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序章1
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ビュウッと強い風が、美しい庭園を吹き抜けてゆく。
「あ……っ」
少女は目の前に舞い込んできた羊皮紙を、とっさに両手で挟んでいた。
「どうした?」
「お父さま、いまの風でこの紙が飛んできて……」
プラチナブロンドの少女はそう言い、不思議そうに何の書類なのか確かめようとする。
その時――。
「すまない、それは私のものだ」
「……っ」
低く艶やかな声がし、隣に立っている父が体を硬くしたのが分かった。
けれどこの日初めて宮廷に上がった十五歳の少女は、『その人』が何者なのか知らない。
「強い風でしたものね。はい、どうぞ」
白い手袋に包まれた手が、羊皮紙を男性に手渡す。
「……大事なものなので、礼を言う」
男性は背が高く、濡れ羽色の髪が美しいと少女は思った。けれどそれよりも、彼の金色の瞳を見ると目が離せない。
「綺麗な目の色ですね」
「……そうか?」
「はい。時々うちの庭に紛れ込む、黒猫のようです」
『彼』が誰なのかも知らない少女が無邪気に微笑むと、父が低い声でたしなめた。
「これ。失礼だからやめなさい」
「……はい、すみません。お父さま」
「閣下、無礼な娘をどうぞお許しください」
深く頭を下げる父の姿を見て、少女はどうやら男性が随分と身分の高い人なのだと分かった。
あわてて父に倣って頭を下げると、その後頭部に手を置かれる。
「いい。助かった。……では」
『彼』が与える雰囲気よりも、その手の優しさのほうがずっと印象に残った。
石畳を静かに歩いて行く靴音がし、ややしばらくしてから少女はぼんやりとしながら頭を上げる。
「……お父さま、いまの方は?」
好奇心を隠さない青緑の目が父を見ると、父は非常に複雑な顔をして顔を左右に振る。
「お前は知らなくていい」
「……はい」
『大人の事情』なのだと分かると、それ以上少女は父に質問をしなかった。
また歩き始めると、前方を歩いていたはずの男性の後ろ姿はもうない。
(……あまり口数は多くなかったけれど、すてきな人だったわ)
また会えるといいな、と漠然とした期待を抱きながら、少女は父と一緒に大きな宮殿へ向かった。
**
エルフィンストーン王国が長きに渡る領土争いを終え、隣国のアルトドルファー王国との調印式を開いたのは、三年前の初夏の頃だった。
両国とも王都は国の中ほどにあり、互いが領土を言い張っていたのはそれぞれの南端と北端の境だ。
山間の川を挟んで国境があったのだが、その川で採れる砂金というのが悩みの種だった。
両国ともそこでの砂金は国庫を潤す資源となっており、容易に手放すことはできない。
川べりに住む者たちはエルフィンストーン王国側の民族であり、言語もそちらを使っている。
川を含め川べりの民は我が国民と言う両者が、長いあいだ主張を譲らなかったのだ。
十年以上続いたその争いは、エルフィンストーン王国の王女がアルトドルファー王国に嫁ぐことにより、解決した。
金の輸出にかかる関税を、アルトドルファー王国にだけ低くすることにより、アルトドルファー王国側から折れたのだ。
第一にアルトドルファー王国から派遣された砂金取りが、川べりの民によって血祭りにされるのも、ずっと頭の痛い問題だった。また川べりの民はエルフィンストーン国民と見なしているので、それにアルトドルファー王国の軍も出張ってくる。
おまけにアルトドルファー王国は世継ぎ問題などで内情が揺れており、軍にかけられる余力はそれほどない。
強国であるエルフィンストーン王国の姫を迎え、血縁となることで様々な問題が解決するのなら……という苦肉の策でもあった。
内側からも揺らいでいる国が、資金のためとはいえずっと戦争を続けていれば、国は貧しくなる。
エルフィンストーン王国の軍が非常に強力で『不死の軍団』という悪名すらあったのを考えれば、砂金を相手に譲り和平を結んだのは正解だった。
調印式は、エルフィンストーン王国の王都で行われた。
アルトドルファー王国の王族や貴族たちは貴賓として迎えられ、馬車が通る街道には両国の国旗が交互に立てられている。
王都の十月堂が調印式の舞台となり、両国の王侯貴族が身守るなか国王たちがサインをする段取りになっていた。
十月堂とは、豊穣の感謝などを捧げる、国民のための建物だ。
両国の代表として国王たちが挨拶をし、立会人となる司教が誓約書を読み上げようとした時だった――。
「アルトドルファー王国に栄光あれぇ!」
奇声が上がったかと思うと、人々の間から騎士が一人躍り出た。
その手には、銀色に光る凶刃が――。
「きゃあっ!」と王家の姫たちが悲鳴をあげ、それぞれの軍と騎士団が動く。
まず一番に体が動いたのは、全身黒づくめのエルフィンストーン王国の元帥だった。
腰に下がっている剣をスラリと抜き、騎士の剣を受け止める。
ギィンッと硬質な音がし、騎士が一歩足を引いて踏みとどまった。
見れば騎士は、まだ若い青年だった。
数年前まで十代だったような、騎士になってまだ間もない彼は、顔を蒼白にして歯を食いしばっている。
顔中に冷や汗をかき、彼がこの凶行を起こすまで緊張しっぱなしだったのが窺えた。
「あ……っ」
少女は目の前に舞い込んできた羊皮紙を、とっさに両手で挟んでいた。
「どうした?」
「お父さま、いまの風でこの紙が飛んできて……」
プラチナブロンドの少女はそう言い、不思議そうに何の書類なのか確かめようとする。
その時――。
「すまない、それは私のものだ」
「……っ」
低く艶やかな声がし、隣に立っている父が体を硬くしたのが分かった。
けれどこの日初めて宮廷に上がった十五歳の少女は、『その人』が何者なのか知らない。
「強い風でしたものね。はい、どうぞ」
白い手袋に包まれた手が、羊皮紙を男性に手渡す。
「……大事なものなので、礼を言う」
男性は背が高く、濡れ羽色の髪が美しいと少女は思った。けれどそれよりも、彼の金色の瞳を見ると目が離せない。
「綺麗な目の色ですね」
「……そうか?」
「はい。時々うちの庭に紛れ込む、黒猫のようです」
『彼』が誰なのかも知らない少女が無邪気に微笑むと、父が低い声でたしなめた。
「これ。失礼だからやめなさい」
「……はい、すみません。お父さま」
「閣下、無礼な娘をどうぞお許しください」
深く頭を下げる父の姿を見て、少女はどうやら男性が随分と身分の高い人なのだと分かった。
あわてて父に倣って頭を下げると、その後頭部に手を置かれる。
「いい。助かった。……では」
『彼』が与える雰囲気よりも、その手の優しさのほうがずっと印象に残った。
石畳を静かに歩いて行く靴音がし、ややしばらくしてから少女はぼんやりとしながら頭を上げる。
「……お父さま、いまの方は?」
好奇心を隠さない青緑の目が父を見ると、父は非常に複雑な顔をして顔を左右に振る。
「お前は知らなくていい」
「……はい」
『大人の事情』なのだと分かると、それ以上少女は父に質問をしなかった。
また歩き始めると、前方を歩いていたはずの男性の後ろ姿はもうない。
(……あまり口数は多くなかったけれど、すてきな人だったわ)
また会えるといいな、と漠然とした期待を抱きながら、少女は父と一緒に大きな宮殿へ向かった。
**
エルフィンストーン王国が長きに渡る領土争いを終え、隣国のアルトドルファー王国との調印式を開いたのは、三年前の初夏の頃だった。
両国とも王都は国の中ほどにあり、互いが領土を言い張っていたのはそれぞれの南端と北端の境だ。
山間の川を挟んで国境があったのだが、その川で採れる砂金というのが悩みの種だった。
両国ともそこでの砂金は国庫を潤す資源となっており、容易に手放すことはできない。
川べりに住む者たちはエルフィンストーン王国側の民族であり、言語もそちらを使っている。
川を含め川べりの民は我が国民と言う両者が、長いあいだ主張を譲らなかったのだ。
十年以上続いたその争いは、エルフィンストーン王国の王女がアルトドルファー王国に嫁ぐことにより、解決した。
金の輸出にかかる関税を、アルトドルファー王国にだけ低くすることにより、アルトドルファー王国側から折れたのだ。
第一にアルトドルファー王国から派遣された砂金取りが、川べりの民によって血祭りにされるのも、ずっと頭の痛い問題だった。また川べりの民はエルフィンストーン国民と見なしているので、それにアルトドルファー王国の軍も出張ってくる。
おまけにアルトドルファー王国は世継ぎ問題などで内情が揺れており、軍にかけられる余力はそれほどない。
強国であるエルフィンストーン王国の姫を迎え、血縁となることで様々な問題が解決するのなら……という苦肉の策でもあった。
内側からも揺らいでいる国が、資金のためとはいえずっと戦争を続けていれば、国は貧しくなる。
エルフィンストーン王国の軍が非常に強力で『不死の軍団』という悪名すらあったのを考えれば、砂金を相手に譲り和平を結んだのは正解だった。
調印式は、エルフィンストーン王国の王都で行われた。
アルトドルファー王国の王族や貴族たちは貴賓として迎えられ、馬車が通る街道には両国の国旗が交互に立てられている。
王都の十月堂が調印式の舞台となり、両国の王侯貴族が身守るなか国王たちがサインをする段取りになっていた。
十月堂とは、豊穣の感謝などを捧げる、国民のための建物だ。
両国の代表として国王たちが挨拶をし、立会人となる司教が誓約書を読み上げようとした時だった――。
「アルトドルファー王国に栄光あれぇ!」
奇声が上がったかと思うと、人々の間から騎士が一人躍り出た。
その手には、銀色に光る凶刃が――。
「きゃあっ!」と王家の姫たちが悲鳴をあげ、それぞれの軍と騎士団が動く。
まず一番に体が動いたのは、全身黒づくめのエルフィンストーン王国の元帥だった。
腰に下がっている剣をスラリと抜き、騎士の剣を受け止める。
ギィンッと硬質な音がし、騎士が一歩足を引いて踏みとどまった。
見れば騎士は、まだ若い青年だった。
数年前まで十代だったような、騎士になってまだ間もない彼は、顔を蒼白にして歯を食いしばっている。
顔中に冷や汗をかき、彼がこの凶行を起こすまで緊張しっぱなしだったのが窺えた。
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