怖いもののなり損ない

雲晴夏木

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八人目「後輩の怪談でとばっちりを受けたんだ」

やな女だよと、青年はぼそぼそした声で

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 秋の夜のことだった。春から正社員になった俺は、夜のシフトに入ってた。夜シフトに入りたがるのは決まった顔で、その日も顔なじみのおばちゃんと向かい合ってラインに立った。
 コンベアの音に紛れ、やたら甲高い笑い声が聞こえる。明るいトーンじゃなきゃ、幽霊かと勘違いしそうな声だった。顔を上げると、三つ離れたラインに知らない若い顔を見つけた。俺の視線に気づいたのか、向かいのラインで手を動かしていたおばちゃんが「最近入った子」と教えてくれる。別に、聞いちゃいないのにさ。

「茜ちゃんって言ってね、学費の足しにって面接に来たのよ。芭蕉くんが来たときと同じねぇ」
「はあ、そすか」

 その茜ちゃんとやらも、周りのおばちゃんたちに絡まれ世間話に興じているようだった。甲高い声は、笑っていなくてもフロアに響いた。
 話し方といい、振る舞いといい、軽そうな子だった。俺はああいう子が苦手だ。だけどそういうこと口にすると周りがうるさいってわかってるから、おばちゃんたちの話に適当な相づちを打って手を動かしてたんだ。
 そうやって無心で手を動かしているうちに時間は過ぎて、深夜シフトの人たちがやってきた。肩を叩いて「交代」と言われ、会釈と挨拶を交わしてフロアを出たよ。
 帰ったら風呂より先に明日の飯の準備かなと予定を組みながら着替えてたんだ。深夜シフトの人が出て行ってからも俺はもたもた着替えてた。ようやく私服を着込んでロッカールームを出ると、廊下では同じ夜シフトのおばちゃんたちが俺を待ち構えていた。
 何なんだと驚いてる俺に、おばちゃんの一人が言ったんだ。

「茜ちゃん、来るはずだった迎えが来れなくなっちゃったんですって」
「はあ」

 どうでもいい。何でそれを俺に言うんだよ。
 口に出そうだったのを、俺はどうにか堪えたよ。えらいよな、俺。

「バスで帰ろうにも、財布忘れちゃったんですって」
「そりゃ災難すね」

 どうでもいいなと思いながら、相槌を打った。無視すりゃよかったって、今になって思うよ。

「芭蕉くん車でしょ、乗せてったげてよ」
「はあ」

 語尾が上がりそうになるのを、どうにか抑えた。うん、やっぱ俺えらいよな。面倒くさいって気持ちも、俺じゃなくておばちゃんの誰かが送ってやればいいのにって気持ちも、口にはしなかった。
 おばちゃんの後ろに隠れるように立つ茜ちゃんを見るとさ、当の本人は悪びれた様子もしょぼくれた様子もなく、にこにこ笑って立ってたんだ。

「お世話になりまぁす」

 ――送るとは言ってねえよ。

 うっかり喉元まで来た台詞を、俺は必死に飲み込んだ。おばちゃんたちの『当然送ってあげるでしょ』って顔が、目が、そんな台詞を許さなかった。

「家、どっち方面?」

 引きつる顔で精一杯愛想を込めてそう聞くと、おばちゃんたちはにこにこ笑って茜ちゃんを残していった。ひでー人たちだよなぁ。
 駐車場まで、茜ちゃんとは特に会話もなく歩いた。俺は茜ちゃんが苦手だし、茜ちゃんも気を遣うとかそういうタイプでもなかったから。
 街灯に浮かび上がる黄色の前で鍵を取り出してドアを開けてたら、俺と車を見比べた茜ちゃんはにやにや笑ったんだよ。

「かぁいい車に乗ってんですねぇ」

 姉のお下がりだったから、まあ、確かに可愛いデザインの可愛い色合いだった。俺は「姉のお下がり」と素っ気なく答えた。

「姉貴が新車買ったから、もらったんだ。俺、金ないからね」

 茜ちゃんは「へー」とうなずき、躊躇なく助手席のドアを開けた。「お邪魔しまーす」って、のんびりした声で座ったよ。
 俺も運転席に乗り込み、煙草を取り出した。吸わなきゃやってられない。そう思ったのに、茜ちゃんが「あー」という嫌そうな声を出した。

「すいませぇん。あーしたばこ苦手なんですよねぇ」
「……あそぉ」

 火をつける寸前だった手を止めて、俺はドアを開けて外へ出たよ。吸わずにあいつの相手なんか、できやしないからさ。
 閉めたドアに寄りかかって、一本丸々吸い終わるまで茜ちゃんを待たせてやった。それくらい許されるだろ? そうやって夜風の冷たさとニコチンで頭を冷やし、茜ちゃんが待つ車内へ戻った。俺が乗り込むなり、茜ちゃんは「たばこくさっ」とけらけら笑ってたっけ。謝る謂れはないはずなのに、俺はつい「ごめんね」って謝りながら、エンジンをかけてた。
 それから駐車場を出ても、門をくぐっても、俺たちは互いに口を開かなかった。音楽すら流れない車内が賑やかになったのは、海沿いの県道に出てからだったかな。窓に貼り付いた茜ちゃんが、海面を見てにわかにはしゃぎだしたんだよ。

「すごぉい、今日は波高いですねー。窓に飛沫かかってますよ芭蕉さん。ほら、ほぉら」

 別に珍しくもないだろ、と思いつつ「そだね」と短く返した。あんまり窓にくっついてほしくなかったんだよ。中古とはいえ、愛車だし。
 どう注意するか悩んでいる矢先、茜ちゃんが窓を開け始めた。言い回しを考える暇もなく、俺は「ちょっと待て!」と乱暴に声をかけてたよ。しょうがないじゃん。俺の初めての愛車なんだから。

「窓開けんのはやめてくれる? シートが濡れるのヤなんだよね」

 運転中だから、前を見ながらでないと注意できない。茜ちゃんの顔は見えなかったけど、拗ねてるのは空気でわかった。
 茜ちゃんが窓を閉める音を最後に、車内から音が消えたよ。しんとする車内……あれは気まずかったな。だからって俺は茜ちゃんに話しかける気はなかった。ただただ、無言で海沿いを走ったよ。
 二度目の沈黙を破ったのは、茜ちゃんだった。

「……芭蕉さぁん。世間話してもいーですかぁ?」
「あ? ああ……」

 いいとも悪いともつかない俺の返事を、茜ちゃんは了承と受け取ったらしい。「夢、見るんですよ」って、茜ちゃんは潜めた声で語りだした。

「むかぁし……あーしの小さい頃、そですねぇ……幼稚園くらいのときからですかね」

 茜ちゃんの夢はいつも、遠くに山が見えるような、広い原っぱから始まるらしい。幼い子供の胸まである、背の高い草が生い茂る原っぱ。茜ちゃんは自分が夢に馴染むのを待つように、しばらくそこに立ち尽くすんだって。そして突然「帰らなきゃ」という思いに駆られ、草をかき分け走りだすのが夢の始まりだそう。
 道とも呼べない道を走っていると、段々人が踏みしめた道に出る。けど、人とすれ違わない。
 走り続けてるとそのうち、ぽつんと建つ家の前を通りがかるんだってさ。茅葺き屋根の、今じゃ滅多とお目にかかれない古い家。周囲に家は見当たらず、一軒だけが寂しげに建ってるんだって。
 その家の前で、幼い茜ちゃんは足を緩める。呼ばれた、って感じるから。

「でもね、あーしは行かないんですよ。は絶対に」

 ――だってそこは、怖いところだから。
 ――入ってはいけない、恐ろしい場所だから。

 けれど茜ちゃんは家の中に入る。入ってしまう。自分の意思で、じゃない。家の中のに引っ張られるせいで。

「おいでおいでって、があーしを呼ぶんですよ」

 そのに手を掴まれ、腕を掴まれ、服を掴まれ、幼い茜ちゃんは家の中に引きずり込まれてしまう。
 園児の頃は、そこで目が覚めたらしい。怖い夢だなと思って、それで終わり。夢を見る頻度も、その頃は年に数回だけだったそう。めでたい奴だよな。
 だけど成長するうちに夢を見る頻度は増してって、引きずり込まれた家に滞在するようになってったんだって。

「家に入って終わりだった夢が、家の中で知らない誰かと過ごす夢になってくんです」

 夢の家は、いつも薄暗い――って茜ちゃんは言ってた。
 引きずり込まれた茜ちゃんは、玄関の土間で何とか体を起こすらしい。すると奥から男の子が出てきて、茜ちゃんを出迎えるんだって。男の子は、茜ちゃんが成長するにつれ少年、青年へと育っていったそうだよ。
 夢の中で会う彼の顔を、茜ちゃんは一度も思い出せたことがないらしい。顔は確かにそこにあるのに、思い出せるのは濡れたような長い黒髪と白い肌、かすれた色の着物だけ。なのに不思議と、記憶の中ののっぺらぼうの彼を、茜ちゃんは怖いと思わなかったんだ。
 引きずり込まれた家の中、出迎えたは、茜ちゃんを広い座敷へ通す。幼い頃はそこでお手玉やおはじきなんかで遊んだけど、そのうち遊びもせず、ひたすら彼に愛でられるようになってったんだってさ。
 髪を梳いたり、豪奢な着物を着せたり、頬を撫でたり、櫛を飾ったり、愛おしげに見つめたり――はまるで、茜ちゃんを我が子か人形のように扱った。けどその目には、恋慕の感情が浮かんでいる――と、茜ちゃんは感じてたらしい。ほんとかよ?

「まだ、まだ早い。もう少し。もう少しだけ。待とうねぇ」

 涼やかな声がそう告げるから、ひんやりした手で触れられても、茜ちゃんはちっとも嫌じゃなかったんだって。顔を思い出せないを見上げ、幼い茜ちゃんは尋ねた。

「もう少し待ったら、どうなるの?」

 顔を思い出せないは、茜ちゃんを見下ろし薄く笑ったらしい。

「ここ。ここで。僕と、二人きり。ずっと。ずぅっと、一緒だよ」

 それは何だか素敵だなぁと思ったところで、茜ちゃんは目を覚ます。そうなった頃には、茜ちゃんは小学三年生になってた。
 今までは怖いだけの夢だった。しかし今では、と会うようになって、と過ごすようになって、夢は素敵なものに変わっていた。だから茜ちゃんは、「今日はこんな素敵な夢を見たんだよ」と家族に教えたくなった。はた迷惑な話だよな。
 話そうと決めたのは朝食の場。食卓ではすでに両親と姉がいて、座ったのは茜ちゃんが最後だった。

「あのね、夢の中で――」

 そこで茜ちゃんは、大きな音に口を閉じた。不吉な音だった。家族全員、一斉に音の聞こえた方角を見た。そしたらついさっきまでニュースを流していたテレビが、真っ暗になってたんだって。
 新聞を読んでいた父親が「あれ?」とリモコンを操作しても、イライラした姉が乱暴に叩いても、テレビからの反応はなかった。
 母親の刺々しい声が「だから安すぎるものはダメって言ったのよ」と父親をなじったせいで、犬も食わない空気が漂った。茜ちゃんは夢の話をするどころじゃなくなった。
 朝食を終えても、茜ちゃんの両親はまだ口論をしてた。食べ終えた姉が「いってきます」とリビングを出ても振り向きすらしなかった。
 茜ちゃんも姉に倣い、食器をシンクへ置くと小さな声で「いってきます」と告げた。もちろん両親は、まだ口論に夢中だったそうだよ。
 しょうがないなぁと思いながら、茜ちゃんは玄関で靴を履いたんだ。そしたら、背後で気配がした。

「誰にも、誰にも、言っちゃだめ」

 夢の中で会う、の声だった。振り向いても、玄関には茜ちゃん以外誰もいなかったけど。
 そのときの茜ちゃんは「変なの」と思うだけで、別段怖がりもせず登校したんだ。教室に入った茜ちゃんは、先に登校していた友達を捕まえるなり夢の話をしようとした。

「今日ね、すごくいい夢見たんだよ」

 けど、茜ちゃんは廊下から聞こえる悲鳴にまたも口をつぐまされた。廊下を大急ぎで走っていた先生が、転んで窓を突き破って外へ落ちてった――って誰かが詳細に叫んだお陰で、茜ちゃんは何が起きたかを知った。
 三年生の教室は二階にあった。落ちた先生は命に別状はなかったけど、窓を突き破る瞬間を目撃した児童は多くて、大騒ぎになった。またもや茜ちゃんは、夢の話どころじゃなくなった。
 落ちた先生を一目見ようと、たくさんの児童がいっぺんに窓辺へ駆け寄る。茜ちゃんも落ちた先生の様子を見ようと、集団に近づいてった。
 するとまた、背後で気配を感じた。耳元で、涼やかな声が歌うように囁いたんだって。

「秘密、秘密、誰にも秘密」

 振り向いても、そこに声の主はいない。さすがの茜ちゃんも立て続けにこんなことが起これば「あの夢は誰かに話してはいけない夢なんだ」と理解できた。
 理解した上で、生来の軽薄さかそれともひねくれた性格だからか――茜ちゃんは、この夢の話を誰かに聞かせたいって強く思うようになった。
 何度も何度も、どうにか他人に聞かせようとした。でもそのたびに誰かが怪我を、もしくは何かが故障した。
 人や機械への被害は、回数を重ねるごとにひどくなっていく。次第に周囲の人たちも、事故や故障に茜ちゃんが関わっていると気づき始めた。茜ちゃんは、夢の話をするどころか、そばに寄ることすら厭われるようになった。
 茜ちゃんは図太いから、ひとりぼっちになったってちっとも気にしない。

「とにかく誰かに話せればいいって、そればっか頭ん中にありましたからね」

 聞いてくれるなら誰でもいい。茜ちゃんはそう思って、知らない人、仲良くない人にまで夢のことを話そうとした。それでもやっぱり、夢の中のことは最後まで話せない。

「言っちゃだめ。だめって、言ってるのに」

 誰かが怪我をするたび、何かが故障するたび、背後での声がする。最近では、の声には呆れが滲んでいるらしい。けれど、茜ちゃんはやめられなかった。

 ――次は何が壊れるのか。
 ――次はどんな事故が起きるのか。
 ――いつか人が死ぬことがあるのだろうか。

「それが気になって気になって、試さずにいられなくって」

 相づちを打ちながら、俺は茜ちゃんの性格の悪さに呆れを通り越して感心したんだ。だからって、口に出したりしない。口にする余裕がなかったから。
 話の最中から、対向車線にトラックが見えてたんだ。距離はあったけど、何度もセンターラインからはみ出しては戻るを繰り返して危なっかしかった。
 居眠りでもしてんのか? そう思って何度かクラクションを鳴らしてみたけど、トラックは蛇行運転をやめない。
 舌打ちを我慢している俺の隣で、茜ちゃんは話し続けてた。

「でね、いろんな人に話すうちに、気づいたんですよ。あーしだけは被害がないなって。じゃあもし、あーしにも被害が及びそうな場所で夢の話をしたら……どうなると思います?」

 知ったこっちゃない。返事をする気すら起きなかった。
 俺はもう一度、クラクションを鳴らした。トラックはとうとうセンターラインを越えたまま戻らなくなってた。スピードを落とす様子もなかった。このままだと正面からぶつかる。避けようにも車線は片側に一つだけ。
 ガードレールを突き破って海に落ちる方がマシか? そう悩んでいる間にも、トラックは迫ってきてた。
 海の様子を見る一瞬、目を向けた先で茜ちゃんがにたにた笑ってるのが見えたんだよ。

「どうなるか気になるからぁ……芭蕉さんに聞いてもらっちゃいましたぁ」
「ざっけんなよお前……!」

 トラックに潰されるよりマシだって、ガードレールに向かって目一杯ハンドルを切った。けど、遅かった。
 トラックのライトのせいで、視界が真っ白になった。白くなった視界の向こうに、着物姿の青年を見た気がした。
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