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第十二部・パリ 編

第十二部・終章 社長と秘書ごっこ

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「ローマはどれぐらい滞在だっけ?」

「ルカやマルコたちの予定にもよるかな? 忙しい人だし、俺たちだけでローマを観光してもいいけど、気を遣わせそうな気もする」

「マルコさん? お知り合い?」

 聞き慣れない名前にキョトンとすると、佑が顔を強張らせた。

「……い、いや。ルカの祖父なんだ。彼らの会社は、イタリアの高級車メーカーのフィオーレ社だろう? オーパとマルコが知り合いなんだ」

 説明されて香澄はあっさり納得する。

「そっか。確かにお知り合いでも不思議はないよね。富裕層の世界って、思っているより狭いみたいだし」

「そう。そうなんだ」

 香澄の言葉に佑は同意し、またノートパソコンに目を向けてタイピングを続ける。

 彼が仕事をする姿を見て、香澄はなるべく邪魔をしないように、そのあともストレッチや筋トレに励んだ。





 翌日は一日掛けてゆっくりパッキングをし、ランチは外に出てカフェで最後のガレットとクレープを食べた。

 ぐるりとホテル周辺を散歩して腹ごなしをし、また部屋に戻ってパッキングの続きをする。

 香澄の私物はそれほどないのだが、何せパリに来てから佑が買ってくれた服や小物が多い。
 紙袋から出してスーツケースに詰められないか思案すると、こう言われた。

「そのまま車に積んで、飛行機に入れてしまえばいい。運ぶ用の車は余分に出しておくから」

 大体の事が終わって座っていると、さりげなく佑が肩を抱いてきた。

 時間があまったのでイチャイチャしたい彼の考えを、香澄は見透かす。

 ソファでくっついて座りながら、佑はテレビを見て、香澄はスマホを弄っている。
 その無言の中で、二人の戦いが繰り広げられている気がした。

(佑さん、私が甘えるの待ってるな?)

 理解した香澄は、パタンと手帳型のスマホケースを閉じて彼のほうを向く。

「……佑さん」

「ん?」

 彼は待っていましたと言わんばかりに、嬉しそうにこちらを見た。

 それを見て「やっぱり大型犬みたいだな」と思いながらも、香澄は断腸の思いできっぱり言いきった。

「えっちならしないからね」

 スンッと、佑の目から生き生きとした光が消える。

「ご、ごめんね? でも今はそういう気持ちになれない」

「……キスしてもそういう気持ちになれない?」

 佑が斜め上から、甘やかで切なげな目を向けてくる。

(うう……)

「……だ、だめ。キスする気持ちにもなれない」

「…………」

(黙っちゃった)

 単に〝気分ではない〟だけなのだが、佑にはかなりのダメージだったらしい。

「俺の事は好き?」

「好きだよ。好きだけど、たまにお休み」

「……はぁ」

 あからさまな溜め息をつき、佑はカウチソファの上にズルズルと横になってしまった。
 こちらに背中を向けているのが、拗ねた犬みたいで可愛い。

「もー。いい大人の男性なんだから、拗ねないの。そうだ、お詫びにいい事してあげる」

 香澄は「よいしょ」と佑の体をうつ伏せにすると、彼の腰の上に馬乗りになった。

「社長? 毎日ご苦労様です。秘書がマッサージをして差し上げますね」

 そう言って香澄は佑の肩から背中、腰を指圧していく。

「気持ちいいですか? 社長」

「……ん。気持ちいいよ、秘書さん」

〝ごっこ〟遊びをしていると、何となく変な気分になってくる。

 オフィスでは絶対そういう関係にならないと決めているのに、遊びになるといけない事をしている気持ちが強まる。

「私はいつも社長を支えておりますからね。疲れた時は我慢せず仰ってください」

 言葉では〝フリ〟をしつつも、心を込めて指圧をし、いつも多忙な彼にねぎらいの気持ちを伝える。

「秘書さん」

「はい、なんでしょうか?」

「……抱き締めたい」

 彼はまだ諦めておらず、その執念に香澄は忍び笑いを漏らす。

「いけません。業務中です」

 笑いを堪えて断ると、横を向いていた佑の顔が、もふ、と下を向いた。

(またいじけちゃった)

 大きな図体をしているのに、ちょっとセックスを断っただけでいじける佑が可愛くて堪らない。
 つい意地悪をしたくなり、香澄は彼の体に上体を重ねた。

「っ……」

 背中に香澄の胸が当たったからか、佑の体が一瞬強張る。

「社長? 我慢して偉いですね」

 耳元で囁き、香澄は指で彼の耳をツンツンとつつく。

「……香澄?」

 恨めしげな声が聞こえ、香澄はクスクス笑って佑を抱き締めた。

「ごめんね。帰国してからね」

「えぇ? イタリアではナシなのか?」

 ごろんと仰向けになった佑が、自分の体に馬乗りになっている香澄を見上げる。
 乱れた髪を無造作に掻き上げる姿も、文句なしに格好いい。

「その時考えるね。今はまだ分からないもの」

 本音を言って微笑むと、佑が溜め息をついた。

「純朴な道産子だと思ってたのに、いつの間にか小悪魔になったな……」

 佑は拗ねているが、ちゃんと香澄の気持ちを汲んで、それ以上の触れ合いをしない。

(好きだなぁ)

 自分の意思をちゃんと大切にしてくれる彼に感謝し、香澄は微笑んだ。

「……あったかい」

 佑の胸板に顔を乗せ、香澄が呟く。

「……こういうのも、たまにはいいか」

 佑も呟いて、香澄の頭を優しく撫でてくれた。



 パリのモダンなスイートルームに連泊するのも、この日が最後。

 結局、佑の心の闇が完全に晴れたのか分からないが、できるだけ彼が笑っていられるように努めたい。

 そう思いながら、香澄はうとうとと目を瞬かせた。



 第十二部・完
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