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一時帰還1

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 前線の様子を確認したらすぐ戻ってくるだろう。
 最初はそう思っていたリリアンナは、一週間か二週間でディアルトが戻ってくると予想していた。
 けれどどれだけ待ってもディアルトが帰ってくるという知らせはなく、いたずらに時が過ぎてゆく。
 毎日風の精霊に気持ちを集中させ、遙か遠くの方で暴れ回っている彼らが鎮まると同時に、一日の終わりを感じる。
 愛しい人の無事を確認しようと精霊を飛ばそうとしても、ディアルトがそれを望んでいないというケインツの言葉を思い出した。
 そんな言葉を聞くと、真面目で忠誠心の強いリリアンナは勝手な真似ができない。
「お嬢様、食欲が落ちてしまわれましたね」
 心配そうに言うアリカの視線の先には、いつもと同じメニューなのに残されてしまった朝食がある。
「そんなことないわ」
 自分は衰えていないと思ったリリアンナは、ソーセージをフォークで刺し、無表情で口の中に放り込む。
 もぐもぐと口を動かすも、アリカは主が味わって食べていないだろうことを察していた。
「もうすぐ殿下が戦地に赴かれてから、ひと月になりますね」
「……知らせがないのは、元気な証拠だわ」
 いつも通りの憎まれ口をきくも、リリアンナの口調は元気がない。
「殿下が戻られた時、お嬢様がお痩せになっているのをご覧になったら、きっと悲しまれます。もう少し食べられませんか?」
「……大丈夫。体に栄養は沢山あるはずだから」
 ぼんやりとそう言って、リリアンナはミルクティーに口をつけた。
 それが食事の終わりの意思表示だと知ると、アリカは主に気付かれないように溜め息をつく。
 体に栄養があると言っても、リリアンナから失われるのは筋肉量だ。
 贅肉のないリリアンナは、筋肉が痩せることでほっそりとした体つきになりつつある。
 以前は健康的に引き締まった体をしていたのに、今はどこか頼りないシルエットだ。
 それを見て、主に騎士団のメンバーが「守りたい」と騒いでいる。
 けれど大切な主の健康が脅かされている現状、アリカにとってはとんでもない事態だ。
 このままでは、リリアンナが駄目になってしまう。
 生きる意志を手放してしまったようにも思える状態が、アリカはとても恐ろしい。
 と、その時――。
「リリアンナ様、いらっしゃいますか?」
 遠くから、こちらにカツカツと足早に誰かが歩いてくる音がした。
 かと思うと、「失礼」と衛兵に断りを入れて現れたのはロキアだ。
「……どうかしたの?」
 ディアルトの忠実な従者の姿を認め、リリアンナが立ち上がる。
 主の身の回りの世話が仕事のロキアだが、ディアルトから離宮の管理とリリアンナを任されて王都に留まっているのだ。
 ロキアの登場にリリアンナの目は瞠られ、彼の一挙一動も逃さないと真剣に見つめる。
「急ですが、いま斥候が到着し、これから殿下が一時お戻りになると」
「あ……っ。……一時? ですか?」
 歓喜の声を漏らしたものの、リリアンナは「一時」という言葉に眉をひそめる。
「はい。戦況は思わしくありません。それに備え、殿下は人員の交代と共に、物資などの補充を嘆願しに戻られるそうです」
「そう……ですか」
 ディアルトが完全に帰ってくる訳ではない。
 一度落ちかけた気持ちを、リリアンナは持ち前の気丈さで取り戻した。
「殿下にご挨拶してくるわ。そして今度こそ、私も随行できるようにお願いします」
 もう決めたと言わんばかりにキッパリと言い放つと、リリアンナは食堂を出た。
「お嬢様!? どうされるのです!?」
 急にキビキビとし出したリリアンナの耳に、アリカの悲鳴のような声が届く。
「荷物をまとめるわ」
 それにリリアンナは、固い決意を秘めた声で返事をした。


 リリアンナがアリカの制止を振り切り、荷物をまとめて城門の方へ向かった頃、王都駐在の騎士たちが忙しく動き回っていた。
 これから帰ってくる者たちを迎えるためだろう、と思ったリリアンナは、すぐに自分も手伝いに入る。
 その頃のリリアンナの心を支配していたのは、自分への怒りだった。
 いつこのように自分の力が必要になるか、何も考えていなかった。
 ディアルトがすぐに戻ってくるだろうと高をくくり、戻って来ない日々をふぬけて過ごした。
 彼が去り際に言った通り、「いつもの通り」過ごしていたら、すぐにでも戦える体を保っていられたのに。
(自分のことを騎士だと言っているのに、この体たらく。いざという時に役に立てずにどうするのか)
 唇は引き結ばれ、眉間には深い皺が刻まれる。
 心の中でゴウゴウと怒りの炎を燃やしていたリリアンナは、「私にできることを言ってください」と騎士たちの中に混じった。


 やがて最初の一人が城門をくぐり、駐在の騎士たちに迎えられる。
 最初の方に戻って来た者たちは、自力で馬に乗れる元気がある面々だった。だがそのうち馬上で苦しそうにどこかを押さえている者が目立ち始め、馬を失ったのか徒歩の者も混じり始める。
 リリアンナは用意されてあった水を片手に、「ご苦労様でした」とねぎらいの言葉をかけ、戻って来た者たちを迎える。
 疲弊して戻って来た者たちは、眩しいものでも見る目つきでリリアンナを見て、「ありがとうございます」と笑みを零す。中には「相変わらずお美しい」と、泣き出す者もいた。
「殿下は?」と聞きたいが、彼らがそれどころではないのはリリアンナだって分かっている。
 同盟国の水の精霊の守護があるウォーリナの術士は、回復術が使える。
 けれど術士や救護班の手が行き届かないほど、帰還した兵は負傷者で溢れ返っていた。
(きっと回復の手は、前線で一杯なんだわ)
 そこここに座り込んでいる騎士や兵士を見て唇を噛んだ時、トントンと誰かがリリアンナの肩当てをつつく。
「はい?」
 振り向くと、ケインツが立っていた。
 微笑んだ彼が指差した先を見ると――。
「……殿下!」
 自分の馬に負傷者を乗せ、ディアルトが歩いて戻ってくる所だった。
 その時どんな感情が湧き起こったのか、リリアンナ自身も自覚していない。
 ただ足が勝手に動き、地を蹴った。
 いつもなら甲冑を着けたまま素晴らしいスピードで走れる身なのに、体力が落ちて体が重い。
 ――歯がゆい。
 ――触れたい人が遠い。
 それでも腿を上げ、体中の筋肉を総動員させてリリアンナは駆けた。
「……リリィ!」
 自分に向かって真っ直ぐ駆けてくるリリアンナに気付き、ディアルトが笑顔を浮かべる。
 馬上の怪我人に一言何か言うと、彼も駆けだした。
「リリィ! 元気だったかい?」
 もう抱き合える距離になって、リリアンナは急に速度を落としてしまった。
 この情熱なら、飛びついてもおかしくないと周囲の誰もが思っていたのに、リリアンナは急停止した。
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