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第十一部・スペイン 編

人を愛する事は難しい

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 ――難しい。

 人を愛する事は難しい。

 何がその人の最善なのか、考えて考えて、たくさん尽くしても迷惑になる場合もある。

 香澄の望みを聞けば、物欲はほとんどなくて「側にいられればいい」と笑う。

 それは佑も同じだけれど、愛しているがゆえに何かしてあげたいと思ってしまう。

 いつも抑えている愛情が、何かをきっかけに決壊してしまうと、心と体でもって香澄を愛し潰してしまいそうになる。

 自分の事を冷静ですべてのコントロールができる男と思っていたが、大間違いだ。

 佑は香澄を愛する事に関してだけ、愚かな男になる。

 予測不能で、準備をしていても思いがけない展開になる事があり、期待していても躱され、気が緩んでいた時に体当たりされる。

 佑の心は香澄の気持ち一つで決まってしまう。

 その愛情の奴隷のような感覚が、また心地よくて堪らない。

 昔はアレックスの存在に救われていた。

 家に帰れば必ずアレックスがいて、佑の姿を見ただけで全力で喜んでくれる。
 会話はできなくても、呼べば寄ってきて撫でると嬉しそうに尻尾を振った。

 香澄をペットと同じとは言わない。

 言わないけれど――。

 失うと思った時の喪失感、恐ろしさはアレックス以上だろう。

 自分の両手をすり抜けていくあの感覚がもっと強くなったなら、佑は〝すべて〟変わってしまいそうだ。

 アレックスの死は何とか乗り越えた。

 大人として乗りきり、仕事に打ち込んでやり過ごした。

 けれど香澄を失えば、自分はどうなってしまうか分からない。

 一つだけ分かるのは、いま世間に認識されている〝完璧な若手社長〟はいなくなるという事だ。

 それこそ本当に精神的に病んで、経営を悪化させ、世話になった人達に迷惑をかけるだろう。

 それだけは、あってはならない。

 ――絶対に。

「……佑さん、……痛いよ」

 小さな声が聞こえ、ハッと香澄を抱いていた手の力を緩める。

 ――ああ、駄目だ。

 ――このままでは誰かに何かされる前に、俺が自分の重たすぎる愛で香澄を殺してしまいそうだ。

 心の中で呟いて、佑は昏く笑った。



**



 その日の夜はディナーを楽しみながら、フラメンコも鑑賞できるタブラオに向かった。

 タブラオとはフラメンコショーが行われる場所を意味し、その独特な床の名前でもある。

 向かった店は、レストランとしても星一つの評価を得ている、世界で最も有名なタブラオだ。

 香澄は髪を夜会巻きにし、フワンとしたレースの袖がついた、ワインレッドのタイトワンピースを着ていた。

 本当はフワッとしたスカートの方が体の線がでなくて安心できるのだが、こちらでは皆大人っぽい格好をしているので、それに合わせようと思った。

 佑はいつも通りビシッとスーツで決め、文句の付け所がなく格好いい。

 タブラオの入り口には、出演者名が書かれたポスターが貼ってあった。

「この人はヘナロ・カルデラ。有名なフラメンコダンサーだ」

「男前……」

 ポスターにはフラメンコを踊っている一瞬を切り取った写真があり、写真から気迫が伝わってくる気がした。

 中に入ると、テーブルクロスが敷かれた円卓が並び、その向こうにフラメンコのステージがあった。

「すごい……。こんな近くで見られるんだね。私、劇場みたいな場所で、遠くから見るのかと思った」

「劇場のようなステージで踊る事もあるけど、オペラやバレエほど気取ったものではないと思っている。土地に根付いた踊りかな」

「なるほど。何か納得した気がする」

 席に着くと、カマレロと呼ばれるウエイターが椅子を引いてくれる。

 テーブルクロスは黒く、キャンドルホルダーの中では小さな火がチロチロと燃えていた。
 すでに二名分のテーブルセットがされてあり、明かりを反射して輝くグラスが美しい。

 レストランには続々と人が入り、皆しっかりお洒落をして楽しそうに会話をしている。

 佑はウエイターにスペイン語でシャンパンとコース料理を頼み、香澄は彼に飲み物などすべてお任せだ。
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