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第十九部・マティアスと麻衣 編

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「さっきは『まだメイクラブの話をしない』と言った。だが、あらかじめ少し話させてくれ」

「うん、なに?」

 今なら、何でも受け入れられる気がして、覚悟を決めて尋ねる。

「……俺の体には、あの女につけられた醜い傷がある。……本当は、ラブホテルに入って裸になり、その傷跡を見せる事でマイの気持ちを量ろうと思っていた」

 ずっと今まで言わずに隠していた事になるが、その気持ちは理解できる気がした。

 ひどい傷があるなら、見せたくないと思うのは当たり前だ。

 まして他人につけられた傷で、それをネガティブに捉えているなら、誰だって好きな相手には見せたくないと思うだろう。

 マティアスは今まで沢山傷付き、人を信じられずに生きてきた。

 麻衣を好きになったとはいえ、体に残された恥部を見せるのは勇気が要る。

 彼が試そうと思った気持ちを、責める事はできない。

「……いいよ。マティアスさんの全部を見せて」

 麻衣は微笑み、彼の肩をポンポンと叩いた。

 マティアスは体ごと麻衣に向き直り、真剣な表情で言う。

「……体を見てもらってもいいだろうか? きっと気持ち悪いと感じるだろう。傷を見てからメイクラブするか決めてほしい。俺はできなくても大丈夫だ。マイの気持ちを尊重したい」

「そんな事ないよ」と言いたかったが、まだ傷を見ていないのに、上辺だけの慰めの言葉を掛けるのは失礼だ。

 マティアスは自分を「優しい」と言ってくれているが、すべてを肯定すればいい訳ではない。

 彼は自分にきちんと向き合い、甘やかすだけではなく、誠実に正直に接してほしいと願っている。

「分かった」

 だから、まず彼の望みを聞こうと思った。

 頷くと、マティアスは立ち上がってテーブルの向こうに立つ。

 そしてタートルネックのニットを脱ぎ、その下に着ていた半袖Tシャツも脱ぐ。

 服の下から引き締まった体が現れた。

 割れた腹筋に、厚い胸板。太い首から肩へ掛けてのラインもしっかりしていて、肩から二の腕への筋肉も凄い。

 一瞬見とれかけたものの、その肌に刻まれたモノを見てキュッと胸の奥が痛くなった。

 彼の肌には沢山の傷痕がついていた。

 裂傷とおぼしき痕の他にも、何の道具か分からないが、何かの形そのままがくっきりと刻まれている痕もある。

 麻衣自身も料理に不慣れだった頃、包丁で指を切って、いまだに傷痕が残っている。

 だから〝傷〟を見た事がないとは言わない。

 だが体にびっしりと傷痕が刻まれている人を見るのは、生まれて初めてだった。

 悪意そのものが形となって、マティスを肌から支配しているように思える。

 麻衣はこみ上げる怒り、悲しみをグッと押し込め、なんと声を掛けるべきなのか考えた。

「背中は、奴隷のように鞭で打たれた」

 マティアスは後ろを向いて背中を見せる。

 それを見て麻衣は静かに息を呑んだ。

 広く逞しい背中に、むごたらしい裂傷が隙間なく刻みつけられていた。

 ――あぁ、……駄目だ。

 理性的に〝考えて〟答えを出そうとしたが諦め、ふぅ……っ、と止めていた息を吐いた。

 ――今すぐ彼を抱き締めたい。

 そう思い、立ち上がった。

 麻衣はマティアスの側まで歩み寄り、彼の背中にぺたりと掌を当てた。

「……痛い?」

「いや。一番最近の傷は半年ぐらい前だから、痛みもそれほどない」

 言葉の通り、マティアスの傷は新しいものから古いものまで様々だ。

「……ずっと酷い事をされてたんだね」

 肌に刻まれた傷の数は、支配に耐え続けてきた年月そのものを表している。

「ずっと所有物として扱われていた。人権はなかったな。メイヤー家に逆らう者はいなかった」

 そう応えるマティアスの声には、やはり何の感情も込められていない。

〝今〟しか見ていない彼にとって、エミリアはもう過去の存在なのだろう。

「……思ったんだけど」

 麻衣はぺた、ぺた、とマティアスの背中を触り、指先でそっと傷跡をたどる。

「マティアスさんがこういう性格になったのは、自分を守った結果だと思う。でもすべてが終わった今、過去に囚われず〝今〟だけを見ているマティアスさんは凄いなって思う」

「そうだろうか」

 その声にも、やはり何の感情も込められていない。

 麻衣は静かに微笑み、後ろから彼に抱きついた。
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