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第二十二部・岐路 編

香澄が悩んでいた気持ちが分かるな

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 すすきのの焼き肉屋に着くと、個室に案内された。

 ビールで乾杯したあと、富良野牛を使った稀少部位のコースが運ばれてくる。

「わぁ……。焼き肉でトリュフとか雲丹とかがオプションでくるの、見た事ないんですけど」

 運ばれてくる皿は肉の赤さが目立つよう、高級感のある黒っぽい色をしている。

 焼き肉の店だというから、てっきり網で肉を焼くだけと思っていたら、とろけるサーロインを使っての出汁しゃぶから始まり、口の中が天国に行ってしまいそうだ。

 せっかくだからと写真を撮っては食べ、食べては撮り、和牛の炙り握りやシャトーブリアン、人生で食べた事がないほど美味しい上タンに舌鼓を打つ。

「やばい……。普通の肉に戻れない……」

「色んな物に触れて知っていくのはいい事だ」

「マティアスさんに甘やかされてたら、どんどん駄目人間になってく……。ああ、香澄の気持ちがめっちゃ分かる!」

 いつだったか親友が、とても真剣な顔で『嫌な人になりそう』と悩んでいたのが今なら分かる。

 マティアスは自分を愛してくれているから、一緒に最高の時を過ごそうと、なんでも高級なものを与えようとするだろう。

 自分は以前、香澄に『男性からのプレゼントは、スマートに受け取ったほうがいいんじゃない?』と言ったが、今なら彼女が躊躇っていたのがとても分かる。

 こんなに高価な食事を日常的にご馳走され、さらに洋服やバッグにジュエリーその他を与えられていたら、感覚が麻痺して自分が自分でなくなる気持ちになるだろう。

(こ、怖い……)

 生活レベルが違う世界に入ると、こんな恐怖を味わうのかと初めて知った。

(東京に行った時はお客さんだったし、札幌に戻ったら日常に戻るって分かっていたから、好意に甘えていたところはあったけど)

 麻衣は雲丹の雑炊を食べながら、物憂げな溜め息をつく。

「どうした? 雲丹は好みではなかったか?」

「ううん! そうじゃない。めっちゃ美味しい」

 サムズアップすると、マティアスは「良かった」と微笑む。

「……香澄が悩んでいた気持ちが分かるなーって思ってたんだ。私にとってこういう食事は、一年に一回あるかないかのご馳走だから、このレベルの食事を日常的にしていたなら、戸惑って価値観がバグってしまいそうになるな……って」

「食べたい時に好きな物を食べればいい。俺はこういう店の料理だけでなく、ラーメンも牛丼も好きだ」

「私も」

 クスッと笑った麻衣は、親友の事を想ってそっと息を吐いた。

「……香澄の事、話してくれるって言ったでしょ。あとはデザートだけだから、話して」

 店についても当たり障りのない話をしていたのは、マティアスなりに麻衣の退職祝いをしたかったからだろう。

 すぐに香澄の話をしなかったのは、あまり良くない内容だからだと察せられる。

 雑炊を食べ終えたマティアスは、少し沈黙してから麻衣を見つめ、一月末に香澄が姿を消したあとの事を語り始めた。

 佑に敵意を持つスペイン男により、香澄は実家の家族や自分たちを盾にされ、言う事を聞かざるを得なくなって誘拐されてしまった。

 そしてダークウェブサイトでオークションにかけられ、あわや人身売買に……というところで、ギリギリ佑が救い出した。

 しかし佑は香澄を買った男になりすまし、彼女の意に沿わないセックスをした。

 香澄は無事助け出されたものの、佑の仕事の都合上すぐにパリに向かい、今に至る。

 マティアスと麻衣が話している二月半ばの時点では、佑はまだ刺されていないし記憶も失っていない。

 聞き終わった麻衣は涙を流して洟を啜り、バッグからポケットティッシュを出した。

「……どうしてあの子ばかり酷い目に遭うんだろう」

 呟いてから、マティアスも酷い人生を送ってきたと思い出す。

「悪い事はずっとは続かない。いつか必ず悪運は底をつき、あとは幸せになる。だがそれもずっとは続かず、また悪い事が起こっていい事が起こる。……人生はそうなっている」

「うん……」

 御劔佑という桁違いの大富豪に見初められたぶん、香澄には試練が訪れてしまったのかもしれない。

 どれもこれも、佑に出会わず札幌にいれば、遭わなかった出来事ばかりだ。

「……御劔さんに出会わなければ……って思うけど、そうなったら私たちも出会っていないね」

 佑と香澄がいたから、今の自分とマティアスがいる。

「時は逆戻りしない。どれだけ『あの時こうしなければ』と思っても、現実は変わらない。自然災害も、死んでしまった有名人も、いい事も悪い事も、ありのまま受け止めるしかない」

「……そうだね」

 本当はもっと感情的になって嘆きたかったが、淡々としたマティアスと話していると、不思議と冷静さを保てる。
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