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叶えられた想い2

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「……ご心配、お掛けしました」
 どうして三か月も眠っていたのか、自分でもよく分かっていない。けれど主を守る職務を放棄してしまったのは、変えようのない事実だ。
「寂しかった」
「申し訳ございません」
 互いの温もりを確認しつつ、リリアンナは「帰ってきた」という安堵感を抱いていた。それはディアルトも同じだ。
 けれど彼は気まずそうな顔をした後、苦しげに贖罪を求める。
「……俺を許してくれるか?」
「? それはどういう意味ですか?」
 そっとディアルトの肩を押して離すと、彼は悲しそうな顔をしている。
「俺は……君から力を奪ってしまった」
 いつかリリアンナが血を吐く思いで告白したことを、今度はディアルトが口にした。
「そのせいで、君は三か月も寝込むことになってしまった。風の意志という大きな力を俺に譲渡してしまい、生命力を手助けする精霊を大きく失った」
「あぁ……」
 そのせいか。と、リリアンナは納得する。
「では……、殿下はいま精霊が見えているのですか?」
 逆にそう思うと、リリアンナは急に心に光が差したように嬉しくなった。
「そうだが……。でも君は、以前のような圧倒的な強さを失ってしまった」
「そんなこといいのです。殿下……、あぁ。良かった……!」
 リリアンナの目に涙が浮かび、彼女はそれを誤魔化すようにまたディアルトに抱きついた。
「私……っ、殿下の力を奪ってしまったと、ずっと……っ」
 ぎゅうっとディアルトを抱く腕に力が入り、指がジャケットに皺をつける。しなやかな体は熱く震え、時折喉が「ひっ」としゃくりあげた。
「リリィが気にすることはないって前も言っただろう? 父から『意志』の力が失われた時、父はリーズベットさんを『守りたい』と思い、リーズベットさんは君を『守りたい』と思った。力は想いの通りに継承され、そして君は俺を『守りたい』と思ってくれた」
「守りたい……」
 リリアンナは呟く。
 その言葉、気持ちを確認するように、彼女はポツポツと言葉を紡いでゆく。
「私……。母が亡くなってから、ずっと殿下を『ちゃんとお守りしたい』と思っていました。母が成し遂げられなかったことを、私が必ずやり遂げるんだと……」
「うん。その気持ちはとてもよく分かるつもりだよ」
 ディアルトは、リリアンナの背中をポンポンと撫でる。
 抱き合っている体から、ディアルトの低い声が体を通して反響した。とても心地いい振動に加え、背中を撫でる手はまるで幼い頃の父の記憶を思わせた。
「私、殿下をお守りできましたか? 戦争はまだ続いていますか? こんな私でも、まだお役に立てますか?」
 不安そうな声に、ディアルトは一番大事なことをまだ伝えていないと気付いた。
「リリィ、戦争は終わったよ」
「え!?」
 ガバッと体を起こし、リリアンナは目を丸くする。
「あの後、俺とカンヅェル様の手で戦争はちゃんと終わらせた。叔父上の所にも正式な書状が届いて、もう国境近くで精霊が荒れることもない」
「……ほん、……とうに……」
「俺はいま、こうやって身綺麗にして王宮にいるだろう?」
「あ……」
 言われてみればそうだと思い、リリアンナは改めて現状を思い直す。
「では今は、平和な世であると?」
「あぁ、その通りだ。一応……言っておくと、叔父上から俺の戴冠式の提案も出ている」
「殿下……っ」
 自分の悲願が叶うと知ったリリアンナは、歓喜の声を上げる。
「……ですが、王妃陛下やその一派は?」
「叔母上は、いま病気療養という名目で地方にいるよ」
「そう……ですか」
 知らない間に心配すべきことがすべて解決していて、リリアンナは急に脱力してしまう。
 彼女の体から力が抜けようとしたのを感じ、ディアルトはリリアンナをそっとベッドの上に横たえた。
 リリアンナはボーッと天井を見上げ、とんでもないことを口にする。
「私……、もう殿下のお役に立てないのでしょうか?」
「へっ!?」
 飛躍した言葉にディアルトは間抜けな声を出し、まじまじとリリアンナを見た。
 彼女は長い三つ編みを手で弄び、落胆しきった表情をしている。
「殿下が陛下となられるのなら、専属の親衛隊が結成されるでしょう。殿下を目の敵にされていた王妃陛下もいらっしゃらない今、私が殿下のお側にいる意義はもう……」
「リリィ」
 彼女の手を両手で握り、ディアルトが覗き込む。
 金色の目にじっと見つめられても、リリアンナはどこか心細そうな表情だ。
「君が俺の役に立たないなんて日は、未来永劫あり得ない。俺は君がいてくれるだけで頑張れるし、君の笑顔一つで幸せになれる」
「ですが私は騎士として……」
 まだ何か言いかけるリリアンナの唇を、ディアルトは指先でふにゅりと押す。
「確かに、俺がもし国王になったら親衛隊が結成されるだろう。だが、俺の側には王妃が必要だ。それが誰かは……分かるね?」
 ほんの少しディアルトの指がリリアンナの唇に潜り、彼女の前歯に当たった。
「…………」
 念を押すような確認に、リリアンナは珍しく不安げな顔をする。
「私……。殿下もご存知かもしれませんが、女性的な能力が皆無なのです。手芸も料理もできません。いつも着ている服以外、お洒落なドレスやアクセサリーの合わせ方も知りません。女性らしさの欠如で笑われても、私はさほど構いません。ですが殿下が劣った妻を持っていると思われるのが、この上なく嫌なのです。それで殿下が他の国の王から舐められるようなことがあったら……」
「……君は意外と気にするタイプなんだね?」
 リリアンナの意外な一面を知ったディアルトは、新鮮だと言うように何度も頷く。
「……何ですか」
「いや、君が気にするようなことを、俺は全然気にしてないな。と思って」
「えっ」
 ぼんやりとしていたリリアンナの目に光が戻り、不審げに主を見る。
「俺は本当に、君が健康で生きて笑ってくれていたらそれでいい。君の手先の器用さは割とどうでもいい」
「どうでも……」
「そういうことが得意じゃなくても、君は剣の腕が冴えてるじゃないか。男と剣で渡り合える王妃なんて、他にいないぞ?」
「それは……。誇るべきことでしょうか? ただの脳筋なのでは……」
「ふむ。じゃあ、君は他国の王妃で計算が大得意だが、他は何もできない人。もしくは口が達者で弁論では誰も勝てる者がいないが、他は何もできない人。……どう思う?」
 ディアルトが投げかけた問いに、リリアンナは「負けた」と思いつつ素直に答える。
「他に類を見ない才能だと思います。秀でた才能は伸ばすべきであり、他の問題は些末なことかと」
「だろう?」
 仕上げにポンポンと頭を撫でられると、彼が年上なのもあって上手に言いくるめられているのでは? と思った。
 しばらく柔らかな沈黙が落ち、リリアンナは室内に風が吹き込むのをぼんやり感じていた。白壁に落ちる茜の光も、夏の終わりを感じさせている気がする。
「……いいんですか? 本当に」
 やがてリリアンナが静かに問う。
「大歓迎だよ。リリィ、俺と結婚してください」
 ベッドに腰掛けたままリリアンナに手を差し出すと、彼女は「負けた」というように柔らかく笑った。
 求婚に応えることをずっと避けてきたリリアンナが、承諾の意味を込めてディアルトの手に手を重ねる。
「……どうぞ宜しくお願い致します。ディアルト様」
「殿下」ではなく、「ディアルト様」。
 そのちょっとした変化が、嬉しくて仕方がない。
「こちらこそ宜しく。リリィ。これからもずっと、一緒にいよう」
 ベッドに倒れ込みつつディアルトが抱きつき、リリアンナが焦る。
「でっ、殿下! ここ、ベッドの上ですよ!?」
「これから夫婦になるんだから、固いことは言いっこなしだよ」
「も……もうっ」
 雨のようにキスが降り注ぐ中、リリアンナはもう自分がディアルトの愛から逃れられないことを知るのだった。
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