怖いもののなり損ない

雲晴夏木

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六人目 寂しがり屋の砂場の王様

瑠璃ちゃんて子がいましてね、と女は語る

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 砂場に一人、寂しげに遊ぶ女の子がおりました。女の子の名前は瑠璃ちゃんといいます。
 夕焼けが照らす公園の中、スピーカーから流れる夕焼け小焼けが響き渡る時間でした。せっせと山を築き上げていた瑠璃ちゃんは、顔を上げて時計を探しました。おばあちゃんが「迎えに来る」と言った時間はとうに過ぎています。瑠璃ちゃんは首を傾げました。

「おばあちゃん、接骨院まだ終わらないのかな」

 一緒に遊んでいた友達は、とっくに家族と手を繋いで帰っています。暗くなる公園で心細さを覚えながら、瑠璃ちゃんは一人、おばあちゃんの迎えを待っていました。
 そのときです。瑠璃ちゃんが遊ぶ砂場の砂がゆっくり、よく見ていなければわからないほどゆっくりと動き出しました。動く砂は渦を巻き、盛り上がり、人の形を作っていきます。気づいた瑠璃ちゃんの目が釘付けになっている間に、砂は見上げるほど背の高い青年の形になっていきました。
 青年は、奇妙な格好をしていました。
 頭のてっぺんには、砂色の王冠。身に着けた服も砂色なら、肩にかけたマントも砂色で、肌は血の気のない土気色。彫りの深さが陰気さを際立たせています。そんな中、砂色の目は影の中で爛々と光っていました。
 公園に似つかわしくない格好の青年を見上げたまま、瑠璃ちゃんは動きを止めました。事態が飲み込めず凝視する瑠璃ちゃんの前で青年は頽れ、おいおいと泣きだしました。
 骨張った手が、土気色の顔を覆います。指の隙間からは、ぽろぽろと砂粒が落ちます。
 瑠璃ちゃんから見て、青年は大人です。明らかに大人である謎の青年が突然泣きだしたのを見て、瑠璃ちゃんの脳内は混乱を極めました。当然ですね。お友達が泣いてもおろおろしちゃう年齢なんですから。
 青年がこぼすものが涙ではなく砂であることをおかしいとも思わず、瑠璃ちゃんは青年のそばへ近づきました。

「おにいさん、どうしたの? どっか痛いの?」

 瑠璃ちゃんが声をかけると、青年は顔を覆う手を退けて、ゆっくりと瑠璃ちゃんを見ました。近くで見ると、瑠璃ちゃんは青年の顔立ちがとても整っているのがわかりました。生気がないことも、目から砂粒がこぼれていることも吹き飛ぶほどに端正な顔立ちです。
 驚きに息を呑む瑠璃ちゃんを、青年は新たな砂粒をこぼしながら見つめます。涙のように、砂粒がいくつも青年の目尻から落ちました。砂色の睫毛で砂粒を散らし、青年はまた顔を覆ってしまいました。

「さびしい」

 くぐもった声が、そう打ち明けます。

「さびしいのです。とても、とても」

 青年は自らを〝砂の王〟と名乗りました。瑠璃ちゃんは具合が悪いのかを聞いただけで、名前を聞いたわけじゃなかったんですけどね。

「私は地の下、光なき地底を治める砂の王なのです」

 青年は時にしゃくり上げながら、自分が治める地底がいかに暗く寂しいか、また住民がいかに自分の言うことを聞かないか、一人で地底を治めるつらさを話しました。瑠璃ちゃんは青年の言葉にうんうんとうなずいてはいましたが、幼さのせいもあり、話の半分も理解できませんでした。唯一理解できたのは、何だか青年が気の毒だ――ということだけです。
 話す青年のそばで膝をつきながら、瑠璃ちゃんは首を傾げました。青年の見た目、服装だけは絵本で見かける〝王子様〟です。瑠璃ちゃんは控えめに「あのぅ」と声を上げ、その疑問を青年にそっとぶつけました。

「おにいさん、おうじさまじゃないの?」
「いいえ」

 目元を拭い、青年は首を振ります。

「私は王です。もう王子ではありません」

 それにしては威厳がないな――と瑠璃ちゃんは思いましたが、思ったことをそのままを口に出すのはやめました。瑠璃ちゃんは気遣いのできる優しい子だったのです。
 とにかく青年が気の毒であると理解した瑠璃ちゃんは、青年に「ちょっとだけなら」と一緒にいることを提案しました。

「おばあちゃんがね、接骨院に行ってて、まだ迎えに来てくれないの。だからそれまで、ちょっとだけだったら、おにいさんと一緒にいてあげられるよ」
「それは、本当ですか」

 光る砂粒がはらはらと落ちました。それを目で追ってから、瑠璃ちゃんは青年にうなずきました。

「うん、いいよ。ちょっとだけ、一緒にいてあげる」

 青年はこぼれる砂粒を長い睫毛で払い、深く深呼吸して落ち着きを取り戻しました。そして一度立ち上がり、瑠璃ちゃんの前に恭しく膝をつきます。

「では、あなた様のお時間をしばし頂戴致します」

 血の気のない砂色の手が、瑠璃ちゃんに差し伸べられました。瑠璃ちゃんは血色の良い手で握り返しました。青年の手は、瑠璃ちゃんの体温を吸い取るように冷たい手でした。

「いざ、我が領地へ」

 青年が言うと同時に、足下の砂が動き出します。瑠璃ちゃんの足が、青年の足が、砂に飲み込まれていきます。
 砂場の底は、浅いものです。毎日のように公園で遊ぶ瑠璃ちゃんはそれをよく知っていました。しかし今、瑠璃ちゃんの足は砂場の底を突き抜け、さらに下へ下へと潜っていきます。
 底の知れない恐ろしさに、瑠璃ちゃんは青年の手を強く握りました。青年も、瑠璃ちゃんを安心させるように――あるいは逃がさないとでも言うように――瑠璃ちゃんの手を、ぎゅうと握り返しました。
 顎の下まで砂に飲み込まれ、瑠璃ちゃんは目を守るため反射的に目を瞑りました。
 どれほどそうしていたでしょう。ほんの数秒だと言われればそんな気もしますし、数時間かかったと言われても納得できるほど。そんな時間、瑠璃ちゃんは目を瞑っていました。
 だからどうやって底に降り立ったのかはわかりません。気づけば瑠璃ちゃんの足は地面を踏みしめていて、青年に「着きました」と優しく肩を揺すられていました。

「ここが、我が領地です。私一人が統治する、地の下の砂の国。冥界とも黄泉の国とも呼ばれますが、ここに死者はおりません。いるのは私と、地下の住民だけでございます」

 暗闇に、青年の声だけが響きます。もし青年の手を握っていなければ、瑠璃ちゃんは青年がどこにいるかもわからなかったでしょう。
 この人はこんな暗いところで生活しているのか。それは寂しいだろうな――と思いながら、瑠璃ちゃんは明かりを探して明かりを見回しました。
 小さな赤い光が、ぽつんと見えました。瑠璃ちゃんが「あ」と声を上げて青年の手を引こうとした瞬間、一つだけだった赤い光は、夥しい数に増えました。数え切れないほどの赤い光は、瑠璃ちゃんと青年を取り囲んでいます。

 ――何かが、そこにいる。

 硬直する瑠璃ちゃんの隣で、青年がパチンと指を鳴らしました。どこに明かりがあったのか、黄色い光が瑠璃ちゃんと青年を照らします。
 光の外にいるのは、瑠璃ちゃんより拳一つ分背の高い大きな大きな蜘蛛でした。赤い光は、蜘蛛の目だったのです。
 蜘蛛たちは目を爛々と光らせ、瑠璃ちゃんと青年を囲んでいます。悲鳴すら上げられない瑠璃ちゃんに、青年はうれいを含んだ声での説明をしました。

「我が国に住まう種族が一つ、地底蜘蛛でございます。彼らは気性が荒く人肉を好む種族ではありますが、ご安心を。こうして照らされていれば、彼らは我々に毛先すら触れられません」

 そこまで説明すると、青年は咳払いして付け加えました。

「我が国の住民でありながら、王である私の言うことに耳を傾けません。どうか光の外へ出られませんよう、ご注意を」

 青年の説明を事実だと言うように、蜘蛛たちは一斉に鋏角を鳴らしました。今にも自分に襲いかかりそうな大合奏に、瑠璃ちゃんは震え上がってしまいました。
 ぼろぼろと涙をこぼしたかと思うと、瑠璃ちゃんはわぁっと泣きだしました。

「帰る、帰る、もう帰る!」

 暗闇の中、瑠璃ちゃんの声がわんわんと響きます。青年が宥め賺しても、瑠璃ちゃんは「帰る」と言って聞きません。青年も泣きそうな顔をしましたが、諦めるように一度目を閉じると、静かな声で「わかりました」とうなずきました。

「では、もう一度お手を」

 差し伸べられた手を、瑠璃ちゃんが強く握ります。もう何も見たくないと強く目を閉じた瑠璃ちゃんは、爽やかな風と木の葉の揺れる音が聞こえるまで、決して目を開けませんでした。
 目を開けると、そこはもう恐ろしい地底世界ではありませんでした。いつも遊ぶ公園に、瑠璃ちゃんは立っていました。
 空は明るい青色で、目に痛いほど白い雲がぽつりぽつりと漂っています。そして、大人たちが瑠璃ちゃんの名前を必死になって呼んでいました。
 地底から戻ったばかりの瑠璃ちゃんは気づいていませんでしたが、地上はすでに翌日になっており、今は昼の十二時目前でした。地上と地下では、時間の進みが異なるのです。
 瑠璃ちゃんの名を呼ぶ大人の中には、おばあちゃんの姿がありました。もう何時間と呼んでいるのでしょう、かすれた声が「瑠璃」と呼んでいます。おばあちゃんを見た瑠璃ちゃんは「おばあちゃん!」とすぐさま駆け出そうとしました。けれどそれを、青年が止めます。
 見ると、青年は泣きそうな顔をして瑠璃ちゃんの手を掴んでいました。瑠璃ちゃんはおばあちゃんを見て、青年を見て、もう一度おばあちゃんを見ました。青年も可哀想ですが、あんな声になってまで自分を探すおばあちゃんを放っておくことなんてできません。
 瑠璃ちゃんは青年に向き直ると、子供に理解させる母親のような口ぶりで言いました。

「あのね、わたし、今はこどもだから、お兄さんと一緒にいられないの。おばあちゃんも、お父さんもお母さんも、お姉ちゃんも心配するから」

 瑠璃ちゃんの言い分はもっともです。青年は「そうですね」「そうでしょう」と残念そうにうなずきました。

「あなたには、家族がいるのですね。私にはおりません。私は、ひとりぼっちですので」

 寂しそうな、しかしどこか拗ねているような、そんな顔でした。瑠璃ちゃんが困った顔をするのに気づいて、青年は端正な顔をぷいと背けてしまいました。
 瑠璃ちゃんは困り顔のまま、青年の手を握り返します。

「今は、今はね、まだこどもだから無理だけど……」

 続いた瑠璃ちゃんの台詞に、青年は目を見張りました。

「大人になったら、一緒にいてあげる。お兄さんがさびしくないように、わたし、およめさんになったげる」

 砂色の瞳が揺れました。青年の手が、ゆっくりと瑠璃ちゃんの手から離れます。青年は片膝を折ると、瑠璃ちゃんと目線を合わせるように跪きました。

「大人に、なったら。では、それはいつですか? 私はいつまで待てば、あなたを伴侶として迎えられますか?」

 いつになったら〝大人〟と言えるのか。青年の問いに、瑠璃ちゃんは首を傾げました。大人って、何だろう。言い出したものの、瑠璃ちゃんにもよくわかりません。
 うーんうーんと考えて、瑠璃ちゃんの頭に浮かんだのは、近所の優しいお姉さんでした。優しかったお姉さんは、最近ではすっかり疲れた顔をしています。

『大人になったら、思い出せないもんよ』

 お姉さんは瑠璃ちゃんにそう言いました。だから瑠璃ちゃんは、お姉さんの言葉をそのまま青年への答えとしました。

「こどものときのこと、思い出せなくなったら大人オトナなんだって。お兄さんとの約束を思い出せなくなるくらい忙しくなったら、大人!」
「しかし、思い出せないのでしたら私との約束は果たせないでしょう」

 青年がそう思うのも当然です。しかし瑠璃ちゃんは小さな胸を叩き「だいじょうぶ!」と請け負いました。

「思い出してなくても、わたしがここに来たら、おにいさんが思い出させて!」
「私が……あなたに、思い出させる……」
「大人って大変なんだって。子供のときのこと、なーんにも思い出せないくらい、忙しくて、つらくて、もうやめちゃいたいくらいなんだって。だからね」

 瑠璃ちゃんは青年の手を、あたたかな両手で包み込みました。

「わたしのこと、おうじさまみたいにさらって!」

 思ってもみなかった言葉をかけられ、青年はぽかんと口を開けました。二人の間に、気の抜けた沈黙が訪れます。その沈黙も長くは続きません。瑠璃ちゃんを探す大人たちの声が近づいてくるからです。
 声の方角を気にする瑠璃ちゃんを見て、青年は「わかりました」とうなずきました。青年の骨張った手が、瑠璃ちゃんの体温をもらい受けるようにぎゅうと握ります。ひとしきり体温を確かめると、青年の手は名残惜しそうに離れました。

「あなたが大人になったら、大人になったあなたが我が領地の真上に立ったら、私はあなたを伴侶として我が領地へ攫います。それで、よろしいのですね?」
「うん、いいよ!」
「では最後にお名前を。あなたとの約束を私が履行するために。あなたと会えない時間、あなたを想い続けるために」

 瑠璃ちゃんは青年に、弾けるような笑顔を見せました。

「瑠璃! 瑠璃だよ、おにいさん」
「では、瑠璃。しばしの別れです。あなたが早く大人になることを願っています」

 青年の体が砂に沈んでゆきます。青年は沈みきる直前まで、じっと、じぃっと、瑠璃ちゃんを見つめていた。
 砂色の青年がつむじまで砂に沈むと、瑠璃ちゃんは大人たちの声が聞こえる方角へ走り出しました。

「おばあちゃん! ただいまぁ!」

 この後瑠璃ちゃんは、おばあちゃんだけでなく仕事を休んだお父さんたちに抱きとめられ、中学校を休んだお姉ちゃんに頬を張り飛ばされます。しかし成人後の瑠璃ちゃんは、この日のことを何一つ覚えていませんでした。



 二十年以上の時が過ぎ、いわゆるアラサーになった瑠璃ちゃんは、一人で深夜の寂しい道を歩いていました。世に言うブラック企業に勤めて数年、もはや慣れっことなった二徹後の帰路でした。

「辞めたい。逃げたい。帰りたい。帰りたい。帰りたい……」

 家に帰る道すがらだというのに、瑠璃さんはひたすら帰りたい帰りたいと呟いています。
 街灯がバチバチと不快な音を立てる夜道。瑠璃さんは重い頭を音の方向へ向け、自分が公園の前を歩いていることに気づきました。疲れた顔から、乾いた笑いが漏れます。

「公園……懐かし」

 小さい頃よく遊んだっけな。覚えてないけど。
 そう呟いて、瑠璃さんはふらふらと公園に入っていきました。
 真夜中の公園は、猫すらも歩いていません。瑠璃さんは公園の主にでもなったような気分になり、鞄を放り投げ、遊具で遊び始めました。
 ブランコを漕ぎ、一人で笑う瑠璃さん。
 鉄棒にだらりと下がり、持ち上がらない体を笑う瑠璃さん。
 滑り台を駆け下り、用途が違うと言って一人で笑う瑠璃さん。
 近隣の住民から苦情が寄せられそうな、いえ、下手をすれば通報されそうな光景です。ひとしきり遊具で遊ぶのを繰り返し、瑠璃さんは砂場に目を留めました。
 砂場には、子供が置き忘れた原色のスコップが突き立てられています。瑠璃さんは砂場に走ると、スコップを使って砂を掘り始めました。

「童心に返るわぁ。子供に戻りたい……大人やめたい……」

 そのとき、よく見なければわからないほどゆっくり、砂が動き始めました。けれど瑠璃さんは気づかず、ぶつぶつぶつぶつとぼやき続けます。

「どっかのさぁ、高スペックスーパーイケメン王子様がさぁ、もう働かなくていいよってさぁ、言ってさぁ、私のこと攫ってくんないかなぁ」
「約束を」

 突然聞こえた男の声に、瑠璃さんは手を止めました。声が聞こえてようやく、瑠璃さんは砂が動いていることに気づけました。けれどそのときにはもう、遅かったのです。
 砂は瑠璃に見つめられながらも動き続け、人型となり、いつかの青年の姿となりました。衣服も髪も装飾品も、青年は相変わらず砂色一色です。くすんだ色の王冠から、ぱらぱらと砂が落ちます。
 しゃがんだまま驚き呆ける瑠璃さんさんの前に青年は跪き、スコップを握っていない手を取りました。

「お待ちしておりました。我が花嫁、我が伴侶、私の片割れ、唯一無二のの伴侶。さあ、行きましょう、私たちの領地へ。二人だけの砂の世界へ。互いだけで渇きを癒やし合う暗き世界へ」

 このとき瑠璃さんの頭には、睫毛が長いなぁだとか、彫りが深い顔立ちだなぁだとか、いい声してるなぁだとか、そんな関係ないことばかりが巡っていました。青年の言葉なんてちっとも理解していませんでしたし、当然まともな返事も浮かびません。二徹後の頭は、歯車が噛み合わないのです。
 そんな頭でどうにか青年の台詞を雑に咀嚼し、瑠璃さんはへらへら笑いました。

「そこへ行ったら、働かなくていーんです? 上司とも会わなくていい?」
「私たち二人ですよ、瑠璃」

 名前を呼ばれ、瑠璃さんは頭の歯車が噛み合うのを感じました。瑠璃さんの顔から、サッと血の気が引きます。

 ――何で名前を知ってんの?

 瑠璃さんに、青年との記憶はありません。あの日青年に言ったとおり、瑠璃さんは子供の頃の記憶を忘却するほどに疲れた大人となっていたのです。
 青年の手から自分の手を抜こうとしながら、立ち上がって逃げだそうとしながら、瑠璃さんは青年に尋ねずにいられませんでした。

「おにーさん……何で私の名前、知ってんの」
「あなたが教えてくれたのです。あなたが約束してくれたのです。覚えていないということは、大人になったということ。そのときは攫ってくれと頼んだのもあなたです、瑠璃、私の花嫁」

 ――あ、この人ヤバい人だ。ヤバい奴だ。

 そう思った瑠璃さんは、逃げようと足に力を込めました。しかし、砂がそれを許しません。砂は意思を持つように動き、瑠璃さんの足を絡め取ります。地面を蹴ろうとする足を、飲み込んでいきます。

「いっ……いやだ、やだ、何なのこれ? 怖い! 離して! 離してよ!」

 後半はほとんど声すら出ていませんでした。砂は蠢き瑠璃さんの体を這い上がり、砂場の下へ下へと沈めていくからです。暴れる瑠璃さんを、青年は砂色の目でうっとりと見つめます。

「このときを待ちわびていました。この日に焦がれておりました。ようやく、ようやく、二人になれる……」

 青年の体も、ゆっくり砂に飲み込まれていきました。二人は砂場に沈んでいって、残ったのは瑠璃さんが放り出した鞄と置き去りのスコップだけでした。



 初めて青年に連れ去られたあの日と同じように、瑠璃さんの家族は懸命に瑠璃さんを探しました。しかし今回は、いくら探しても瑠璃さんが見つかることはありませんでした。だってもう、青年に瑠璃さんを返してやるつもりなんかありませんから。
 後々、この公園で「女のすすり泣きが聞こえる」「助けを求める女が砂場に立ってるけど、男が砂から出てきて女を砂の中へ引きずり込む」といった怪談が生まれました。しかしそれが瑠璃さんたちと関係があるかどうかは、誰も知りません。確かめる術も、ありません。
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