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第十四部・東京日常 編

もう彼女には期待していない

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 決して、まずかったから捨てた訳ではない。

 食べようと努力して、どうしても残してしまい、時間が経って嫌な臭いがし始めたので処分した。それだけだ。

 それを今指摘され、一瞬きちんと説明しようと思った。

(でも、もう終わる関係なら、言い訳する必要もないだろ)

 説明をするのは、相手に理解してほしいから。
 理解してほしいのは、誤解してほしくないから。
 誤解してほしくないのは、相手に期待しているから。

 佑はもう、美智瑠に期待していない。

 なら無駄に足掻く必要はないと思った。

(美智瑠は今まで色んな事を耐えていたし、何も言い返さず鬱憤をすべて吐かせよう)

 佑は諦めにも似た感情のまま、口を噤む。

 美智瑠は畳みかけるように言う。

『私、何回も〝休んだら? 仕事減らしたら?〟って言ったよね? 私の言葉に耳を傾けてくれた? どうでも良かったでしょう? 私は佑に忠告を聞いてもらえない、影響を与えられない存在。……何のために付き合っていたの?』

 涙混じりに言われても、佑は何も言い返せない。

『私がお母さんや妹さんと鉢合わせて〝気まずかった〟って言っても、佑は何も言ってくれなかった。自分のお母さんがキツい性格をしてるって分かってるでしょう? 私がどんな思いをしたかもっと心配してよ! 察してよ!』

 佑は何も言わず、嵐のような言葉をただ浴びる。

『佑はいつも自分の事ばっかり! 仕事の事しか考えていなくて、私なんてどうでも良かった。気が向いた時にご機嫌取りをしただけ。あのきついお母さんの言葉に、私がどれぐらい傷ついたか分かる? 妹さんに胡散臭そうに見られて悲しかった! こんななら、結婚しても私の味方になってくれなかったでしょうね。幾ら佑のお祖父さんがクラウザー社の会長さんでも、あなたみたいな人と結婚するのは無理!』

 温厚な女性だったはずなのに、豹変した美智瑠は激しく佑をなじる。

『佑と結婚したら、理想の結婚生活を送れるかもって期待した。でもあなたは私に高価なプレゼントをくれる〝だけ〟。プレゼントに気持ちはこもっていなかった。話題になっているバッグやジュエリーを買って与えるだけ。私に似合うかなんてどうでも良かった。私の好きな宝石は、誕生石のサファイアとローズクォーツ。ギラギラしたダイヤモンドをもらっても、嬉しくなかったの!』

 佑だって、高価な物を与えたらそれでいいなんて思っていなかった。

 忙しいなかジュエリーショップに向かって、スタッフと話し合って美智瑠が喜んでくれそうな物を選んだつもりだった。

 だが、まったく伝わっていなかった。

 自分が彼女のためを思ったした事を、あまり口に出して言わなかったのもある。
 加えて、美智瑠の好きな物を尋ねる手間を惜しんだのが、彼女的には悪かったのだろう。

(好みじゃなかったとはいえ、プレゼントされたのに、こんなふうに言わなくたっていいじゃないか)

 佑は心の中で文句を言う。
 彼が無表情のまま言い返さないからか、美智瑠はさらにヒートアップする。

『一緒にディナーに行っても佑が話すのは仕事の話ばっかり。旅行なんて誘ってくれなかったよね? 今の彼氏、佑と真逆なの。私の言う事をなんでも聞いてくれるし、プレゼントもしてくれるけど、何より〝好きだ、愛してる〟って浴びるほど言ってくれる』

(良かったな)

 彼は心の中で相槌を打った。
 勿論、言えば彼女が逆上するので決して口にしない。

『佑なんてお金持ってるだけの仕事人間じゃない。ドイツの血を引いていても、あんな大きな家との繋がりなんて面倒。そもそも私、あなたのお母さんと妹が苦手なの。いつも不機嫌そうで偉そう。心の中で私を馬鹿にして、嫌っている人たちを好きになんてなれない』

 雨の様に降り注ぐ言葉の矢を、佑は黙って受け入れていた。
 母と妹を悪く言われても、口を噤んだ。

 悲しみ、怒る感情はすでに死に絶え、凪いだ心の中で思う。

(美智瑠ってこんな醜い女だっけ。俺が追い詰めたのかもしれないけど、本性を見破れなかったなら、まだまだだな)

 追い詰められた時、人は本性を晒す。

 好きになってほしい相手の前なら、どれだけでも猫を被り、演技するだろう。
 だが関係が破綻して媚びる必要がなくなったあと、相手に敬意を払えるかどうかで、その人の本性が分かる。

 自分にも非があったと思い、相手の幸せを願って身を引くか。
 最後に思いの丈をぶちまけ、うまくいかなかったのはすべて相手のせいだと、他責にして終わらせるか。

 もう関わらない相手を前に、佑は沈黙して興味を示さない事を選んだ。

 逆に美智瑠は不満を叩きつけ、最後まで佑を傷つけて満足しようとしている。

(見る目ないな、俺。……そして美智瑠も、男を見る目がなかった)

 彼女に気づかれないように、佑は自嘲する。

(多分、俺という男に大きな幻想を抱いていたから、余計に期待外れだったと思って失望し、怒っているんだろうな)

 彼女の怒りの理由を察し、佑は心の中で小さく呟く。

(だから俺を見て勝手に夢を見る女は嫌なんだ。どれだけ『分かってます』っていうふりをしても、結局こうなる。……どんなに立派な肩書きがあろうが、外見がどうだろうが、血筋がどうだろうが、……俺はただの未熟な男なんだよ。そこまで期待しないでくれ)

 美智瑠なら〝違う〟かもしれないと思ったが、〝同じ〟だった。
 佑は自分の女運のなさにうんざりする。

 彼の内心など知らず、美智瑠はさらに怒りを迸らせる。

『私は、私を大切にしてくれない人を愛せない。佑のお母さんや、クラウザー家との繋がりも持ちたくない。佑と一緒にいたら幸せになれない。私の言う事を聞いてくれないなら、大金を稼ぐ人形と結婚するのと一緒。放っておいたら無茶をするし、そんなあなたを心配し続けるなんて無理。あなた、恋愛や結婚に向いてないんじゃない? どれだけ美形でお金持ちで有名人になっても、あなたは誰にも愛されない。あなたは人を幸せにできない』

 美智瑠は憎しみの籠もった目で佑を睨み、呪いの言葉を吐く。

 今まで佑を強く愛していたからこそ、美智瑠は自分を選ばなかった彼を心の底から憎んでいた。
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