1,221 / 1,544
第十九部・マティアスと麻衣 編
マティアスのトラウマ
しおりを挟む
「俺は小さい頃からアロクラと一緒にエミリアの相手をしていた。彼女のボディガードになり、エミリアが癇癪を起こした時は罵倒され、殴られ、蹴られ、道具で叩かれた。『氷の入った冷水を被れ』と命令された事もあったし、あいつの前で全裸になった事もあった」
「っ…………。……し、した……の?」
麻衣は最後の一言を聞いて息を呑み、こわごわと尋ねる。
「性行為ならしていない。あいつは俺を犬か馬ぐらいにしか思っていない。あいつは全裸になった俺を鞭で打ち、ペニスを踏んだ。俺は一時、勃起障害にもなった。あの女は勃起できない俺に『目の前で自慰してみろ』と言い、できない俺をあざ笑った」
「っ……。…………っ、――――」
麻衣は興味本位で聞いた事を深く後悔した。
マティアスは今、深く傷付けられた傷を麻衣に見せてくれている。
彼がこんなに深いトラウマを抱いていると知らず、「エミリアという人の事を、もしかして好きだったのかな?」と、くだらない嫉妬心から聞いてしまった。
だが――、違う。
彼は麻衣が考えるような、甘っちょろい世界を生きていなかった。
「俺は復讐するために長い間耐え続けた。そのうち、あいつに何を言われようが『今日も元気に喚いてるな』程度にしか思わなくなった。叩かれても痛みに慣れていった。何かに期待を持っても、あいつがいる限り叶わないと早いうちに理解した。だから未来の事を考えず、ただ目の前の出来事を受け入れる性格になったのだと思う」
今のマティアスを形成する残酷な過去が、淡々と語られる。
「あいつがあそこまで歪んだのは、好きな男に受け入れられないからだ。そう思うと『哀れだな』『ざまみろ』と慰めになった。手には入らない物はない富豪の娘だが、唯一手に入らないものに苦しみ続ければいい。そう思っている俺はロクな男じゃない。今は落ち着いているが、この胸の奥にはマイには見せられないドロドロとした感情が渦巻いている」
「っ、――――、…………っもう、……いい……」
麻衣は震える手で、ソファの上に置かれてあるマティアスの手を握った。
「ごめんなさい……っ。本当に、ごめんなさい。……嫌な事を思い出させたかった訳じゃなかったの。ただ、純粋に二人の関係が気になっただけで……っ」
涙を流し、唇を震わせる麻衣の顔を見て、マティアスは目を細めた。
「マイは優しいな。今まで誰一人として、俺のために泣いてくれる人はいなかった。事情をすべて知っているアロクラも、エミリアの呪縛に掛かっていた。被害者同士で復讐の協力はできても、誰かに慰められたり、同情され、泣かれる事はなかった。祖父も父もメイヤー家のいいなりだったし、母は何も知らないまま入退院を繰り返し、――亡くなってしまった」
そう言ってマティアスは、ギュッと麻衣を抱き締めてくる。
「母は人質だったと言っていい。本当は不治の病だったのに、メイヤー家の担当医が診てくれると言ったのを信じた俺たちが馬鹿だった。俺たちは母が医者の〝治療〟を受け、治ると信じていた。だが母は回復せず、死に至った。別の病院に行けばきちんとした治療が受けられたのに、『担当医を疑う事はメイヤー家を疑う事だ』という洗脳があった。……結局、母を殺したのは無知な俺たちなんだ」
マティアスの体ごしに、彼の淡々とした声が伝わってくる。
こんな過酷な話をしているのに、彼は決して感情の揺れを見せない。
それが酷い仕打ちに耐え続けた結果なのだと思うと、悲しくて、悔しくてやりきれなかった。
「俺は水面下でアドラーさん達とやり取りをし、自由になった時のためにせっせと金を作った。……他は基本的に人に興味を持てなかったな。人を愛する心の余裕もなかった。多分、人を信頼できなかったんだと思う。金だけは俺を裏切らず、努力しただけ数字が増えた。だから金を増やす事に没頭した。釣りやドライブ、キャンプも趣味だが、一緒に楽しむ友人はほぼいなかったな」
言ったあと、マティアスは僅かに笑った。
「だから、カスミのために怒ったマイを見て、『この人は他人のために、ここまで感情的になれるのか』と感動した。マイの事を、情に厚い優しい人だと思った」
「そんな……」
とても凄い人のように言われ、麻衣は緩く首を振る。
そして、小さく溜め息をついた。
香澄から話を聞いた時、顔も知らない〝マティアスという男〟を憎んでいた。
普通なら関わらないはずの人と会う事になり、気持ちの清算のためにビンタで帳消しにすると決めた。
そのあとは「少しでもいいところを見つけられたら、香澄のように許せるかもしれない」と思っていたが、予想以上に関わる事になってしまった。
最初は勝手に、彼の事を「女を道具扱いする男」と思っていた。
なのに蓋を開けてみれば、マティアスは天然ボケで憎めない人だった。
その上女性として興味を持たれて戸惑い、ボーッとしている間にグイグイ迫られて彼のペースに呑まれた。
香澄は何事もなかったかのように応援してくるし、今まで自分が怒っていたのがおかしな事なのかと思い始めた。
結局は、義憤に駆られて目を曇らせていたのだ。
〝香澄の仇〟というフィルターを取れば、彼は気の毒な事情がある哀れな男性だった。
「っ…………。……し、した……の?」
麻衣は最後の一言を聞いて息を呑み、こわごわと尋ねる。
「性行為ならしていない。あいつは俺を犬か馬ぐらいにしか思っていない。あいつは全裸になった俺を鞭で打ち、ペニスを踏んだ。俺は一時、勃起障害にもなった。あの女は勃起できない俺に『目の前で自慰してみろ』と言い、できない俺をあざ笑った」
「っ……。…………っ、――――」
麻衣は興味本位で聞いた事を深く後悔した。
マティアスは今、深く傷付けられた傷を麻衣に見せてくれている。
彼がこんなに深いトラウマを抱いていると知らず、「エミリアという人の事を、もしかして好きだったのかな?」と、くだらない嫉妬心から聞いてしまった。
だが――、違う。
彼は麻衣が考えるような、甘っちょろい世界を生きていなかった。
「俺は復讐するために長い間耐え続けた。そのうち、あいつに何を言われようが『今日も元気に喚いてるな』程度にしか思わなくなった。叩かれても痛みに慣れていった。何かに期待を持っても、あいつがいる限り叶わないと早いうちに理解した。だから未来の事を考えず、ただ目の前の出来事を受け入れる性格になったのだと思う」
今のマティアスを形成する残酷な過去が、淡々と語られる。
「あいつがあそこまで歪んだのは、好きな男に受け入れられないからだ。そう思うと『哀れだな』『ざまみろ』と慰めになった。手には入らない物はない富豪の娘だが、唯一手に入らないものに苦しみ続ければいい。そう思っている俺はロクな男じゃない。今は落ち着いているが、この胸の奥にはマイには見せられないドロドロとした感情が渦巻いている」
「っ、――――、…………っもう、……いい……」
麻衣は震える手で、ソファの上に置かれてあるマティアスの手を握った。
「ごめんなさい……っ。本当に、ごめんなさい。……嫌な事を思い出させたかった訳じゃなかったの。ただ、純粋に二人の関係が気になっただけで……っ」
涙を流し、唇を震わせる麻衣の顔を見て、マティアスは目を細めた。
「マイは優しいな。今まで誰一人として、俺のために泣いてくれる人はいなかった。事情をすべて知っているアロクラも、エミリアの呪縛に掛かっていた。被害者同士で復讐の協力はできても、誰かに慰められたり、同情され、泣かれる事はなかった。祖父も父もメイヤー家のいいなりだったし、母は何も知らないまま入退院を繰り返し、――亡くなってしまった」
そう言ってマティアスは、ギュッと麻衣を抱き締めてくる。
「母は人質だったと言っていい。本当は不治の病だったのに、メイヤー家の担当医が診てくれると言ったのを信じた俺たちが馬鹿だった。俺たちは母が医者の〝治療〟を受け、治ると信じていた。だが母は回復せず、死に至った。別の病院に行けばきちんとした治療が受けられたのに、『担当医を疑う事はメイヤー家を疑う事だ』という洗脳があった。……結局、母を殺したのは無知な俺たちなんだ」
マティアスの体ごしに、彼の淡々とした声が伝わってくる。
こんな過酷な話をしているのに、彼は決して感情の揺れを見せない。
それが酷い仕打ちに耐え続けた結果なのだと思うと、悲しくて、悔しくてやりきれなかった。
「俺は水面下でアドラーさん達とやり取りをし、自由になった時のためにせっせと金を作った。……他は基本的に人に興味を持てなかったな。人を愛する心の余裕もなかった。多分、人を信頼できなかったんだと思う。金だけは俺を裏切らず、努力しただけ数字が増えた。だから金を増やす事に没頭した。釣りやドライブ、キャンプも趣味だが、一緒に楽しむ友人はほぼいなかったな」
言ったあと、マティアスは僅かに笑った。
「だから、カスミのために怒ったマイを見て、『この人は他人のために、ここまで感情的になれるのか』と感動した。マイの事を、情に厚い優しい人だと思った」
「そんな……」
とても凄い人のように言われ、麻衣は緩く首を振る。
そして、小さく溜め息をついた。
香澄から話を聞いた時、顔も知らない〝マティアスという男〟を憎んでいた。
普通なら関わらないはずの人と会う事になり、気持ちの清算のためにビンタで帳消しにすると決めた。
そのあとは「少しでもいいところを見つけられたら、香澄のように許せるかもしれない」と思っていたが、予想以上に関わる事になってしまった。
最初は勝手に、彼の事を「女を道具扱いする男」と思っていた。
なのに蓋を開けてみれば、マティアスは天然ボケで憎めない人だった。
その上女性として興味を持たれて戸惑い、ボーッとしている間にグイグイ迫られて彼のペースに呑まれた。
香澄は何事もなかったかのように応援してくるし、今まで自分が怒っていたのがおかしな事なのかと思い始めた。
結局は、義憤に駆られて目を曇らせていたのだ。
〝香澄の仇〟というフィルターを取れば、彼は気の毒な事情がある哀れな男性だった。
12
お気に入りに追加
2,509
あなたにおすすめの小説
ミックスド★バス~家のお風呂なら誰にも迷惑をかけずにイチャイチャ?~
taki
恋愛
【R18】恋人同士となった入浴剤開発者の温子と営業部の水川。
お互いの部屋のお風呂で、人目も気にせず……♥
えっちめシーンの話には♥マークを付けています。
ミックスド★バスの第5弾です。
社長の奴隷
星野しずく
恋愛
セクシー系の商品を販売するネットショップを経営する若手イケメン社長、茂手木寛成のもとで、大のイケメン好き藤巻美緒は仕事と称して、毎日エッチな人体実験をされていた。そんな二人だけの空間にある日、こちらもイケメン大学生である信楽誠之助がアルバイトとして入社する。ただでさえ異常な空間だった社内は、信楽が入ったことでさらに混乱を極めていくことに・・・。(途中、ごくごく軽いBL要素が入ります。念のため)
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
【R18】エリートビジネスマンの裏の顔
白波瀬 綾音
恋愛
御社のエース、危険人物すぎます───。
私、高瀬緋莉(27)は、思いを寄せていた業界最大手の同業他社勤務のエリート営業マン檜垣瑤太(30)に執着され、軟禁されてしまう。
同じチームの後輩、石橋蓮(25)が異変に気付くが……
この生活に果たして救いはあるのか。
※サムネにAI生成画像を使用しています
【R18】豹変年下オオカミ君の恋愛包囲網〜策士な後輩から逃げられません!〜
湊未来
恋愛
「ねぇ、本当に陰キャの童貞だって信じてたの?経験豊富なお姉さん………」
30歳の誕生日当日、彼氏に呼び出された先は高級ホテルのレストラン。胸を高鳴らせ向かった先で見たものは、可愛らしいワンピースを着た女と腕を組み、こちらを見据える彼の姿だった。
一方的に別れを告げられ、ヤケ酒目的で向かったBAR。
「ねぇ。酔っちゃったの………
………ふふふ…貴方に酔っちゃったみたい」
一夜のアバンチュールの筈だった。
運命とは時に残酷で甘い………
羊の皮を被った年下オオカミ君×三十路崖っぷち女の恋愛攻防戦。
覗いて行きませんか?
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
・R18の話には※をつけます。
・女性が男性を襲うシーンが初回にあります。苦手な方はご注意を。
・裏テーマは『クズ男愛に目覚める』です。年上の女性に振り回されながら、愛を自覚し、更生するクズ男をゆるっく書けたらいいなぁ〜と。
【完結】やさしい嘘のその先に
鷹槻れん
恋愛
妊娠初期でつわり真っ只中の永田美千花(ながたみちか・24歳)は、街で偶然夫の律顕(りつあき・28歳)が、会社の元先輩で律顕の同期の女性・西園稀更(にしぞのきさら・28歳)と仲睦まじくデートしている姿を見かけてしまい。
妊娠してから律顕に冷たくあたっていた自覚があった美千花は、自分に優しく接してくれる律顕に真相を問う事ができなくて、一人悶々と悩みを抱えてしまう。
※30,000字程度で完結します。
(執筆期間:2022/05/03〜05/24)
✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼
2022/05/30、エタニティブックスにて一位、本当に有難うございます!
✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼
---------------------
○表紙絵は市瀬雪さまに依頼しました。
(作品シェア以外での無断転載など固くお断りします)
○雪さま
(Twitter)https://twitter.com/yukiyukisnow7?s=21
(pixiv)https://www.pixiv.net/users/2362274
---------------------
若妻シリーズ
笹椰かな
恋愛
とある事情により中年男性・飛龍(ひりゅう)の妻となった18歳の愛実(めぐみ)。
気の進まない結婚だったが、優しく接してくれる夫に愛実の気持ちは傾いていく。これはそんな二人の夜(または昼)の営みの話。
乳首責め/クリ責め/潮吹き
※表紙の作成/かんたん表紙メーカー様
※使用画像/SplitShire様
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる