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五章

その32 やがて歯車は狂い出す

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 九月。始業式。

 夏休みに完全適応してしまった体を無理矢理に叩き起こして、寝ぼけ眼で朝食を食べた。ほとんど毎日来ていたような制服に袖を通して、正鞄を抱えて日ノ宮学園までの道程を歩いていく。

 入学してから、もう五ヶ月近くも経っている。通学路も見慣れてしまったものだ。

 学園が近づいてくると、生徒の数も多くなって来ている。夏休みの出来事を語り合う彼らを横目に、俺はそそくさと道を進んでいく。友達が見当たらないからだ。まぁ俺の友達と言っても、クラスの男子と文芸部くらいしかいないんだけどね!

 未だに日差しは強く、強く俺を照りつける。そのせいで、まだ夏休みなんじゃないのかと錯覚してしまう。だが、残念なことに、今日はもう九月。グッバイ夏休み。

 正門を通り過ぎ、下駄箱で革靴を上履きに履きかえる。その最中で、ようやく友達と出会うことができた。

 「おはよっす山梨ー」
 「………………あ、俺か」
 「おいおいしっかりしろよー!自分の名前を忘れんなって!」
 「自分の名前どころかお前の名前も忘れてしまったよ」 
 「マジかよ!とんだ大馬鹿だな!夏休み気分が抜けてねーぞ!」

 クラスメイトの呼びかけに、少しばかり戸惑ってしまった。

 夏休みの間、名字で呼ばれることなんてなかったからだろうか。すっかりと忘れてしまっていた名字呼びに、僅かなむず痒さを覚えつつ、クラスメイトと共に教室へ向かっていった。

 しばらくすると担任の先生がやってきて、ホームルームを行った。その後は体育館に移動して始業式だ。夏休み中にお世話になった校長先生の話を聴いて、特に何か起こるわけもなく始業式は終了した。

 俺達は教室に再び戻り、ホームルームとなる。今日は午前中までなので、これが終われば本日は解散だ。
 クラス委員長が号令をかけて「ありがとうございました」とクラスメイトの声が教室に響く。先生もお辞儀をして、教室を出ていった。すると首輪から解き放たれた犬のように、クラスは一瞬で騒がしくなった。

 今日はどこに行くとか、何をして遊ぶだとか、楽しそうに話しているクラスメイトを余所に俺はさっさと帰り支度を済ませて教室を出ようとする。

 教室後方の扉に手をかけた時、教室内のクラスメイトから声をかけられた。

 「おーい、山梨ー。これから何人かでファミレス行こうって話になってるんだけどさ、お前もいかねー?」

 今朝のクラスメイトが俺に声をかけてくれた。ありがたい申し出なのだが、俺は━━━━



 「あー、悪い。これから部活なんだ」



◆◆◆

 「おーシュウじゃーん。お久しぶりー」
 「お久しぶり~、って昨日も会ったけどな」
 「夏休みが明けても、シュウはシュウのままですね」
 「そうだな。特に何もしてないからな」
 「というかシュウ。課題は結局間に合ったの?」
 「そこは心配するな。今日提出じゃない課題もあるんだ」
 「間に合ってないんだねー」

 文芸部の扉を開くと、既に他の部員が集まっていた。

 夏休みの期間中も文芸部は活動していたので、久しぶりという感覚は薄い。というか夏休みの大半は文芸部で過ごしていた。あれ…?そう考えると、俺の夏休みはほとんど毎日女子と過ごしていたってことになるのか?意外と凄いな。

 いつものように、長机付近にパイプ椅子を持ってきて腰掛ける。ハルは扇風機の風を浴びて長い髪をなびかせており、ナツキは今日もらったプリントの整理なんかをしている。フユカもいつもの通りといえばいつもの通りに、長机に突っ伏していた。

 後一人、足りない部員を視線で探して誰ともなしに尋ねた。

 「アメは来てないのか?」
 「来てないよー」
 「結局、夏休みも途中から来ませんでしたね」
 「何か病気とかにかかってないといいけど……」

 ふむん。どうやらアメは来ていないようだった。

 星空を観察した四つ目の不思議以降、アメは文芸部に顔を出していなかった。そのことで、別に口うるさく問い合わせたりなんかはしていない。元々そんなに厳しい部活ではないし、参加を強制しているわけでもない。

 ただ不思議には思う。確かに、友達が多いアメやハルなんかは文芸部の活動を休みがちではあったが、ここまで長期間参加しなかったのは初めてだろう。

 そのせいで、とまでは言わないが、文芸部の活動は止まっていた。

 四つ目の不思議以降、夏休み中に解明はおろか作戦会議すらも行っていなかった。

 全員で解明してこその七不思議だ。そこに不満はないが、あまり解明が長引くのも良くはない。まぁ流石に今日くらいは参加できるはずだろう。そんなことを考えながら、俺は白紙の課題に手をつけ始めた。

 それから十数分が経った頃、文芸部室の扉が開かれた。

 ガラガラとスライド型の扉は音を立てて、俺達に来訪者を知らせる。そこにいたのは、久方ぶりに目にしたアメであった。

 「おぉ!久しぶりだなアメ!」
 「うわ、本当に久しぶりね。夏休み来なかったから皆結構心配してたのよ?」
 「うん。皆久しぶりだね。さっそくだけど、夏休みのことも含めて皆に話があるんだ」

 挨拶もそこそこに、アメは突然切り出した。

 「話、ですか?」
 「そうそう。ちょっとばかり聞いてほしい」

 首を傾げるフユカ。俺達にも全く想像はつかない。話とは一体なんなのだろうか。

 久しぶりのアメは相変わらず、運動部にも負けない筋肉量と長身を誇る爽やか星人のままだ。何かが変わった様子は見られない。ただ、いつもの違う点を上げるとするならば、少しばかり緊張しているところだろうか。その理由も定かではない。アメでも俺達相手に緊張することなんてあるのか。
 後、緊張以外にもなぜだか嬉しそうな顔をしていた。良い知らせを持ってきた、みたいな感じ。高校の合格が決まって、それを親に言う前の子供のような、そんな感じ。


 しかしなぜだろう。俺はそんなアメを見て、小さなけれど確かな不安を抱いていた。

 ギシリギシリと不快な音が、どこからか聴こえる気がした。そんなわけはないのに、聴こえる気がした。

 「実は━━━━」

 ゆっくりとアメが口を開く。そして、決定的なその言葉を告げた。




 「僕、恋人ができたんだ」




 ビキリとひび割れる音がした。

 壊れたのは一体何だったのだろうか。でも、答えはなんとなく想像がついた。



 それはきっと、文芸部の歯車だったに違いない。
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