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七人目 座敷童の神隠し
夜、軒先で少年は震え
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ある平日の夜のこと。一日分の有休を消化したあなたは、休日最後の〆に『純喫茶・生熟り』で夕食を取ることにした。
家を出た時点で天気は怪しかった。傘を持つか悩み、あなたは結局傘を持たずに家を出てしまった。その選択は店まであと少しという距離で後悔することになる。
店の明かりが見え始めた頃、ぽつりぽつりと降り出した雨は、ざあざあと強い雨に変わった。店はもう見えている。あなたは水たまりを跳ね上げ走った。
軒先に駆け込む。幸い、あなたの服はずぶ濡れにはならなかった。店に入ってしばらくすれば気にならない程度にまで乾くだろう。濡れ鼠にならずに済んだあなたは、胸を撫で下ろして店のドアへ目を向けた。
そのとき初めて、あなたは軒先の先客に気がついた。この辺りでは見ない制服に身を包んだ少年だった。客が出入りするたび、雨のかからない限界まで脇に退いて申し訳なさそうに身を縮めている。
少年の様子があまりにいじらしくて、気の毒で、あなたは少年に、店に入らないかと声をかけた。少年は驚きと警戒の混じる顔であなたを見ると、財布がないと首を振った。
この少年からは、店のそばで傷害事件を起こした青年と似たあどけなさを感じる。けれど彼の申し訳なさそうな顔からは、心細さを感じた。雨が止む気配はない。あなたは少年に雨が止んだらすぐ店を出ればいいと言ってうなずかせ、二人で入店した。
店内には存外客がいた。警戒していた少年も、人の目があることにほっとしたようだ。あなたはいつもの席に座りたいのを我慢し、ほかの客と近い席を選んだ。その選択は少年をさらに安心させたようで、向かいに座った少年はようやく表情を緩めた。
あなたはコーヒーを、少年は紅茶を注文した。頼んだものが来るまでは互いに無言だった。それも、温かな飲み物が体に入るまでの間だ。
体の強張りが解れると心までも解れる。冷まし冷まし紅茶を一口飲んだ少年が、安堵のため息とともにカップを置く。それを合図に、あなたはこんな時間にどうしてこの店の前にいたのかを少年に尋ねた。『純喫茶・生熟り』は商店街からも離れたところにある。学生が好むような店でもない。
あなたの問いに、少年ははにかみ答えた。
「部活を引退して、暇になっちゃって……。僕が生まれる前に両親がこの辺りに住んでたって話を思い出したら、来てみたくなっちゃったんです」
夏から計画して、ようやく今の時期に来ることができた――と少年は語る。
「それにこの辺りには、すごい霊能力者がいると聞きました。どうしてもその人に会いたかったんです」
真剣な顔つきで〝霊能力者〟だなんてフィクションめいた言葉を使うから、あなたは思わず笑ってしまった。あなたの笑顔を見て、少年は困った顔で笑う。
「興味本位で会いたい訳ではないんです。家族のことで、相談したくて」
あなたは笑ってしまったことを後悔した。ハッと息を呑み謝るあなたに、少年は困り顔のまま「いえ」と首を振る。もう霊能力者には会いに行ったのだろうか。もしかしたら、似たような対応をされたのかもしれない。
恥じ入り縮こまるあなたの正面で、少年は紅茶をちびちびと飲む。冷ましては一口、もう一度冷ましては一口と飲む仕草に、あなたの目が集中する。少年はあなたの視線に気づくと、恐縮した。
「すみません、猫舌なもので」
あなたはお詫びのつもりで、少年に軽食を奢ろうと持ちかけた。少年は遠慮するが、あなたは譲らない。笑ったことへの謝罪の気持ちはもちろんある。しかしもう半分は、期待だった。
――霊能力者が必要になるほどの話を、聞かせてもらえるかもしれない。
あなたの期待は、病的と呼んでも差し支えないだろう。きっと少年の目に映るあなたは、目をぎらぎらと光らせている。申し訳なさかあなたの目の光を不気味に思ってか、少年は頑なに食事を断る。
しかし、ぐぅ、と間抜けな音が響けば話は別だ。
顔を赤くする少年に、あなたはとどめとばかりにメニューを差し出した。腹の虫の訴えには勝てないのだろう。遠慮しつつ、少年はナポリタンを選んだ。
あなたも同じものを頼むため、店員を呼ぶ。今日はナポリタンがよく売れているらしい。すぐに熱々のナポリタンが運ばれてきた。少年はフォークを手に取ると、おずおずナポリタンを食べ始めた。
熱々のナポリタンを冷ます少年に、携帯端末を取り出し気にする様子はない。あなたは店内の壁掛け時計に目をやると、少年に家への連絡は不要なのか尋ねた。赤いパスタで太ったフォークを持った少年は、力なくうなずいた。
「つい最近、祖母も他界したんです。両親は仕事がちですし、姉は――姉は、十年ほど前に」
少年はフォークを置き、重い重いため息をついた。口を開くのもつらそうな重さだ。あなたはわずかばかりの理性でつらいことを聞いたと謝った。しかし少年は、二度三度と首を振った。
「誰も信じてくれなかった話です。それでも、聞いてくれますか」
あなたは姿勢を正し、うなずいた。少年は真剣な、それでいてどこか敵意の滲む目で、姉の身に起きたことを話し出した。
家を出た時点で天気は怪しかった。傘を持つか悩み、あなたは結局傘を持たずに家を出てしまった。その選択は店まであと少しという距離で後悔することになる。
店の明かりが見え始めた頃、ぽつりぽつりと降り出した雨は、ざあざあと強い雨に変わった。店はもう見えている。あなたは水たまりを跳ね上げ走った。
軒先に駆け込む。幸い、あなたの服はずぶ濡れにはならなかった。店に入ってしばらくすれば気にならない程度にまで乾くだろう。濡れ鼠にならずに済んだあなたは、胸を撫で下ろして店のドアへ目を向けた。
そのとき初めて、あなたは軒先の先客に気がついた。この辺りでは見ない制服に身を包んだ少年だった。客が出入りするたび、雨のかからない限界まで脇に退いて申し訳なさそうに身を縮めている。
少年の様子があまりにいじらしくて、気の毒で、あなたは少年に、店に入らないかと声をかけた。少年は驚きと警戒の混じる顔であなたを見ると、財布がないと首を振った。
この少年からは、店のそばで傷害事件を起こした青年と似たあどけなさを感じる。けれど彼の申し訳なさそうな顔からは、心細さを感じた。雨が止む気配はない。あなたは少年に雨が止んだらすぐ店を出ればいいと言ってうなずかせ、二人で入店した。
店内には存外客がいた。警戒していた少年も、人の目があることにほっとしたようだ。あなたはいつもの席に座りたいのを我慢し、ほかの客と近い席を選んだ。その選択は少年をさらに安心させたようで、向かいに座った少年はようやく表情を緩めた。
あなたはコーヒーを、少年は紅茶を注文した。頼んだものが来るまでは互いに無言だった。それも、温かな飲み物が体に入るまでの間だ。
体の強張りが解れると心までも解れる。冷まし冷まし紅茶を一口飲んだ少年が、安堵のため息とともにカップを置く。それを合図に、あなたはこんな時間にどうしてこの店の前にいたのかを少年に尋ねた。『純喫茶・生熟り』は商店街からも離れたところにある。学生が好むような店でもない。
あなたの問いに、少年ははにかみ答えた。
「部活を引退して、暇になっちゃって……。僕が生まれる前に両親がこの辺りに住んでたって話を思い出したら、来てみたくなっちゃったんです」
夏から計画して、ようやく今の時期に来ることができた――と少年は語る。
「それにこの辺りには、すごい霊能力者がいると聞きました。どうしてもその人に会いたかったんです」
真剣な顔つきで〝霊能力者〟だなんてフィクションめいた言葉を使うから、あなたは思わず笑ってしまった。あなたの笑顔を見て、少年は困った顔で笑う。
「興味本位で会いたい訳ではないんです。家族のことで、相談したくて」
あなたは笑ってしまったことを後悔した。ハッと息を呑み謝るあなたに、少年は困り顔のまま「いえ」と首を振る。もう霊能力者には会いに行ったのだろうか。もしかしたら、似たような対応をされたのかもしれない。
恥じ入り縮こまるあなたの正面で、少年は紅茶をちびちびと飲む。冷ましては一口、もう一度冷ましては一口と飲む仕草に、あなたの目が集中する。少年はあなたの視線に気づくと、恐縮した。
「すみません、猫舌なもので」
あなたはお詫びのつもりで、少年に軽食を奢ろうと持ちかけた。少年は遠慮するが、あなたは譲らない。笑ったことへの謝罪の気持ちはもちろんある。しかしもう半分は、期待だった。
――霊能力者が必要になるほどの話を、聞かせてもらえるかもしれない。
あなたの期待は、病的と呼んでも差し支えないだろう。きっと少年の目に映るあなたは、目をぎらぎらと光らせている。申し訳なさかあなたの目の光を不気味に思ってか、少年は頑なに食事を断る。
しかし、ぐぅ、と間抜けな音が響けば話は別だ。
顔を赤くする少年に、あなたはとどめとばかりにメニューを差し出した。腹の虫の訴えには勝てないのだろう。遠慮しつつ、少年はナポリタンを選んだ。
あなたも同じものを頼むため、店員を呼ぶ。今日はナポリタンがよく売れているらしい。すぐに熱々のナポリタンが運ばれてきた。少年はフォークを手に取ると、おずおずナポリタンを食べ始めた。
熱々のナポリタンを冷ます少年に、携帯端末を取り出し気にする様子はない。あなたは店内の壁掛け時計に目をやると、少年に家への連絡は不要なのか尋ねた。赤いパスタで太ったフォークを持った少年は、力なくうなずいた。
「つい最近、祖母も他界したんです。両親は仕事がちですし、姉は――姉は、十年ほど前に」
少年はフォークを置き、重い重いため息をついた。口を開くのもつらそうな重さだ。あなたはわずかばかりの理性でつらいことを聞いたと謝った。しかし少年は、二度三度と首を振った。
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