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第二十一部・フェルナンド 編

エイデン・アーチボルド

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『ホテルまであと四十分、大人しくしておけ』

 恐怖と痛みで何も考えられない。

 頭の中は真っ白になり、殺されるかもしれない可能性、佑と二度と会えないかもしれない絶望に、心が真っ黒に塗りつぶされていた。

 あまりにつらいと、人は現実を見られなくなる。

 香澄は両手で自分の体を抱き、強張った表情で目の前の空間を見つめるしかできなかった。

 速まる鼓動がやけに大きく聞こえる。

 途中でフェルナンドたちが何か会話していたが、すべてを拒否した香澄の耳には入らなかった。





 やがて着いたのは、リッチ・カーティスロサンゼルスホテルだ。

 青みがかったガラスの外壁が日光を反射し、見るも眩しく輝いている。

 車から降りた香澄は、腕を強くボディガードに掴まれたまま、引きずられるようにしてロビーに入った。

 足を突っ張って力の限り抵抗し逃げようとしたが、文字通り引きずられるのみだ。

「いやだぁああああ……っ!! 離して!! 離せえぇええぇえっっ!!」

 恐慌状態になって日本語で叫ぶ香澄を、五つ星ホテルに泊まる宿泊客が不審げな目で見てくる。

 そんな彼らに向けて、フェルナンドは英語で言った。

『フィアンセと喧嘩したんです。お気にせず』

 それを聞いて、全員「なんだ」という表情で笑い合う。

 近づいてきたコンシェルジュに、フェルナンドが要件を伝える。

『プレジデントスイートにいる、エイデン・アーチボルドと約束しているが、取り次いでくれるか?』

 コンシェルジュはエイデンが取っている部屋に電話を掛け、確認したあとに『こちらにどうぞ』と案内しだした。

「離してぇえええっ!!」

 香澄はボディガードの太い腕を必死に押し、なおも抵抗し続ける。

 彼女を気にするコンシェルジュに、フェルナンドは先ほどと同じように説明する。

『酷い喧嘩をしたんです。あとから仲直りをしますから、お気にせず』

 やがてエレベーターは上層階につき、コンシェルジュはとある部屋のチャイムを押した。

 少しして内側からドアが開き、あのエイデン・アーチボルドが姿を現した。

『やあ、フェルナンド』

 エイデン・アーチボルドは、見た目より高い声の持ち主で、香澄は本能的に嫌悪を覚える。

 彼は表情の変化が少なく、彫りの深い目元からジッとこちらを見る目が怖い。

 スーツを着た彼はフェルナンドと握手をし、『彼女がカスミ・アカマツ?』と確認してきた。

 コンシェルジュも下がり、香澄は怯えて固まっている。

『エイデン、悪いが先に君の身分証明になる物を頼む』

 言われて、エイデンはフェルナンドにパスポートを見せた。

『……OK。……じゃあ、さっそく撮影を始めようか』

 フェルナンドは香澄の腕を掴み、ベッドルームに引きずっていく。

「……やだ……。…………やだぁ……。ねぇ、やだ……やだ……」

 顔面蒼白になった香澄は、床にしゃがみ込んで抵抗する。

 それを見てフェルナンドが舌打ちをした時、エイデンが香澄を軽々と抱き上げた。

「っ離して!!」

 暴れる香澄を肩の上に担ぎ、エイデンはベッドルームに向かう。

 彼からは知らない香水の匂いがし、他人に触られている現実を知らせてくる。

『カスミ。大人しくしていればすぐに終わる。抵抗したらお前をどうするか分からない。頼むから、一回抱かれるぐらい、大人しくしておけ』

 フェルナンドにすごまれ、香澄は浅い呼吸を繰り返し、ボロボロと涙を零す。

 彼は香澄の帽子とウィッグを取る。

 エイデンはキングサイズのベッドに彼女を下ろし、ケープを取ると、ニットワンピースに手を掛けてきた。

「っ触らないで!!」

 香澄は力一杯その手を叩き、ブルブル震える手で自分を抱き締める。

 ――こうなったのは、自分が悪いからだ。

 ――あの時、脅しに負けずに佑さんや松井さん、河野さんに相談できていたら……。

 ――船に乗らなかったら……。

 ――すべて、自分が悪い。

 ごっそりと表情を失った香澄は、顔を青白くさせ、かろうじて残っている誇りを振り絞った。

『……自分で、……脱げます』
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