雨の種

春光 皓

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月の出る夜

月の出る夜

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 遠くからぼんやりと音が聞こえてくる。

 断線したイヤホンを通して聞こえるように、ところどころでノイズが混じる。

 その音が「声」だと気が付くまで、洸太郎の心は、乱れた音の中を彷徨っていた――。


「……郎! どうした?」
「洸太郎? ねぇってば!」


 魂が身体へと戻るかの如く、一瞬、洸太郎の身体が痙攣する。

 やたらと目が乾き、洸太郎は意識して強い瞬きを繰り返す。

 ふと視線を落とすと、まだ『通話中』と表示されたスマートフォンが落ちていた。

 洸太郎は慌てて耳へと戻し、「すみません」と言って、会話を再開した。


「それで……、神木様に何か変化はあったんですか?」

『上の方の枝の先は、既に枯れているように見える。それよりも、以前まで感じていた「生気」のようなものを、まるで感じなくなった。恐らく、神木様はもう――』


 高木はありのままの状況を、淡々と伝えていく。

 洸太郎は神木様の姿を想いながら、黙って話を聞いていた。


「……そうですか。はい、はい。失礼します」


 洸太郎はゆっくりとスマートフォンを耳から離し、向けられた視線と向き合っていく。

 そして、まるで伝書鳩のように、聞いたままをそのまま言葉として吐き出した。

 その言葉には、少しの魂も宿らなかった。


「は……、はは。二枚同時に散ったって? そんなことってありなのかよ」


 洸太郎の話を聞き終えた大介は、瞳孔が開いたまま一点を見つめ、口角だけを引き上げて笑みを浮かべていた。

 一方で、思考がその場で足踏みを続けても、動き出した現実は加速の一途を辿って行き、更に大きな事実に上書きされていく。


「今日の夜だ」


 森本は握った両手と額をつけ、俯きながら呟くように言った。

 そして、ため息にも似た大きな息を吐き、ゆっくり顔を上げる。


「今夜――空には『月』が出る」


 森本の鋭い視線は、洸太郎の瞳を掴むように捉えていた。


「最後の葉が散った夜。それが『月』の出る最初の夜だ」

「今夜ですか? そんな情報、一体どこから……」


 時計を確認してから瑠奈が尋ねると、森本は「あぁ」と言って頷いたが、情報の出所に関しては「それは……おいおいな」と言葉をにごした。

 そして、「そんな急に……」と千歳が森本の言葉を確かめるように言うと、森本は「俺だって、まさか二枚同時に無くなるとは思わなかったよ」と視線を下げたのだった。

 ――これから僕は……。

 店に幾ばくかの音のない世界が訪れる中、洸太郎は鏡張りの部屋にでもいるかのように、自分とだけ向き合い、半ば強制的に自身の心の内と対話する。


「え……でも、確か高木さんの話では、前回は雨の降らない時期が一ヶ月続いたって……。神木様が生まれ変わるのが『月の出る夜』だとすると、月が出るのは神木様が枯れてから、それなりの日数が必要なんじゃ……」


 瑠奈は眉間に皺をよせながら、高木に言われたことを思い返すように言った。


「それだけを事実として考えると、確かにそうだ。だがな、月が空に出るのは、何も一回ってわけじゃない。ただ、問題はそれが何回、そしていつ出るのかはわからないことだ。前回が空に出たのが、たまたま神木様が枯れてから一ヶ月後だっただけでな」

「『二回目の月』? じゃあ、一回目の月が出たのは――」


「神木様が枯れた日――つまり、


 緊張感が張り詰めていく中、森本の言葉はせきを切ったように流れ出す。


「今日の次は一ヶ月後かもしれないし、一年、あるいは、もっと先になるかもしれん。だからこそ、今夜を逃しちゃいけないんだ。恐らく――」


 森本は言葉を選ぶことなく言った。


「今夜を逃すと、人類は終わりだ」


 その言葉が洸太郎の脳裏に突き刺さり、思考回路を遮断する。

 そして、行き場を失った思考は、森本の声で強引に次の道へと舵を切る。


「理由は簡単だ。前にも言った通り、月は空が雲に覆われていたら現れない。即ち、今夜を皮切りに、これからは日中に日差しが指し込む日が出て来ることになるからな。それでいて、夜に月が出るかは運任せだ。こんな状況では、人類が生き残れる可能性は極めて低いと言わざるを得ない。この前テレビで報道された内容が、まるで『映画の予告』だったかのように、そこら中で人の叫び声が聞こえてくるだろうよ」

「嘘だろ……、そんな……」


 大介が森本の言葉に反応して言った。

 洸太郎の目には、妙に落ち着き払った森本の、ただ目の前で煙草に火をつけている映像だけが静止画のように映し出されている。


「それにな――俺がわざわざ直接言いに来た理由は、これだけじゃない」


 吐き出された煙草の煙が一本の線となって迷うことなく直進し、机に当たって左右にわかれた。

 洸太郎は意味もなく、煙の行方を追うことしか出来なかった。


「お前らの……準備が出来てるかってことを確認しに来たんだ」


 森本は洸太郎と瑠奈に、強い意思を持った視線を送った。

 その視線がようやく洸太郎の心と身体を結び付け、言葉を生み出していく。


「僕らの準備……? それはつまり――」


「この世界のために、だ」


 心臓は正常な機能を果たさなくなったが、洸太郎の思考は既に、一つの答えへと繋がっていた。
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