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第二十二部・岐路 編

ただ、悲しいの

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「とりあえず今日は長旅で疲れただろうし、部屋でゆっくり休みなよ。昼寝して落ち着いて、暇になったら僕らの部屋においで。まだ時間に余裕がありそうなら観光がてら歩いて、時間になったらレストランに行こうか」

「はい」

 香澄は体調を気遣ってくれたクラウスに微笑み、ひとまず部屋で別れを告げた。



**



 佑はプライベートジェットの中で、溜め息をつきながらパソコンのビデオ通話アプリを立ち上げ、アドラーにコールしていた。

 アドラーは起きたばかりらしく、パジャマの上にガウンを羽織った姿で眼鏡を掛ける。

《どうした?》

 聞いておきながら、祖父はすべて〝知っている〟顔をしている。

 と、画面がずれたかと思うとすでに着物に着替えた節子が覗き込み、《私にも話させてちょうだい》と夫の隣に座った。

(まずい)

 祖母の顔を見た瞬間、佑は心の中で呟き覚悟を決める。

《佑、記憶が戻ったんですって?》

 節子に言われ、観念した佑は「はい」と頷いた。

《まず、刺されたというのに怪我が大事に至らなくて、本当に良かったわ。あのあと記憶を失ったと聞いて、本当に心配したの》

「お騒がせしました」

 頭を下げると、節子は溜め息をつき何回か頷いた。

《記憶を失って自分の状況が分からず、混乱したのは分かるわ。……でも香澄さんを追い出さなくても、どうかなったんじゃないの?》

 痛いところを突かれ、佑は視線を落とす。

「仰る通りです。……俺は自分の体調を優先して、健気に慕ってくれる香澄を無下に扱いました」

 今まで家族、双子、関係者を相手に、何度この言葉を口にしたか分からない。

 ランウェイの上で襲われた現場を、マルコやルカたちも見ていたし、ショーンやテオ、出雲たちも目撃していた。

 テオからはエミリアが関係していたため、平身低頭謝られたが、彼がすでにメイヤー家と縁を切り、実家の家族を嫌っている事は分かっているので、『テオが謝る事じゃない』と言い、ショッキングな現場を見てしまったソフィアのケアを頼んだ。

 幸いなのは、ファッションウィークは大人たちの社交の場であるため、二人の子供たちが現場にいなかった事だ。

 イタリア組からは『また二人でローマに来てほしい』と彼ららしい返事があったが、ショーンや出雲、美鈴にはかなり心配された。

 特に美鈴は香澄を妹のように可愛がっていた事もあり、本気でキレる寸前だったらしい。

 彼女を落ち着かせるプロである出雲が、『ここは俺に任せて先に行け』的な事を言っていたので、その後のケアは任せたのだが。

(懇意にしている人たち全員にあの場を見られたから、皆にその後どうなったかを聞かれるんだよな……)

 佑がまだ香澄を思いだしていなかった頃、『赤松さんという人』という呼び方をすると、全員がこれ以上なく驚いていたものだ。

《……まぁ、そこまで佑を追い詰めなくてもいいじゃないか。どうしようもない事だったんだし》

 その時アドラーが助け船に入り、佑はハッとして思考の海から我に返る。

《でも、香澄さんがどれだけ悲しんだのかと思うと、気の毒で堪らないわ》

 いつだったか節子が、『私と香澄さんは似ているわ』と言っていた事があった。

 日本からドイツの家系に嫁ごうとし、本人もまた我慢を強いられる環境にある事、耐え忍ぶ性格をしているところなど、彼女なりに共感する点があるそうだ。

 だからこそ、節子は香澄を可愛がり、味方であろうとしている。

「心の底から反省しています」

 佑はただ、誠意を見せるしかできない。

 節子はしばらく黙っていたが、やがてハァ……と溜め息をつく。

《私だって可愛い孫をいつまでもいびりたい訳じゃないわ》

 その言葉を聞き、佑は安堵する。

《ただ、悲しいの。今まで容易くはない道を歩み、それでも清く優しくあろうとした彼女が、愛する人に掌を返されたのよ。今までならどんな事があっても、佑がいるなら……と我慢できたかもしれない。でも今回は心のよすがとする存在に頼れなくなってしまった》

「オーマの言う通りです」

 その返事は話を合わせるためではなく、心から同意し反省してのものだ。

 香澄がエミリアやフェルナンドから受けた仕打ちを考えると、心の一つや二つ、折れていてもおかしくない。

 それでも彼女は『佑さんがいるから』と、ついてきてくれたのだ。
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