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空白を埋めるために1

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 眩しい、と感じるのはいつぶりだろうか。

 うっすらと目を開くと、視界に入ったのは赤みがかった空間だ。

 頭上には花が咲き乱れ、天使たちがこの世の苦しみなど知らぬという顔で笛を吹き歌っている。
 ほんの一瞬だけ自分はとうとう天に召されたのかと思ったが、そうではない。絵だ。

 いい匂いがする。

 あの暗く湿ってかびた空間ではなく、人が生活し空気が流れ、どこかに花が飾ってあるような場所の匂いだ。

 体を横たえているベッドも、今まで寝ていたじっとりとした物ではない。体の下には弾力のある上等なマットレスがあり、肌触りのいい敷布が掛けられている。体の上の布団も、水鳥の上質な羽毛のみを入れたフワフワの物だ。
 手をもたげてパフンと羽毛布団を叩くと、お日様の匂いがした。

 ――だとしたら、この薄暗い空間は天蓋の中だ。

 さり、と髪の毛がこすれる音をさせて横を向くと、赤いカーテンに金糸で唐草模様が描かれている。カーテン越しに日差しが窺え、もう日が高いのだと分かった。

(私……、助かったの?)

 覚えているのは、いつものように暗闇のなかシンシアが来るのを待っていると、彼女の悲鳴が聞こえた。
 とうとうガイが来たのかと思って応戦すれば、簡単にねじ伏せられ抱きすくめられた。それどころか唇も奪われ、何度も何度も髪を撫でられる。

 自分の勘違いでなければ、その相手は自分をレイだと言ったような気がしたけれど……。

(レイ様が助けに来てくださった? でも大国グランヴェルを相手に、そんなこと不可能だわ)

 それでも自分があの地下牢から出され、人道的な場所に寝かされているのは事実だ。
 ゆっくり起き上がり、ベッドから下りる。裸足に毛足の長い絨毯の感触が気持ちいい。

 そっと天蓋のカーテンを開いた瞬間、コーネリアは悲鳴を上げていた。

「あぁぁ……っ!!」

 目の前が真っ白になり、世界が瞬いたかのように思えた。
 あまりの眩しさに両目が焼けたかと思い、両手で目を覆ったままズルズルと崩れ落ちる。

 その悲鳴がした途端、ずっと向こう側からガタンッと物音がした。

「コーネリア!? どうした!?」

 バタバタと走ってくる足音がし、肩をがしっと掴まれる。

「っ離して!」

 とっさにコーネリアは目を閉じたまま両手を振り回した。
 安全だと理解できない現状、視界を封じられたまま誰か――しかも男に身を委ねるなどできない。

「落ち着くんだ! 俺だ、レイだ。眩しいのか? 天蓋の中に戻ろう」

 話にならないぐらい圧倒的な力で、コーネリアは軽々と抱き上げられベッドに戻された。
 天蓋が閉じられる音がしても、コーネリアの視界は白くなったままだ。

「無理もない。ほぼ六年あの地下にいたのだとしたら、陽の光は今の君にとって害にしかならない。部屋のカーテンはすべて閉じさせ、普通に立って歩けるようになるまでは、天蓋の中を中心に過ごそう」

 大きな手が髪や背中を撫で、聞き覚えのある声がコーネリアを案じてくれる。

「レイ……様、なのですか? 本当に……?」

 目を瞑ったまま両手を彷徨わせると、しっかりとした手が握り返した。

「コーネリア、俺だ。レックス・ウィリアム・ギルフォード・ラドフォード。君が愛称でもってレイと呼ぶ、ラドフォードの王太子だった男だ」
「……嘘でしょう?」

 彼の姿が見えないのがもどかしい。

 両手で目の前の彼を確認していくと、刺繍が施された上等な布地の下にしっかりとした胸板を感じた。広い肩幅に、太い首。
 髪の毛はサラサラとしていて、複雑な形をした耳に触れ、柔らかく温かい頬、通った鼻梁に目蓋。指の下で彼が何度か瞬きをし、クスッと笑う声が聞こえる。

「抱き締めるよ? コーネリア」

 一言断ってから、嗅ぎ慣れた涼やかな香りに包まれる。力強い腕がコーネリアを捕らえ、頭に頬を押しつけられた。

「本当にレイ様なのですか? 私、死んでいませんよね?」

 ワナワナと震える手で彼の服を掴み、力の限りしがみつく。

「本当の本当に、俺だ。君の婚約者だよ」

 ――あぁ。この声は聞き覚えがある。
 ――低くて、艶やかで、私の名前を呼ぶときだけほんの少し甘くなる声。

 いつのまにか目から涙が溢れ、コーネリアは肩を震わせて泣きじゃくっていた。グスッグスッと洟を啜ると、頬を濡らす涙を彼のハンカチが吸い取ってくれる。

 六年のあいだ暗闇に囚われ、悔しい思いをし、それでも生き延びた。

 憎い敵が暮らす城の奥深くで、コーネリアはただガイを殺す意志だけを胸に秘め、この日まで生きていたのだ。

 自分があの男を殺さなければ、両親は逆らえないだろう。
 グランヴェルが祖国を襲った顛末も気になるし、王女としてコーネリアは安楽を求め死ぬ事など選べなかった。

「今……国はどうなっているのですか? グランヴェルに攻め入られたバンクロフトは? ガイは? お父様が不幸な事になったと聞いて信じられないままでしたが、お父様もお母様もお元気なのでしょう?」

 コーネリアは情報を求める。

 レックスは彼女が囚われていた時間を六年と言った。恐ろしいほど長い時間だ。
 その間、世界はめまぐるしく変化していただろう。何も知らない自分が酷く無力に思え、知りたいという欲求が体の奥から衝いて出てくる。

 何よりも一番、目の前の世界がどうなっているのか見たかった。

 愛する婚約者が、どんな風に成長しているのかこの目で確認したい。

 しかしあの暗闇に囚われていたせいで、少し光を目にしてコーネリアの目は限界を訴えた。なんと情けない事だろう。

「コーネリア。一つずつ話すから、心して聞いてくれ」

 レックスはコーネリアを抱えて自分の膝に乗せ、ベッドのヘッドボードにもたれ掛かる。
 ポン、ポン、とあやすように背中を叩かれると、昂ぶった気持ちも落ち着いてきた。

「君とシンシアが囚われて、一年ほどでバンクロフトはグランヴェルに攻め落とされてしまった。ヘーゼル陛下は、グランヴェルで話し合いを望んだ結果、首を刎ねられてしまった」
「あぁ……」

 残酷な現実に、コーネリアは溜め息をつく。
 あの正気を失ったかのような騎士がまくし立てていた事は、事実だったのだ。

「お母様は?」
「君がグランヴェルに囚われたと知り、エリザベス様はとても気を落とされたようだ。それでも国のために騎士団や貴族たちと協力し合ってグランヴェルと戦っていたが、国は破れてしまった。その最中、愛する夫と娘がいない世界に絶望されたのか、エリザベス様は自ら命を絶たれてしまった」
「…………」

 胸の奥にズン……と鈍い痛みが走る。
 レックスに抱きつくと、彼も抱き締め返してくれ、また背中を撫でられた。

 うっすらと目を開いてみても、世界は白く歪んでいて何も分からない。コーネリアはまた目を閉じて、暗闇に戻る。

「その一年後、俺はクーデターを起こし父上を投獄した」
「えっ?」

 思いも寄らない言葉に、コーネリアは顔を跳ね上げた。

「どうして……」
「盟友のために立ち上がらない王など不要だ。俺はそんな腰抜けの父に愛想を尽かした。自らが王となって先頭に立ち、グランヴェルに占拠されたバンクロフトを奪還した」

 祖国のためにレックスが父を陥れたと知り、コーネリアは何と言っていいか分からない。

「その間、周辺国の王に働きかけ連合軍を作った。大国グランヴェルとて、周囲八方から攻められれば話が変わってくる。四年間の戦争のあと、つい先日俺はガイを倒した」

 自分をあの穴蔵に閉じ込めた仇敵は、もういないのだ。
 憎しみをぶつける先を失い、コーネリアの心がふぅっと傾ぐ。

「バンクロフトと……ラドフォードとグランヴェルは、いま誰が統治しているのですか?」
「俺だ」

 簡潔な答えに、コーネリアは言葉を失う。

 まさか自分の婚約者があの大国を打ち負かし、三国を跨いだ王になるなど思ってもみなかった。
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