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まごころ2

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 弱々しい力でヴォルフの手を握り返し、試すような目が彼の薄い色の瞳を見つめた。

「……私、本を返そうとしてヴォルフ様のデスクの上を見てしまいました。お手紙が四通あり、それにあなたの苗字――ヘレヤークトフントと書かれてあるのを見ました」

 ヴォルフがスッと小さく息を吸ったのが聞こえる。だが構わずアンバーは続けた。

「加えて『クラブG』という宛先から、妖しげな赤い封筒も届いていました。私の知る限り、紳士クラブならもっと正統派な封筒を使うはずです。あの赤い封筒、そしてウサギ。どうしても私は、あの裏オークションと関連付けてしまいます」

 不安もあるが、アンバーはすべて告白する。
 最後に、自分の心の奥にしまい込もうとした淡い想いすら曝け出した。

「……私はヴォルフ様が他にも女性を買っていて、私の知らない場所で誰かと愛し合っているのだろうかと邪推して……。とても苦しくなりました。買われた私がこんな身勝手な想いを抱くなんて許されないけれど、……あ、あなたを……。……独り占めしたい。……そう思ってしまって……」

 恥ずかしくて苦しくて、言葉の終わりはとても震えて掠れた声になってしまった。
 婚約者がいる身なのに、淑女として何とはしたない――。

 涙が零れ落ちそうになった時、グッと力強い両腕に苦しいほど抱き締められた。

「……っヴォル、ん」

 直後唇を奪われ、きつく吸われる。
 驚いて体を強張らせるも、ヴォルフは何度も唇を吸ったあと舌を滑り込ませた。

「ぁ……んっ、ン……ぅ」

 あれほど不安だったというのに、こうして抱かれてキスをされれば心地よさに流されてゆく。純潔を失った我が身を憐れんでいたというのに、なんて現金なのだろう。

 内心苦笑しつつも、アンバーはヴォルフのキスに身を任せていた。
 柔らかな舌が口腔を這い、時折ちゅっと可愛らしいリップ音がする。背中を撫で回す手はまだ僅かに震えていた。
 献身的なキスをされ、アンバーは自分が間違えていたと痛感する。

(確かに私は賊に襲われ裏オークションで売買された。それはとても不幸な事だわ。けれどヴォルフ様に買って頂いてから、何一つ不自由はしなかった。彼は私を本気で愛してくれているようだし……。何より、あの涙とこの手の震えを疑ってはいけない)

「ン……ん」

 ぐるりと舌の根を回され、クチャリと淫靡な音がした。
 口腔に溜まった二人分の唾液を嚥下した時、やっとヴォルフの唇が離れていった。
 彼は少しの間アンバーを見つめ、彼女の両手を優しく握り心からの言葉を伝える。

「信じてほしい。俺は君以外の女など要らない。あのオークションで人を買ったのも君が初めて。どうしてもアンバーをよその誰かにやりたくなかった。秘密クラブには確かに加入している。だがそれは……仕事として必要だからだ」

 まだアンバーの体を気遣っているのか、ヴォルフはゆっくりと彼女を横たえた。

「少し……待っていてくれるか? 帰宅してそのままだったから、着替えたり簡単に身ぎれいにしたい。シシィにお茶を……そうだな、リラックス効果のあるカモミールでも運ばせる。彼女とも少し話をするといい」
「分かりました」

 素直に首肯すれば、額にキスを落としヴォルフが立ち上がる。
 絨毯越しの靴音がし、ジャケットを手に取る布音がしてから、ヴォルフの足音も遠ざかってゆく。

「……はぁ」

 一人残されたアンバーは、キスの名残でどこかジンと痺れた頭のまま唇に指を這わせる。

「思えば……彼に乱暴な事をされた覚えは一度もない。まるでこのお城の女主人のような扱いをしてくれたし……。私はもっと、ここの人たちを信じるべきなのだわ」

 海よりも深く反省し、それでも……と思考を巡らせる。

「ヴォルフ様が私を守ってくださっていたのだとしたら、やはり何が原因なのか知りたいわ。守られるに甘んじて何も知らないのは、当事者なのに責任感がない気がするし。降りかかる火の粉がどこから来るのか判明すれば、私も何に注意すればいいのか分かるはず」

 一度絶望し、ヴォルフに救われてから覚悟の入り方が違う気がする。

 城の四階から飛び降りる勇気に比べれば、誰かの悪巧みを知って事件に巻き込まれるかもしれないなど、ずっと易しいとすら思えた。

 静かに決意を固めた頃、トントンと控えめに寝室のドアがノックされた。

「どうぞ」

 声を掛け、一拍おいてからワゴンを押し姿を現したのはシシィだ。
 いつも明朗快活という表情の彼女は、今ばかりは暗い面持ちだ。目元は泣き腫らしたのか赤くなっていて、顔色全体が青白い気がする。
 申し訳なさを感じ、アンバーは体を起こして両腕を広げた。

「シシィ、ごめんなさい」
「奥様……っ」

 ハグを求める女主人の様子に、メイドは顔を歪め駆け寄ってくる。

「申し訳ございませんでした……っ! 私がもっとしっかり奥様をお支えしていれば、このような事には……っ」

 どう考えてもアンバーが悪いというのに、シシィは強い自責の念を感じている。

「ごめんなさい。本当にごめんなさい。私が悪かったのよ。あなたは何も悪くない。ヴォルフ様に叱られなかった? 打たれたり、酷い事はされていない?」

 小柄なシシィを抱き締め彼女の肩口に顔を伏せれば、小さなシシィは震えていた。だがパッと顔を上げ、必死な目でアンバーを覗き込む。

「いいえ! 旦那様はそのような事はなさいません。確かに叱責を受けましたが、それ以上の罰は何も……。旦那様は、私たち使用人の誇りですもの」

 涙で潤んでいるが、シシィの青い目は凛としている。言葉通り主人を信じ、疑わない。
 妻にと望まれているアンバーよりとても盤石な思いを前に、羞恥すら覚えた。

「もう二度とあんな事はしないわ。約束する。ヴォルフ様とも話し合って、私がここで何をすればいいのかこれから解決策を見つけるつもりよ」
「……はい。ぜひ、これからもずっとシシィを奥様の側に置いてください」

 指で涙を拭い、シシィはニコッと笑ってみせた。
 立ち上がってワゴンまで行くと、アンバーのためにカモミールティーを淹れてくれる。

「旦那様は真っ青な顔をされて、今にも倒れそうでした。医師が何も問題はないと仰っても、奥様が目覚めるまではと手当ても受けられず……」
「手当て?」

 驚いて言葉を反芻したアンバーに、シシィは失言をしたと顔を歪ませた。

「お願い、教えて?」

 だが食い下がるアンバーに、シシィはヴォルフの部屋の方を窺ってから、小声で白状する。

「奥様を受け止められた時、咄嗟に受け身を取られましたが、肩の辺りに多少の打撲を……。いえ、でも旦那様は頑丈ですし、医師も生活には何の差し障りはないと」
「……そう」

 悲しげに目を伏せ、アンバーはお茶を啜る。

 やはり自分は『厄拾いのアンバー』だ。

 自らの身の上を破滅させるだけでなく、娶ろうとする男性まで不幸にする。もともとの婚約者に嫁いだ日には、家を没落させるまでしたかもしれない。
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