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彼の父3

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「……クレハさんのそういう所は、ノアに何かしらいい影響を与えてくれているのかもしれませんね」
「クレハは頭もいいし、情操的にも素晴らしい家庭教師です」

 ルクスの言葉に続けてノアが言う。
 ルクスは息子の言葉の中に、確かにクレハへの愛情を思い知ったようだ。
 彼は何度も頷き、クレハに丁寧な視線を向ける。

「クレハさん。引き続き、ノアの家庭教師をよろしくお願いします。ノアが手紙に書いたように、あなたの母君の事故は、この子が間接的に原因となったとも言えます。ノアが望む通り、クレハさんの母君の入院費もウェズブルク家が持ちます」

「……すみません。どうもありがとうございます」

 畏れ多いという表情をしたクレハは、思わず立ち上がって何度もルクスに頭を下げる。

「隣国へ行った際に、ノアの相手にいいお嬢さんはいないか、さり気なく探していたが……。いまは必要ないみたいだな」

 コーヒーを一口飲んでから息子に笑みを向けると、ノアは「はい」と嬉しそうに微笑む。

「父上、『いまは』ではありません。ずっと、です」
「…………」

 が、ノアの言葉にルクスは上品な笑みを絶やさないまま、頷くことはなかった。
 その根底にある考えを、ノアも汲んだのだろう。
 嬉しそうにしていた顔は真剣になり、視線も厳しくなる。

「父上、僕は本気です。クレハと結婚したいと思っています。事実、彼女には僕の子が宿るかもしれない」

「……ノア、あまり身分や出自のことは口にしたくないが、血統というものは体質にも通じる。吸血鬼種に最適な血は、吸血鬼種だ。最古の王に近い王族や貴族につれ、血は強くなり、……それに対して人はあまりに血も体も弱い」

「ですが!」

 ノアは珍しく感情的になるが、それを上から押さえつけるようにルクスが言葉を被せる。

「クレハさんがお前の子を産んだ時……。お前の血を引く子は助かっても、大事なクレハさんの身はどうなってもいいのか」

「…………」

 父の言葉にノアはグッと歯を喰いしばる。

「……考えていない訳ではないです」

「いいや、お前だって孤児問題が大きいことは知っているはずだ。貴族たちが血統にこだわるのを嫌いつつも、そうせざるを得ない状況だって知っているはずだ」

「…………」

 それは、ノアが父とよく話していることだった。

 世間では『自由恋愛運動』が盛んになっているとはいえ、その果てに生まれる子が孤児になる確率も高い。
 ルクスが出資しているものの一つに孤児院もある。
 そこにいる子供たちの多くが、母が子の持つ血に耐えられず亡くなってしまったという身の上だ。
 もちろん中には父親が一人で子を育てる家庭もあるし、悲しみの果てに新しい母を迎える家庭もある。

 だが、すべてがそうではない。

 ノアが母を失った経緯は純粋な病死だ。
 とはいえ、片親持ちという子の立場はノアが一番分かっている。

「クレハさんの体が大事なら、……控えなさい」

 ルクスとしても、息子の初恋は応援したい。
 だがそこに犠牲者を出してはいけないと、大人の理性が警告を出すのだ。

「……クレハさん。嫌な話をしてしまってすみません。だがあなたの命にも関わるかもしれないことです。万が一のことがありましたら、子が育つ前にいい医者を紹介します」

「…………」

 クレハは何も答えられなかった。

 純粋な人間である母が自分を生んで大丈夫だったから、自分だって平気だ。そう思う気持ちがどこかにあった。
 けれど一般論で言えば、高位貴族のノアの血を自分がまともに受け、堪えられるかどうかは誰にも分からない。
 パーセンテージにしても、子供が無事に生まれてクレハも健康でいることができる確率は、とても小さな数字になるだろう。

「クレハさん、あなたには本当に感謝しています。この子が暴行を受けたかもしれないことを防ぎ、気絶して雨を浴びて酷い風邪をひいたかもしれないのを救ってくださった。ノアの父として、心から感謝します。あなたの帰りが遅いと心配した母君が、不運にも事故に遭ってしまったことも、心苦しく思っています。あなたの体さえ、強い血が流れていれば、きっと私は身分や種族など気にせずノアの妻になってほしいと言うでしょう。恩を感じているあなただからこそ、不幸になってほしくないと私は思うのです」

 ルクスの言葉は、心からの本音だった。

 琥珀色の目は真摯にクレハを見つめ、ノアと同じ道を歩むことを勧められないと言うことを悲しくすら思っている。
 ルクスがクレハに恩を感じ、彼女に恩を返したいと思っているからこそ、彼はノアを諦めるよう言っていた。

 また痛いほどの沈黙が晩餐室を包み、控えているイーサンやメイドは視線を落としている。

 ノアはテーブルの下で強く拳を握り、歯を喰いしばっている。
 何か父に言い返したくても、太刀打ちできない正論を前になすすべがなかった。

 最初に口を開いたのは、クレハだった。

「……もしお言葉に甘えられるのなら、母がよくなるまで家庭教師として雇って頂きたいです。それから先は、また自分の力で自分の道を歩んでいきたいです」

「クレハ……!」

 ノアが悲痛な声を出し、そんな彼にクレハは穏やかに微笑んだ。

「ノアさま、どうか私を止めないでください。きっとこれが一番いい道なんです。神さまは私に、自分の夢を追えと言ってくださっています」

 そう言って浮かべた笑みは、今にもクシャリと崩れてしまいそうに儚かった。

「クレハさん、あなたには十分なお礼をしたいと考えています。もちろん、家庭教師は続けてください。母君が完治されるまで、ウェズブルク家は責任を取ります。あなたがこの屋敷を去ったあとも、私は外務大臣の立場ではありますが、あなたを応援するでしょう。……では、私は少し旅の疲れを癒やすのに、早く休ませてもらいます」

 ルクスはそう告げて立ち上がり、イーサンやメイドたちが頭を下げるなか晩餐室を去ってゆく。

 後にはノアとクレハが残された。
 ノアはじっとクレハを見つめる。
 クレハは視線をテーブルの上に落としたまま、微笑み続けている。

「クレハ、僕は無責任なことがしたくて君に手を出したんじゃない。僕は君なら大丈夫という直感があって、君の事を生涯をかけて愛したいと思って」

「いいんです」

 珍しくクレハはノアの言葉を遮り、立ち上がる。

「あの、私……、お仕事の支度をしてきますね。ノアさまもお勉強のご用意ができましたら、いつでもお呼びください」

 最後までクレハは涙を見せず、頭を下げてからいそいそと晩餐室を出て行った。
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