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第二十三部・幸せへ 編

潔癖すぎる

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 佑がサラブレッドなら、澪も同じだ。

 彼女は美しく、モデルのように長身でスタイルがいい。普通に会社員をしているのが不思議なぐらいだ。

 澪自身、学生時代は佑のように男子からもて、女子からは疎まれていただろう。

 そして『孤独なんて怖くない』と自分を奮い立たせ、泣き寝入りするより強くなる事を選んだ。

 それなら彼女の今の性格に納得がいく。

(だから、本音を言いたい時だって素直になれない事が多いかもしれない。誰かにお願いする事だって、プライドの高い人には難しい場合もある。……澪さんはきっと、感情的な部分では『あんな酷い兄は忘れろ』と言いたがっている。……けど、冷静な部分では一から順に佑さんの事を伝え、『兄はこんなに可哀想な人だから、見捨てないでほしい』と訴えている)

 佑と過ごすようになって、少しずつ感情の分析を学んだ。

 途方もない重責を負っている彼だからこそ、カウンセリングで自分の気持ちを打ち明け、分析して納得して〝未知=不安〟をなくそうとしている。

 香澄はそんな彼の姿勢に感銘を受け、自分でもできそうな部分を真似ていった。

 だから今は、人の心の機微が以前よりは分かるようになった気がしている。

(佑さんが、私に力を与えてくれた)

 心の中で呟き、香澄は微笑んだ。

「……澪さんは、お兄さん想いの優しい人ですよ」

 言った瞬間、澪は鋭く息を吸い、両手で顔を覆った。

 やがて彼女は胎児のように体を丸め、嗚咽し始める。

「…………っ、どうして……っ!」

 涙で崩れた声を上げたあと、澪はギュッと香澄の手を握ってくる。

「なんで香澄さんはこんな時まで他人を思いやれるの!? 私のケアなんてどうでもいいじゃない! 今、傷付いているのはあなたで、佑に忘れられているのもあなた! なんで……っ」

 微笑んだ香澄は澪を抱き締め、トントンと背中を叩く。

「つらいからって周りが見えなくなったら駄目なんです。傷付いて、自分一人がこの世のすべての不幸を背負っているように思えて、誰の事も信用できなくなって、ハリネズミみたいに周りの人全員に棘を向けてしまう。……つらい時、人はそうなりがちです。だからこそ駄目なんです。そうなってしまうと分かっていたなら、回避しないと」

 ズッと洟を啜った澪は、起き上がるとベッドライトをつけ、ティッシュに手を伸ばす。

 香澄も起き上がり、さらに澪の背中をさすった。

「……私、今まで感情的になって破滅していった人を、沢山見てきました。私だって理性的とは言えません。……でも、何が悪い事か分かっているなら、それを避けて少しでも善くいたい」

 自分に言い聞かせるような香澄の言葉を聞き、澪は傷付いた表情をする。

「…………あなたは…………」

 そこまで言って、澪は涙を零し、首を横に振る。

「……潔癖すぎる。高潔で、善良で、理想を見続けて、自分が傷付いてでも善くあろうとする」

 澪の言葉を聞き、香澄も泣きそうな顔で笑う。

「……私は一度壊れてしまっているんです。これ以上ないぐらい汚されてしまったと感じてしまったから、残る人生、少しも間違えたくないんです」

「……っ、それは駄目よ。人は間違えるものなの。悪い感情を抱いてもいいの。あなた一人が清くあろうとしても、世界の人間は犯罪を起こし、誰かを陥れて嗤っているわ」

 澪はまた首を横に振り、涙を流して香澄の両手を握り、揺さぶる。

「人は完璧になんてなれないの! 佑がパーフェクトじゃないのは、あなたが一番分かっているでしょう? 彼は私の自慢の兄で、世界が誇るエリートよ。でも完璧じゃない。香澄さんが傷つけられた時は、あなたに聞かせられないような汚い言葉で罵っていたわ。相手の破滅を願って『殺してやる』とも言っていた。……それでいいじゃない。汚くてもいいの。我を失っていいの。……最後に冷静になって法に準ずる事ができるなら、感情は自由なのよ」

 香澄は少しのあいだ呆けてから、ポトリと涙を落とした。

「……だって憎む事もできない。……〝あの時〟逃げられなかった私は、健二くんに『抵抗しなかっただろ』って言われた。『合意だろ』って言われたの。あれは犯罪じゃなかった。訴える事もできない。…………だから、…………心が空っぽになりそうな空虚感と、誰にぶつけたらいいか分からない怒りと悲しみを…………、押し殺すしかできなかった。怒る事、悲しむ事は

「っ~~~~、……っ」

 澪はクシャリと顔を歪め、力一杯香澄を抱き締めてきた。

「……っ、あなたに、……そんな考え方を植え付けた奴を、殺してやりたい……っ!」

 自分の事のように怒る澪の気持ちを受け止め、香澄は静かに涙を流す。

 しばらく澪は香澄を抱き締めて嗚咽していたが、洟をかんでから尋ねてきた。

「佑はあなたのこういうところを、どう言っていた?」

 かつての佑の話をされ、香澄は微笑む。

「澪さんと同じような感じでした。……佑さんはとても優しいから」

 まるで昔を懐かしむような表情を見て、澪は複雑な顔でそっと息を吐く。
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