上 下
941 / 1,550
第十五部・針山夫婦 編

神様を抱いている

しおりを挟む
(ここで意地を張ったら、また喧嘩になる)

 喧嘩をしたのは、佑が熱を出した件が初めてだ。

 今までは、気まずくなっても佑が折れてくれたし、そのあと香澄が納得できるよう説明してくれた。

 でもいつまでも佑の気の長さに甘えていてはいけない。

 結婚するなら、自分の〝譲れない部分〟を譲れるようにならなければいけない。

 いつまでも独身のつもりで「好きなようにしたい」「自分の我を通したい」と思っていたら、二人で協力して暮らすなどできない。

 ローマで、マリアと話して理解したはずだ。

 自分の人生の中に他人を入れるという事は、一人で抱えてきたものを信頼する相手にも持ってもらう事だ。

 だからとても勇気を出し、恐る恐る尋ねた。

「……じゃあ、家賃、渡さなくても……いい、の?」

 とても不安だったため、自信のない声になってしまう。

「全然構わないよ。何があっても俺は香澄を追い出したりしない。手放すつもりもない。……結婚したいと思っている女性なんだから、もっと自分の価値を認めてあげていいんだよ、香澄」

 最後に佑は柔らかく笑い、香澄の髪を撫でながら抱き寄せ、キスをしてきた。

「…………っ」

 佑の言葉を聞いて、香澄は自分が家賃を払う事で、保険をかけていたのだと気づかされた。

 同時に自分がお金で弱い心を守ろうとしていた事に気付き、一気に情けなくなって涙が零れそうになる。

 体を強張らせた香澄を、佑は優しく抱き締める。

「香澄の自己肯定感がとても低い理由は、原西のせいだと分かってる。それは香澄のせいじゃない。失敗して傷付かないために、慎重になろうとするよな。分かるよ」

 自分では乗り越えたと思っていた健二との過去が、今でも佑との関係に影を落としていた。

「っごめ……」

「いいんだ。俺は絶対に香澄を責めない。ゆっくりでいいよ。俺はこれからも香澄と一緒にいたい。香澄がゆっくり進みたいなら、その歩幅に合わせる」

「……ありが、とう」

 メイクをしているのでなるべく泣きたくないのに、頬をツゥッと涙が流れていく。
 そんな香澄の頭を、佑はよしよしと撫でてくれた。

「俺も香澄も人間だ。完璧じゃないんだ。だからお互い弱みが分かったら、補い合えるようにしていこう」

「……うん」

 ――好きだなぁ。

 香澄は佑の腕にしがみつき、顔を押しつけようとして――、ハッと「ファンデがつく!」と思いとどまった。

「どうした?」

 不思議そうな顔をする佑に、香澄は誤魔化し笑いをする。

「ファンデついちゃう」

「そんなのいいよ。おいで」

 軽やかに笑った佑が香澄をギュッと抱き締めてくる。
 その力強く頼りがいのある腕に、また涙が零れそうになった。

 何度も何度も、佑に救われている。

 自分でも「こんな女、面倒臭くて嫌だ」と思うのに、彼は呆れる事なく何度でも向き合って、納得できる答えをくれる。

 衣食住、何もかも整えてくれて、この上ない深い愛情までくれる。

 だから心底「何をすればお返しができるのだろう?」と悩んでしまう。

「…………っ」

 だから、ギュウッと佑を抱き返した。

「……好き」

 それしか言えない自分が情けない。

「す」と「き」の中に、自分の心の中で大きくうねった感情をすべて込める。

 言葉だけではこの気持ちを表しきれない。

 キスをして舐め合って、深く体を繋いでも心だけは分からない。

 彼を想うだけで泣いてしまいそうになる感情も伝わらない。

 好きで好きで堪らなく、途方もない恩を感じているのに、爪の先ほども伝えられていなくて、悔しくて堪らない。

「好き。……大切なの。……ありがとう」

 神様を抱いていると思った。

 つたない言葉で感情を表す香澄を佑は抱き締め、背中をさすってくれる。

「全部分かってるよ。知ってる」

 包み込むような温かい声に、香澄はもっと涙を零してきつく抱きつく。

 一生、この人だけを愛して、大切にしようと思いながら、グスッと洟を啜った。



**
しおりを挟む
感想 556

あなたにおすすめの小説

社長室の蜜月

ゆる
恋愛
内容紹介: 若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。 一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。 仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。

上司は初恋の幼馴染です~社内での秘め事は控えめに~

けもこ
恋愛
高辻綾香はホテルグループの秘書課で働いている。先輩の退職に伴って、その後の仕事を引き継ぎ、専務秘書となったが、その専務は自分の幼馴染だった。 秘めた思いを抱えながら、オフィスで毎日ドキドキしながら過ごしていると、彼がアメリカ時代に一緒に暮らしていたという女性が現れ、心中は穏やかではない。 グイグイと距離を縮めようとする幼馴染に自分の思いをどうしていいかわからない日々。 初恋こじらせオフィスラブ

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~

椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」 私を脅して、別れを決断させた彼の両親。 彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。 私とは住む世界が違った…… 別れを命じられ、私の恋が終わった。 叶わない身分差の恋だったはずが―― ※R-15くらいなので※マークはありません。 ※視点切り替えあり。 ※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

若社長な旦那様は欲望に正直~新妻が可愛すぎて仕事が手につかない~

雪宮凛
恋愛
「来週からしばらく、在宅ワークをすることになった」 夕食時、突如告げられた夫の言葉に驚く静香。だけど、大好きな旦那様のために、少しでも良い仕事環境を整えようと奮闘する。 そんな健気な妻の姿を目の当たりにした夫の至は、仕事中にも関わらずムラムラしてしまい――。 全3話 ※タグにご注意ください/ムーンライトノベルズより転載

ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~

菱沼あゆ
恋愛
念願のランプのショップを開いた鞠宮あかり。 だが、開店早々、植え込みに猫とおばあさんを避けた車が突っ込んでくる。 車に乗っていたイケメン、木南青葉はインテリアや雑貨などを輸入している会社の社長で、あかりの店に出入りするようになるが。 あかりには実は、年の離れた弟ということになっている息子がいて――。

『逃れられない淫らな三角関係』番外編 ヘルプラインを活用せよ!

臣桜
恋愛
『逃れられない淫らな三角関係』の番外編です。 やりとりのある特定の読者さまに向けた番外編(小冊子)です。 他にも色々あるのですが、差し障りのなさそうなものなので公開します。 (他の番外編は、リアルブランド名とかを出してしまっている配慮していないものなので、ここに載せるかは検討中)

処理中です...