新旧ペア

春光 皓

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新旧ペア

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 パチパチパチパチ――……

 惜別の言葉が飛び交う中、古谷幸介ふるやこうすけは輪の中心にいる女性に拍手を送っていた。

 彼女の名は新木陽子あらきようこ
 彼女は今日、この会社を退職する。
 思えば彼女と出会ったのも、今日と同じように梅雨と夏の狭間に訪れた、良く晴れた日だった。

 今から約二年前、会社恒例の時期にあった人事異動で、彼女は関西支部から東京本社へと異動になり、幸介と同じ部署で勤務をすることになった。

「本日付で関西支部より異動してまいりました、新木陽子です。関西からの異動ですが、関西弁は話せません。出身は関東は茨城県ですので、むしろ茨城弁が出てしまうかもしれませんが、その時は茨城弁で返していただけると嬉しいです。よろしくお願いします」

 彼女の自己紹介を聞いていた社員からは「いや、返せないだろ」と笑いが起き、最初から人の心をがっちりと掴んでしまっていた。

 彼女は自分の話をする時も一人一人に視線を送りながら話すのだが、この時彼女と視線がぶつかった際に見せた笑顔は、暫くの間、仕事の邪魔をする程のものだった。

 彼女に感じた第一印象は、「名前に負けない明るさを持っている人」で、そのあまりの明るさはまるで、家で溜め込んできた元気を会社で発散している、そんな印象さえも受けた。

 そんな彼女とは、今日まで仕事上のペアを組んでいた。
 理由は至極単純なもので、お互いの苗字に「古」と「新」が入っていることに一人の先輩が気付き、彼女が二個下の年下だったことから「これは新旧交代に違いない」とからかわれ、そのまま半ば強引に、通称「新旧ペア」としてペアを組む流れになったからだった。

 最初はそんないい加減な理由でペアを決めてくれるなよ、と内心思っていたが、彼女は「確かに! ペアになるための名前かもですね」とどこか天然で、満更でもない顔をしていてことを、今でもはっきりと覚えている。

 きっかけは何にせよ、彼女との仕事は楽しかった。

 持ち前の明るさと協調性で取引先のウケが良いことはもちろん、年下とは思えない程に機転が利き、痒い所に手が届く、そんな細かなサポートを嫌な顔一つせず、率先して行ってくれた。

 それだけではなく、彼女は突然突拍子もないことを言うことがあった。
 例えば「サンドイッチとおにぎりってセットで食べると満足感が凄いですよね」とか、「この前レンコンに顔を書いてにらめっこしてみました」とか。

 いつも奇想天外、予想の斜め上を行く言動で、一緒にいる時間がとても心地良いものに変わり、気が付けば彼女と話すことを楽しみするようになっていた。

 ちなみにレンコンは茨城県の特産品らしく、時々実家から送られて来たという大量のレンコンの差し入れが会社のデスクを占領していた。

 彼女のお陰で仕事を効率的に、かつ楽しみながら取り組めるようになってからというもの、業績も目に見えて良くなり、ペアを組んで半年が経つ頃には「新旧ペア」の名前は流行り病のように、名前だけが独り歩きする程になっていた。

 そんな中、飛ぶ鳥を落とす勢いだった「新旧ペア」の前に、一つの事件が静かに起きる。

 この「新旧ペア」の噂を良く思わない人は、残念ながら社内に一定数はいた。

 彼女は何が起きてもまるで気にしていないような素振りをしながら、部署の全員に聞こえるようにわざと大きな声で「古谷さんもこんなこと気にしないで下さいね。嫌なことがあったらため込まず、このレンコンに書き出してください」「それじゃレンコンが報われねーって」とネガティブを笑いに変換させるなど、常に周りに気を使いながら日々を過ごしていた。

 事件当日は外回りから帰社した後、二人で残った業務を片付けていた日だった。

「古谷、新木さんお疲れー」
「古谷くん、陽子ちゃん、お先ね!」
「「お疲れ様でしたー」」

 次々と同じ部署の人たちは退社していく。

「二人とも、売上が上がって忙しくなっているとは思うがあんまり無理するなよ。気にする必要は一切ないが、ここんとこ色々とあったわけだしな……。また何かあったら、今度はすぐ俺に直接言ってくれ。じゃあ、お疲れ様」
「「ありがとうございます。お疲れ様です」」
「あ、最後は電気もよろしく」

 そう言い残し、最後まで残っていた部長も退社した。
 時刻は二十時を回ろうしている。

 他の部署の島は全て消灯しており、会社に残っているのは二人だけのようだった。

「んー、今日は早く上がれそうだな……」

 部長の言う通り、ここのところ残業が続いてしまっている。

 慣れない業務に加えてあの気の配りよう、彼女の負担も相当のものだろう。
 そう思って彼女には時間の区切りをつけて帰宅するよう促し、彼女に余計な気を使わせないよう途中まで一緒に帰宅する振りをしてから、残りを一人で片付けるようにしていた。

 時計を見て目標の退社時刻を決めると、気合いを入れるように背伸びをし、ため息とともにパソコンの画面に目を移す。

 すると突然、いつもと声色の違う声が小さく耳に届いた。

「古谷さん……、ごめんなさい」

 パソコンのモニター越しに、彼女の方を見る。
 彼女は俯き、肩を震わせていた。

「ど……、どうしたの?」

 急いで席を立ち、彼女の元へと駆け寄った。

「実は明日の会議で使うデータが……」
「なんだ、まだ出来ていなかったのか? 言ってくれよ、水くさい。「新旧ペア」にそんな遠慮はいらないだろ」
「やっぱり今日も残業か」と思いつつ、彼女を安心させるための笑顔を作る。
「違うんです……。データが……その、消されていて……」
「……え? 消された? いつ?」

 思いもよらない回答に、驚きを隠せない。

「古谷さんとの外回りから帰って来て、しばらくしてから気が付いて……」

 会社を出ていたのは十四時から十八時過ぎ頃。
 十六時から定時までは外回りの二人を除いて部署内ミーティングがあった為、この島の人は誰も席にいなかった。

 やり方はわからないが、パソコンのロックさえ解除出来れば、データを消そうと思えば消すことが出来なくはないだろう。

「何で気付いた時に言わなかったんだ?」
「もう帰っている人もたくさんいましたし、それに……、犯人捜しをしたって、データが返ってくるかはわからないじゃないですか……」
「それはそうだけど……」

 束の間の沈黙が二人を包む。

「そもそも私がちゃんとパソコンにロックを掛けていなかったせいでこんなことに……。本当にごめんなさい」

 彼女の口から聞いたわけではないので憶測に過ぎないが、ここ最近色々あった手前、部署のメンバーに心配を掛けたくなかったのだろう。

 笑顔を共有することはあっても、不安を煽ることは絶対にしない。

 彼女はそういう人だった。

 だからこそ、彼女に惹かれたのだから――。

「悩んでいても仕方ない。やろう! まだ明日まで時間はある」
「そんな……古谷さん、連日残業じゃないですか。大丈夫です。今のはただの業務上の報告で、何としても明日の朝までには私が仕上げますから」
「あのな。「新旧ペア」は元々「新旧交代」って意味で付けられた名前だろ? つまり、二人いないと言葉は成立しないんだ。あと……、「旧」をなめてもらっちゃ困るね」
「はい……、ありがとうございます」
「それに、これくらいで弱音を吐いていちゃ「新旧交代」なんて出来ないぞ。人のこと気にしている暇があったら、ほら、手を動かす」

 その後はお互いにあらゆる欲求もどこ吹く風、必死に資料作成を行い、なんとか朝日が昇るより先に資料の復元、いやそれ以上のものを仕上げることが出来た。

「古谷さん、本当にありがとうございました。あの、これ」

 彼女はそっと缶コーヒーを差し出した。

「さんきゅー。もう気にするなって。それより、これから「新旧ペア」に隠し事はなしだぞ」
「わかっています。あと、その……」
「言わないよ」
「え?」

 彼女の大きな瞳が、更なる丸みを増している。

「これが良いことなのかはわからないけど、データを消されたこと、社内の人には言わないよ。明日……、もう今日か。今日の会議でバシッと決めて、やった人を見返してこの件は終わりにしよう」
「ありがとうございます!」

 彼女は床に向かって大きく、大きく叫ぶようにお礼を言った。

「古谷さん。「新旧ペア」に隠し事はなし、なんですよね?」
「そうしてもらえると助かるよ」
「実はもう一つ、言っていないことが……」


 これが「新旧ペア」しか知らない、静かな事件だった。



「えー、本日を持ちまして、新木陽子さんは退職となります。新木さんは時に課を、時に部署の垣根を越え、様々な形でこの会社の潤滑油として働いてくださいました。新木さんはこの会社に多くの会話と思いやり、そしてたくさんの混乱や問題を私たちに与えてくれました」

 部長の言葉に、思わず全員が笑顔になる。

「今みなさんの表情にも現れておりますが、この笑顔こそ、新木さんが我々にもたらしたものであり、功績なのだと私は思います。新木さんが会社を去ってしまうことは大変残念ではありますが、新木さんが残してくれたものを私たちがしっかりと受け継ぎ、更なる向上に繋げて参りましょう。それでは私が長々と話すのもあれですので……、新木さん。最後に一言お願い出来ますか?」

 部長から彼女にバトンが渡される。

 彼女は小さく「はい」と言うと、この場にいる全員の顔を見渡してから、ゆっくりと話し始めた。

「えー、みなさま。お忙しい中ご挨拶の時間をいただき、ありがとうございます。この東京本社に来て約二年と、期間にしてはあまり長い時間というわけではありませんでしたが、本当にお世話になりました。みなさまと出会い、そしてたくさんの時間を共有できたことを、心から嬉しく思っております」

 社員からの「硬いぞー」の声に微笑みを見せながら、彼女はこの日のために用意した言葉というよりも、今まさに感じている想いを言葉にするように続けた。

「関西支部よりここへの異動が決まった時は、茨城県を出て上京した日の次に不安を覚えたことを、今でもはっきりと覚えております」
「基準が可笑しいだろ!」
「硬さ取れすぎ!」

 鋭い突っ込みとともに、和やかな空気が会社を包み込んでいく。

「本当にたくさんのご迷惑とご心配をお掛けしたと思いますが、その分、私は私らしくいられたような気がしています。ここで過ごしたかけがえのない思い出と一緒に、私はこれからも自分の名前に負けないくらい明るく、人生を楽しんでいきたいと思います! 本当にありがとうございました!」

 彼女の笑顔に吸い込まれるように、今日一番の拍手が送られる。
 彼女は深くお辞儀をしてから顔を上げると、陽だまりのような優しい笑顔で言う。

「最後に。「新旧ペア」は今日で解散になってしまうけど……これからもよろしくお願いします!」

 笑顔を向ける彼女の薬指には、指輪がはめられている。

 その笑顔に応えるように頷いた幸介の指にも、同じ形の指輪がはめられていた。
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