もういいよ」
部屋に戻った葵を茜が心配そうに声をかけた。
「私なんかのためにおまえが怒られるのはやっぱりおかしいよ。何度も言うけど、キツけりゃ自分で言うからさ。私はおまえが泣きそうな顔でいるほうがつらいんだ」
茜が手を伸ばして葵の頬に手を当てる。
「ごめんね、ごめんね……」
葵は涙を滲ませながら2、3回うなずいた。
「そうそう、新後のお袋さんから荷物が届いてるぞ。受け取ったとき重かったから、きっと米だな」
茜が指差す先にダンボールが鎮座(ちんざ)していた。
「いつもタイミングがいいよな」
クラブハウス内に食堂があるのだが、さすがに夜遅くまでは開いていない。幸い各部屋にガスが通っており、ガスコンロはもちろんシャワー室まである。夜中まで起きている選手の中には、自炊する者もいた。
「今夜早速炊いてくれよ。新後の米は世界一うまくて、ここの米なんか食ってらんねえからさ」
葵は顔だけ振り返って微苦笑を浮かべた。
ダンボールを開けると、中には精米(せいまい)された米が専用の袋に詰められていた。その上に茶封筒が乗っている。
「お袋さんは相変わらずか?」
「うん。『元気にしてるの? ちゃんとご飯食べてる?』のかって」
実は中学校のころの同級生と逢ったとも書いてあったのだが、べつにこれに関しては茜とは無関係であり、特に言わなかった。
ダンボールを持って、キッチンスペースに向かった。米櫃(こめびつ)に真っ白な米を満たしていく。しかし、途中で注ぐ音が止まった。米の中にもうひとつ茶封筒がビニール袋に入れられて入っていたからである。
――なんだろう?
封筒を破って中身をのぞいてみる。
――ポケベルとボタン電池とトイレットペーパーの切れ端……?
トイレットペーパーの切れ端をつまんで広げる。そこには電話番号らしきものが書かれていた。
――これってもしかして……。
葵の頭が急速に回り出す。何年か前の帰省の際に、ふとしたときに玲子が昔の坂戸との思い出話を聞かされたことがあったのだ。何十年も会っていないそうだが、思い出を語る玲子の顔は生き生きとしていた。
――坂戸さんが何かしようとしてる? なんのために? 敵同士のはずじゃ……。
疑問を脳内で分析する。
――必要としてる? 誰を? 私を? 誰かを得るために繋ぎを作りたいのかな……?
「葵ー、どうしたー? 腰でもやったか?」
茜が呼びかける声に突然回路が繋がる。ハッキリとした答えが導き出たのだ。
――まさか! 坂戸さんが必要としてるのって……!
封筒に中身を戻しつつ、ベッドに腰かけて自分の右手を揉んでいる茜の前に立った。
「茜ちゃん、ここから出よう」
「は? 何を突然……」
茜が顔を上げると決意に満ちた目をしている葵がいた。ただならぬ雰囲気を察した茜は、しばらく意図を探るかのように葵の目を見据えたが、まったく読み取れずにかぶりを振った。
「ムリだ」
「このままじゃ、茜ちゃんが潰れちゃう」
親指の爪先をくわえつつ耐えきれず涙をこぼす葵に困惑する茜は、あえて厳しい口調で言った。
「私はここから出れないな。ましてや、こんな酷使に追いやった原因になった新後アイリスに行けってか? そんなの死んでも嫌だね」
「それは逆恨みだよ。間違ってるのはここのやり方だよ!」
茜の口からため息が漏れた。
「……たとえ間違ってとしても、私は拝藤組のエースでありたい。この腕がぶっ壊れる限りはここで投げ続けたいんだ。葵はなんで私が本当にここに入ったかわかるよな」
茜は決して最初からエースというわけではなかった。高校時代は名門で投手陣の層も厚く、控えに甘んじていた。対外的な実力も名声も何もなくて当然プロにも行けず、声をかけたきた企業も地区大会の一回戦で消えるようなチームばかり。自分の野球人生がこれでいいのかと考えた末、社会人野球の頂点に君臨(くんりん)する拝藤組の入団テストを受けることを決意。そのテストにギリギリの成績で通り、甘えていた心を入れ替えて厳しい練習に耐え、毎日戦う様々なチームとの戦いで己を鍛えあげた結果、今のエースの一番手の地位を手にした。
対して葵は高校時代、弱小高校だった母校を甲子園まで連れて行った活躍を園木が聞きつけ、特に苦労もなく拝藤組に入れた。しかし経緯は違えど、葵も厳しい生存競争を勝ち抜いて正捕手の座を獲得した。ただ、決して園木が贔屓(ひいき)をしているとかそういうわけではなく、実力で勝ち取った立ち位置なのだ。
「日本一のチームで日本一のエースになりたい……んだよね」
「わかってんならこの話はこれで終わりだ。酷いこと言うようだけど、葵が出て行きたければ出て行くしかない。私はここにいれば自分を高め続けられると思ってる。クラブチームなんて所詮、企業チームには入れなかった素人の集まりなんだ。そんなところで私が混ぜってまで野球をしたくない。なんのために拝藤組に入ったかわからないじゃないか。だからさ、私も今の話を忘れるから、今後は口に出さないでくれ」
茜はこれ以上は話すなと言わんばかりの口調で突っぱねると、ベッドから立ち上がって玄関のほうへ向かって行く。
「監督――社長の言うことは従わなきゃならん」
感情のこもっていない茜の声が葵の耳に突き刺さる。直後にドアの閉まる音がした。
残された葵は目で追うこともせずその場から動けず、しばらくの間暗い目で虚空を見つめ続けた。
ふたりの間に大きな亀裂が入ったことはまず間違いなかった。
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