ゆうしゃのあゆみ

秋月 銀

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第二章 引きこもりの少女

21 そして勇者は立ち上がる

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 滞在六日目の夜。

 ルルはこれまでと同じく、クレアの部屋で就寝の準備を行っていた。話し始めると直ぐに仲良くなれた二人は、今では一緒に寝ているのである。

 絨毯の上に敷き布団と掛け布団の両方をルルは準備する。クレアもその横に同じ寝具を並べて置いた。ベッドは使わず、眠くなるまで色んな事を隣同士で喋るのだ。クレアは最初、ルルに対する警戒心を抱いていたのだが、今となってはそれはもうない。体は小さいけれど、姉貴分として頼りにできるレベルまで仲良くなっていた。

 「もう灯り消すぞ」
 「はい、どうぞ」

 天井の中央に設置されていた魔力灯の魔力供給を停止させる。いきなり暗くなるのではなく、ゆっくりゆっくりと明るさを失っていく。その様子を二人寝転んで見るのは、ルルは嫌いではなかった。

 やがて室内には暗闇がもたらされる。暗闇に慣れていない眼では、隣のクレアの顔がかろうじて見えるくらいだ。そのクレアの表情は期待に満ちていた。

 「ルル、ルルっ。今日はどんな話をしてくれるんですかっ」
 「んぁ?そうだな……」

 クレアを見ていると、子犬みたいだなとルルは思った。同じ年下でもタクトとは大違いだ。タクトはたまに生意気な事を言うが、クレアは打ち解ければ素直で可愛らしい。ルルにとってクレアとは、友達というより妹と表現した方がしっくりきた。

 「今日はオマエの話をしよう」
 「私の話ですか?そんな面白い話はありませんけど…」
 「ああいや、面白い話じゃないんだ。アタシが聞きたいのは」

 そんな何気ない口調で、ルルはクレアに尋ねた。

 「アタシが聞きたいのは、なんでクレアが外に出たがらないのか、だ」
 「………………………」

 クレアは押し黙った。勇者に選ばれたから、では到底納得出来ない。納得してもらえない。短い付き合いだが、過ごした時間は濃密だったクレアとルルは、なんとなくだがお互いの事を理解し始めていた。

 ルルは何も考え無しにこの話題を振った訳ではない。なんだか今日は、話してくれそうな気がしたのだ。

 暫く無言の時間が続いた後、クレアがゆっくりと口を開いた。

 「ルルは、死の牙デスファングという大猪をご存知ですよね?」
 「ああ、この村に来る途中の森でバッタリ出くわしたよ」

 死の牙デスファングと出逢った事は記憶に新しい。あの時は、タクトのスキル【危機予知】が発動し、姿を見るだけ見て撤退した。

 それがどうかしたのか、と視線でクレアに問いかける。

 「昔……私がまだ小さかった頃。十年前くらいでしょうか。一度だけ、死の牙デスファングが森から出てきた事があるんです」
 「マジかよ。アイツは基本森から出る事はないんじゃなかったのか?」
 「そのはずだったんですけど、その時ばかりは異常だったんです」
 「異常……?」

 クレアの声は僅かに震えていた。

 「人間を見境なく襲うはずの死の牙デスファングが、あろうことか人間達と連れ添ってこの村までやってきたんです。五、六人程で、その人間達は皆、黒いローブを身に纏って顔さえ隠していました」
 「ソイツ達が、あの大猪を従えていたと?」

 ハイ、とクレアは頷く。

 この世界には魔を統べる者、すなわち魔王と呼ばれるであろう者が存在していない。魔物を生み出したのは神だが、神に対しても魔物達は服従の姿勢は見せないのだ。魔物にとって重要なのは自分自身とその種族の存在のみであり、同じ魔物同士であっても種族が違えば、殺し合いが発生するのは珍しい事ではない。

 死の牙デスファングは魔物の中でもとりわけ凶暴な部類に属するはずだ。その死の牙デスファングが何故、人間達に従えられていたのか。疑問が生まれるが、ルルは話の続きを促した。

 「当時の村は大騒ぎでした。今までに何人もの命を奪ってきた大猪がまさか人間に連れられてくるなんて思いもしていません」
 「……それで。ソイツ達が村に来た理由ってのは何なんだ」
 「人を、探していたらしいです」
 「人?なんでそんな事を……」

 話に聞く限りでは黒いローブの集団は、迷子の人探しをしているようではない。明らかに人を連れ去る為に、この村を訪れていたのだ。そして探していた人を連れ去る際に、村人が反抗しない為の抑止力があの大猪という訳だ。この村の人間は、大猪の恐ろしさを十分に理解していたであろうから。

 「その理由はわかりません……。ただ、ある特定の人物を探していたとだけ………」

 クレアの視線はルルの更に向こう。タンスの上に置かれた小物達。その端っこにポツンと置かれている写真立てだ。ルルは一度見た事がある。何の変哲も無い、笑顔で写っただ。ルルの背筋が冷たくなる。この家に滞在して会っていない人物が、その写真には写っていたからだ。

 「まさか………その人物ってのは」
 「ハイ……私の、お母さんです」

 ルルには何も言う事が出来なかった。幼い彼女が、母親と引き裂かれる気持ちなど、到底理解出来るものではない。

 「私は必死にお母さんを引き留めました。行かないでと、泣きながら何度も叫びました。でも、お母さんは私を優しく撫でて『大丈夫』と一言残して、黒いローブ達に連れていかれたんです」
 「………………………………」
 「村の人達も誰も助けてはくれなかった。お父さんでさえ、私を抑えてお母さんを追おうとはしていませんでした。私は何故誰もお母さんを連れ戻してくれないのか、と怒りを覚えました」

 村人達は決して母親を助けたくなかった訳ではない。助けられなかったのだ。死の牙デスファングに、そしてその大猪を従えていた黒いローブ達に恐怖を抱いていたに違いない。ただその事を幼いクレアは理解出来ずに、理不尽だと思ったのだろう。

 「それなら私が助けようと、お父さんを必死に振りほどき、制止も聞かずに黒いローブ達を追いました。後もう少しでお母さんに手が届く。そう思った時でした」

 理不尽に思って行動に移した。だがそれは、正しい判断ではなかった。

 「『やめて!』とお母さんの叫び声が聞こえて思わず止まったんです。私が追いかけたのは迷惑だったのか、嫌だったのか、そう思ったのですか、本当は違っていました」

 クレアの声の震えが段々と大きくなる。目に見えて体も震えているのがわかる。

 「私が止まった時、脇腹に牙が当たっていたんです。いつの間にか横から突進していた死の牙デスファングが私を殺そうとしていて」

 クレアの母親が止めていなかったら、クレアはもしかしたら死んでいたのかもしれない。ただ、クレアの母親の声で大猪が動きを止めたのは奇妙ではあるのだが。

 「凄い風圧が後から来て、思わず尻もちをつきました。そこから視線を上げると、死の牙デスファングと視線がぶつかったんです。私を見る瞳ははっきりとわかる殺意で溢れていました……」

 その恐怖は想像に難くない。幼い子供が浴びるには、多すぎた殺意だろう。

 クレアの声は震え、やがてその頬を濡らす涙が流れていた。

 「私は何も出来なくて、ただ連れ去られるお母さんを見ているだけしかできませんでした……!その事が、悔しくて……!次の日もお母さんを探しに行こうとしました!けど、村の外にどうしても足が踏み出せなかったんです!!その次の日も何度も何度も探しに行こうとしました!!でもその度にあの時の死の牙デスファングの顔が頭をよぎるんです!!村の外に出たら、あの大猪に出逢ったら、私は今度こそ殺される!!そんな事ばかり考えてしまうんです!!」
 「………………………」
 
 ルルはただ黙って聞いていた。

 小さな子供の時に、殺意を知ってしまった少女は、外に足を踏み出せなくなってしまっていたのだ。外に出たくないのではなく、外に出られない。そんな彼女が勇者に選ばれてしまったのは、ただの不幸か神の悪戯いたずらか。どちらにせよ、勇者に選ばれてしまった事は彼女にとって重くのしかかっていたのだ。

 「私は……村の外に出たくない……。魔物や神様なんかと闘いたくない……。私は、死にたくないんです……」

 悲痛な思いが室内に響いた。クレアは止まらない涙を何度も袖で拭っていた。黙って聞いていたルルはやがて口を開いた。

 「アタシ達も一緒だといっても、不安か?」
 「………無理ですよ……いくらルルが勇者だとしても。魔物と闘うのが怖くなくても、死の牙デスファングには敵わないんです…!あの魔物は次元が違う!それならせめて……旅なんか出ないで、家に閉じこもってた方がマシです……」

 大猪が彼女に与えた傷は予想以上に大きかった。その傷をルルには癒やす事が出来ない。けれど少しでも恐怖が和らぐようにと強く手を握った。

 暫くして、泣き疲れたクレアは頬に泣き跡を残したまま眠りについた。ルルは握ったままの手に力を込めた。

 「オマエの恐怖、アタシ達が拭ってやるよ」

 決意を秘めた言葉は、誰の耳にも届く事はなく、部屋の暗闇へと溶けていった。

◆◆◆

 滞在七日目。

 これまで通りの時間に起きて朝食を食べた。いつもと違うのは、食卓にクレアの姿が無いこと。ルル姉によると泣き疲れて、まだ眠ったままらしい。

 昨日のクレアとの話をルル姉から聞いた。彼女が抱いていた恐怖、僕達と一緒に旅に出ない理由、その全てを知る事が出来た。

 朝食を終え、僕は部屋で装備を整えた。それから玄関を開けるとそこには━━━━

 「やっと来たのかよ」
 「ルル姉……」

 ルル姉が戦闘準備を整えて立っていた。背中に弓と矢筒を背負って、腰回りにはナイフが数本、革の胸当ても装備していた。

 「じゃあ、行くぞタクト」

 ルル姉が真剣な顔つきで言ってくる。どこへ?とは聞かない。そんな事は聞かなくてもわかっている。

 「猪狩りだ」
 「待ってました」

 ただ一言そう言って僕達は歩き出す。

 ただ一人の少女の為に、僕達はこれから命を賭けた闘いへと身を投じる。馬鹿らしいと誰かは言うのかもしれない。やめておけと無謀だと誰かは止めるのかもしれない。

 だけど僕達に止まる気はない。女の子一人の笑顔を守れないで何が勇者か。

 僕達は勇者である為に歩みを進める。

 誰であろうと勇者の歩みは、止める事など出来やしない。
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