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第十一部・スペイン 編

スペインの魂

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 フラメンコシューズは靴裏のつま先と踵に釘が何本も打ち付けられている。

 だからタップダンスのように、ステップを踏むごとに音が出るのだ。

 サパテアードと呼ばれるステップの技術が見せ場となり、曲の盛り上がりには凄まじいステップが繰り広げられる。

 ステップの音を聞いていると、静けさと烈しさが打ち寄せ、まるで音の海にいるようだ。

 香澄は波打ち際で耳を澄まし、圧倒的な音とリズムの洪水に晒される。

 床を打ち抜きそうな勢いの高速ステップに息を止めたあと、ドッと蹴るほどの烈しさで靴裏が床を蹴り、呼吸のタイミングを知らせる。

 カンタオールの呼びかけるような歌声に、カンタオーラが少し掠れた迫力のある歌声で応える。
 絶え間なく聞こえる手拍子に、ステップの音、曲によって軽快なカスタネットの音が混じり、香澄を夢中にさせる。

 カーネーションのようなドレスが翻り、バイオーラはスカートを穿いているというのに惜しげもなく脚を見せた。
 そして「私の魂の踊りを見て」と言わんばかりにステップを刻み、大胆にスカートを蹴り上げる。

 絶え間ないリズムの間で静と動が躍動し、大きくないステージの上で熱気が迸る。

 奏者もダンサーも、全員何かに憑かれたかのような雰囲気を醸し出していた。

 喜び、激しい悲しみ、怒りすらも舞踊に変え、日本人である香澄すらゾクゾクするスペインの魂がここに降りている。

 香澄は両手にナイフとフォークを持ったまま、魂を抜かれたようにステージに見入っていた。

 それを佑が微笑んで見ていたのも知らず、魂そのものに訴えかける素晴らしいショーに心を震わせる。

 一時間十分。

 濃厚な時間が終わった時には、香澄は全身に鳥肌を立て涙ぐんでいた。

 立ち上がって掌が痛くなるほど拍手をし、最後には手を合わせて拝んでしまう。

「どうだった?」

 佑に尋ねられ、香澄はまだ放心したまま椅子に座り直す。
 目の前にはデザートのチョコレートがあり、気持ちを落ち着けるために一つぱくんと口に入れた。

「凄かった……」

「連れてきて良かった」

 佑が幸せそうに笑い、「この人は……」と香澄も思わず微笑む。

 喜ぶだけで「何よりの幸せ」という顔をされると、何が何でも幸せでいないとという気持ちになる。

 ワインを飲み干したあと、次のショーの予定もあるので早めにタブラオを出た。



**



 ホテルの部屋に戻った香澄は、ほろ酔いになってふざけている。

「んふふ」

 香澄はワインレッドのドレスのスカートを摘まみ、フラメンコダンサーになったつもりでクルクルと回った。

 さすがにあのステップはできないし、手拍子も指鳴らしもリズムが掴めない。

 そもそも指鳴らしがまともにできない。
 やってみたらスカッと指が擦れる音がするだけだ。

 それでも香澄はあの感動に包まれたまま、子供のようにはしゃいでいた。

「あんまり回ると酔っ払うぞ」

 ネクタイを解きジャケットを脱いだ佑が、笑いながら言う。
 香澄はバイオーラを真似てショールをヒラヒラと動かした。

「んっふふふふ……っあぁ」

 クルクルと回ったあと、香澄はとうとう目を回してベッドにダイブしてしまう。

「素敵だったぁー……」

 香澄は天井を見上げ、クスクス笑う。
 酔いと、回転したので視界がグルグルするが、気持ち悪いというほどではない。

 仰向けになっていると、この世界で一番格好いいと思っている人が顔を覗かせ、困ったように笑う。
 シャツが半脱ぎなのが何とも色っぽい。

「ほら、香澄。苦しいだろ。少し楽にしてあげるから」

「んー」

 ゴロリと体をうつ伏せにされたかと思うと、佑が背中のファスナーを下げてブラジャーのホックを外してくれた。
 胸元の締め付けがなくなり、香澄はハ……と息をつく。

「はい、腕抜いて」

 佑がワインレッドのドレスを脱がせ、皺にならないようハンガーに掛けてくれた。

「ありがと……」

 眠たくなって目元をトロトロとさせた香澄は、歯磨きと洗顔をしていない事に気づく。

「んー……」

 ムクリと起き上がり、腕に絡まっていたブラジャーをポイとベッドに放る。

 そして裸足のままペタペタと洗面所に向かって、メイクを落とし始めた。
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