怖いもののなり損ない

雲晴夏木

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五人目 悪意なき侵略者

距離感てむつかしーですよね、とあどけなさ残る声が言い

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 紳士が怪談めいた消え方をしても、あなたは『純喫茶・生熟り』に通うのをやめられない。日曜の昼下がり、あなたは『純喫茶・生熟り』を訪れた。
 今日の『純喫茶・生熟り』は、やけに混み合っていた。窓際の席は当然のようにすべて埋まっており、あなたがいつも陣取る隅の席にも客の波が押し寄せそうだ。誰も彼も、普段見かけない顔ばかり。
 首を傾げながら席へ向かうあなたに、案内をした店員が声を潜めた。

「常連さんにくっついてきたお客さんが、SNSで拡散しちゃったみたいです」

 ため息交じりに「マスターもこんな繁盛は望んでないんですけど」と嘆く店員に、あなたは気遣いの言葉を返しておいた。
 それから定位置につき、カウンターを見やる。マスターと普段見かけないもう一人の店員が忙しそうに店内と奥とを行き来しているのが見えた。気の毒に思いつつ、あなたは注文を取りに来た店員にいつものメニューを頼んだ。
 注文を繰り返す店員の向こう、窓際の席から歓声が上がる。あなたと店員が同時に目をやると、どうやら数人のグループで来ている客が、運ばれたメニューに感動しているらしかった。振り向くのをやめた店員が、荒い鼻息を吐く。

「ここがどういう店か、わかってないんでしょうね」

 あなたの返答も待たず、店員は「次から出禁にしてもらいます」と肩を怒らせカウンターの奥へ戻っていった。それがいい、と声に出さず同意し、あなたは鞄から本を取り出した。ここは純喫茶。静かにコーヒーを楽しむ場所だ――とあなたは思っている。店員がいつものメニューを運んでくるまで、あなたは大人しく本を読みながら待つつもりだった。
 そんなあなたの隣に、一人の客がやってきた。顔を上げなかったあなたは、どんな客が隣のテーブルに座ったかはわからなかった。メニューを広げる音、悩んでいるらしい微かな呻き声があなたの耳に届く。しかし活字が魅せる世界にのめり込みつつあったあなたは、隣に座る客に意識を向けることすらなかった。
 二度目の歓声が聞こえると、さすがのあなたも顔を上げずにいられなかった。またあのグループ客かと眉をひそめるあなたの近くで、誰かが舌打ちをした。控えめだが、確かに舌打ちだった。
 驚いたあなたが思わず振り返ると、隣のテーブルに五分刈りの青年が座っていた。あなたの視線に気づき、青年は居住まいを正した。「すんません」と謝る声には、まだあどけなさが残っている。以前ここで出会った若い男とはまた違ったタイプの若さだった。

「俺、ああいう風に集団で騒ぐ奴ら、苦手で」

 ああ、とあなたは納得した。あなたも、あんな風に時と場所を弁えないで騒がれるのは好きではない。そう同意を示すと、青年は目を見開き、それからはにかんだ。

「気ぃ遣ってもらって、すいません」

 そんなことはない、とあなたが否定する前に、店員が注文の品を持ってやってきた。会話が途切れ、あなたはそのまま自分のコーヒーと向かい合った。
 窓際の席では、グループ客がまだ賑やかにはしゃいでいる。長い長いため息が、隣のテーブルから聞こえた。五分刈りの青年であることは間違いない。恐る恐る隣を窺うと、青年は口を押さえ、申し訳なさそうに謝った。

「昔ああいうのに、嫌な目に遭わされたことあるもんで……」

 影のある表情だった。青年は憂鬱そうに目を伏せ、テーブルの上に自らの手を重ねた。青年の横顔に、あなたは誰にも悩みを打ち明けられないでいた、失踪したあの若い女性に似た影を見た。申し訳なさそうな態度に、施設に引き取られていった女の子の影を見た。
 あなたは青年に、話すだけでも楽になるかも、と水を向けずにいられなかった。行きずりの相手だからこそ話せることもあるだろうと、胸のわだかまりを吐き出すよう促した。
 あなたですら驚いている提案だ。青年は目を見開き、あなたの顔をまじまじと見つめた。目を逸らした青年は少し悩んだものの、結局、体ごとあなたに向き直った。
「距離感て」と、青年がぽつりこぼす。

「相手との距離感って、むつかしーですよね」

 青年はあどけなさの残る声で、かつて自身のみに起きたことを語り始めた。
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