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第二十二部・岐路 編

あなたの婚約者なの!

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(っ、佑さんの声……っ!)

 香澄は彼の声を聞いただけで泣いてしまいそうになり、ギュッと自身の手を握る。

「失礼いたします」

 松井が挨拶し、病室に入っていく。

 室内は香澄の病室と同じ構造で、佑はゆったりとした大きなベッドに横たわっていた。

 彼の体には、まだ様々なコードが繋がっている。

 無精髭を生やした彼は、松井と一緒に入室してきた香澄を不思議そうに見ていた。

「社長、お加減は如何ですか?」

 松井が尋ねると、香澄を見ていた佑はハッとしてぎこちない笑みを浮かべる。

「まだ体のほうは万全ではありませんが、意識のほうは元気なものです。暇で仕方がなくて……」

 そう言って、佑はベッド脇に置いてあるタブレット端末をチラリと見る。

「ほどほどにお願いいたします」

 佑が何か言うより先に松井が言い、彼は苦笑いして「分かりました」と言う。

 そのあと、佑は香澄を見てまた戸惑った顔をする。

「……松井さん、彼女は?」

「っ~~~~……っ」

 彼の言葉を聞いて、ドクンッと心臓が嫌な音を立てた。

(……嘘だ。ふざけてるんだ。助かって安心したから、冗談を言って私を笑わせようとして……)

 知らずと唇が、手が、全身が小さく震えていた。

 松井は静かに香澄の様子を見てから、いつも通り冷静に伝える。

「先日申し上げていました、第二秘書の赤松香澄さんです。社長の婚約者で、目に入れても痛くないほど可愛いがり、溺愛していた最愛の女性です」

 いつもの松井なら言わない言葉を言ってまで、彼は佑に真実を伝えようとした。

 だが佑はキョトンと目を瞬かせたあと、また困惑した顔をし、ぎこちなく笑う。

「……松井さん」

 そう言っただけだが、佑の言葉のあとに「こんな時に冗談は……」と続くのが容易に想像できた。

 香澄は懸命に呼吸を整える。

 気をしっかり持っていなければ、膝から崩れ落ちてしまいそうだ。

 ――駄目。

 ――違う。

 ――これは現実じゃない。

 自分に言い聞かせた香澄は、震える声で訴えた。

「…………たすく、…………さん。……香澄、です。……あなたが札幌でスカウトして、秘書にすると言ってくれたんです。…………私、八谷でバニーガールの格好をしてて……。……違う、あの、エリアマネージャーだったんです。それで、……ミューズって言って、私を見て服のデザインを考えたり……」

 馴れそめを話そうとしても、言いたい事がうまく纏まらない。

 おまけに〝バニーガール〟と言った時、佑が驚いたように少し目を瞠った。

 だから慌ててエリアマネージャーだと付け加えたが、言い訳するように説明するほどドツボに嵌まっていく気がする。

(佑さんは職業で人を判断する人じゃない。でも、婚約者だと言った人が第二秘書だったり、エリアマネージャーだったり、バニーガールとか……、混乱させてるに決まってる)

 自分が不利な事を言ってしまったと気づいた時には、もう遅かった。

 ドッドッドッ……と心臓が嫌な鳴り方をし、どうしたらいいか分からなくなる。

 目の奥が熱くなって涙が溢れそうになるが、泣いてはいけないとグッと我慢した。

「あの……、私……っ」

 明らかに混乱している香澄を見て、佑は気の毒そうな表情になった。

「松井さん、彼女は疲れているようですから。病室に戻して休ませてあげてください」

 自分が〝おかしな人〟として扱われたのが、何より悲しかった。

「っちが……っ、違うんです! 佑さん! 私……っ、香澄! あなたの婚約者なの! ちょっと前はパリで婚約指輪と、結婚指輪を決めたんだよ!?」

 香澄はベッドまで近づき、ワナワナと手を震わせながら必死に訴える。

 そう聞いても佑は反応せず、小さく息を吐くと助けを求めるように松井を見た。

「松井さんもこの冗談に加担しているんですか? ……いや、母さんも『香澄さん』と呼んでいたな……」

 呟いた佑は、香澄に探る目を向ける。

(アンネさんたちが言ってくれたなら……!)

 香澄は一縷の望みをかけて佑を見つめたが、彼の不審げな目は変わらない。

「社長、帰国する時は同じ飛行機で移動する事になります。白金台の家に戻ったあとも、同棲生活に戻ります。今は仕事の事を考えるより、記憶を取り戻せないか努力してみてください」

 松井に言われ、佑は溜め息をつく。

「分かりました。……赤松さん? 少しあなたから話を聞きたいのですが、構いませんか?」
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