694 / 1,536
第十一部・スペイン 編
もうその話はしないでくれ
しおりを挟む
香澄だって嫉妬する。
佑に出会う前も、それなりにしていた。
相手は健二だったけれど、自分という彼女が目の前にいるのに、他の女性を「可愛い」と言われた時はムッとした。
待ち合わせをして香澄がずっと待っていたのに、他の女性とラブホテルに行っていた話を聞いた時も、嫉妬と怒り、悲しみで心が真っ黒になった。
聖人ではないから、「健二くんにバチが当たればいいのに」と思ってしまった事だってあった。
だが、思うだけと実際に行動に移すのとでは、天地の差がある。
香澄は「した事は返ってくる」を信じている。
悪事を働いたり、誰かの悪口を言えば、巡り巡って自分に返ってくる。
逆に、いい事をしていれば、いつかいい事があると信じている。
何もしていなくても嫌な目に遭う事はあるが、そういう時は節子が言っていた〝ビスケットの缶理論〟だと思うようにしていた。
どんなにつらい事があっても、ずっとは続かないし、いつかいい事があると信じている。
その〝いつか〟が訪れた時、「誠実に生きていたら、いい事があるんだよ」と言えるように、苦しくても地道に努力していきたいと思っていた。
ふてくされて他人に当たり散らすようになったら、おしまいだ。
それは香澄の〝理想の姿〟からかけ離れている。
けれど世の中には、タガが外れてしまう人がいる。
有名な人でも事件を起こすし、一般人でも嫉妬からネットで中傷をして、訴えられたという話はゴロゴロ転がっている。
自分に降りかかる不幸に耐えきれず、他人で憂さ晴らししてしまう人は、結局自分の行いを自ら償う事になる。
エミリアは世界レベルの富裕層なのに、香澄のような一般女性に本気で嫉妬した。
どんな生活を送っていても、人は嫉妬する。
エミリアの場合、金で解決できないものだったからこそ、手に入らない佑を想って道を踏み外してしまったのかもしれない。
「それだけ好きだったのかな。幼馴染みだったのに、私が横取りしたように感じたのかな。マティアスさんだって――」
言いかけた時、佑がとても苦しそうな声をだした。
「香澄、頼む。もうその話はしないでくれ。この事は、もう取り返しのつかない状況まで発展してしまった。マティアスだって謝罪して、香澄に金を払った。契約書にもサインした。それをもう覆さなくていいように、香澄ももう何も心配しなくていい」
ひどく不安定な声に、香澄は顔を上げて佑の顔を見る。
佑は眉間に皺を寄せ、まるで何かの発作でも起こしているように表情を歪めていた。
「すべて終わったんだ。悪夢は終わった。終わらせた。――だから、……頼む。自ら傷をえぐって見つめ返さなくていい。俺にも思いださせないでくれ。――お願いだ。二人で幸せな現実を見て、ただイチャイチャしていたい。…………それじゃ、駄目か?」
佑の瞳の奥に、へたをしたら理性を失ってしまいそうな危うさがある。
彼が言っているように、幸せな現実でかろうじて繋ぎ止めているものを、香澄が自ら台無しにしかけていた。
確かにマティアスの事で被害を受けたのは香澄だ。
それでも、佑が傷ついていない訳がない。
佑とならどんな話題でも冷静に分析できるのでは、と思ったが、佑だって一人の人間だ。
話したくない事の一つや二つはある。
――恥ずかしい。
――自分だけが傷ついたと思って、我が儘を言って一か月北海道で羽を伸ばしたのに。
――もしかしたら、佑さんは傷ついたまま、まだ回復できていないのかもしれない。
佑の事を考えられなかった自分を恥じ、香澄は彼を抱き締め返して謝る。
「…………ごめんなさい」
具格反省して謝ると、「いいよ」と優しくキスをされる。
「……パリって美味しい物なんだっけ? クレープってパリだっけ? 私、クレープ大好き」
話題を変えたのはあからさまだったが、佑はそれに応じてくれる。
「クレープもガレットも、フランスだよ。用事が終わったら一緒に食べに行こうか」
「うん」
その後も少し会話をしたが、佑はふつりと言葉を切らして黙ってしまった。
「佑さん?」と呼びかけても、何も反応せず香澄を抱き締めるだけ。
眠ってしまった訳ではないが、香澄と会話をする気持ちにもならないらしい。
(……私が思っているより、ずっと傷ついているんだ)
猛省して彼の胸板に額を押しつけると、彼は香澄の香りを吸い、抱き締め返してくれた。
佑は頭の中の一部がショートして焼き切れそうになるのを、必死に堪えていた。
頭の中で、イギリスで味わった悪夢が蘇りそうになる。
あの八月、彼はロンドン中を駆け回って毎日絶望と悲嘆に暮れていた。
姿を消した香澄は今頃……と思うだけで酷く手が震え、まともな思考回路を保てなくなる。
今はもう大丈夫なのだと、何度も自分に言い聞かせたはずだった。
抱き締めて、彼女が回復するのを待って、側にいて、混乱した香澄を宥めた。
離別はあったものの、周囲の力を借りつつ、香澄と二人三脚でなんとか現状まで回復したつもりだ。
――けれど気が付けば、あの女が暗い影を落としている。
佑に出会う前も、それなりにしていた。
相手は健二だったけれど、自分という彼女が目の前にいるのに、他の女性を「可愛い」と言われた時はムッとした。
待ち合わせをして香澄がずっと待っていたのに、他の女性とラブホテルに行っていた話を聞いた時も、嫉妬と怒り、悲しみで心が真っ黒になった。
聖人ではないから、「健二くんにバチが当たればいいのに」と思ってしまった事だってあった。
だが、思うだけと実際に行動に移すのとでは、天地の差がある。
香澄は「した事は返ってくる」を信じている。
悪事を働いたり、誰かの悪口を言えば、巡り巡って自分に返ってくる。
逆に、いい事をしていれば、いつかいい事があると信じている。
何もしていなくても嫌な目に遭う事はあるが、そういう時は節子が言っていた〝ビスケットの缶理論〟だと思うようにしていた。
どんなにつらい事があっても、ずっとは続かないし、いつかいい事があると信じている。
その〝いつか〟が訪れた時、「誠実に生きていたら、いい事があるんだよ」と言えるように、苦しくても地道に努力していきたいと思っていた。
ふてくされて他人に当たり散らすようになったら、おしまいだ。
それは香澄の〝理想の姿〟からかけ離れている。
けれど世の中には、タガが外れてしまう人がいる。
有名な人でも事件を起こすし、一般人でも嫉妬からネットで中傷をして、訴えられたという話はゴロゴロ転がっている。
自分に降りかかる不幸に耐えきれず、他人で憂さ晴らししてしまう人は、結局自分の行いを自ら償う事になる。
エミリアは世界レベルの富裕層なのに、香澄のような一般女性に本気で嫉妬した。
どんな生活を送っていても、人は嫉妬する。
エミリアの場合、金で解決できないものだったからこそ、手に入らない佑を想って道を踏み外してしまったのかもしれない。
「それだけ好きだったのかな。幼馴染みだったのに、私が横取りしたように感じたのかな。マティアスさんだって――」
言いかけた時、佑がとても苦しそうな声をだした。
「香澄、頼む。もうその話はしないでくれ。この事は、もう取り返しのつかない状況まで発展してしまった。マティアスだって謝罪して、香澄に金を払った。契約書にもサインした。それをもう覆さなくていいように、香澄ももう何も心配しなくていい」
ひどく不安定な声に、香澄は顔を上げて佑の顔を見る。
佑は眉間に皺を寄せ、まるで何かの発作でも起こしているように表情を歪めていた。
「すべて終わったんだ。悪夢は終わった。終わらせた。――だから、……頼む。自ら傷をえぐって見つめ返さなくていい。俺にも思いださせないでくれ。――お願いだ。二人で幸せな現実を見て、ただイチャイチャしていたい。…………それじゃ、駄目か?」
佑の瞳の奥に、へたをしたら理性を失ってしまいそうな危うさがある。
彼が言っているように、幸せな現実でかろうじて繋ぎ止めているものを、香澄が自ら台無しにしかけていた。
確かにマティアスの事で被害を受けたのは香澄だ。
それでも、佑が傷ついていない訳がない。
佑とならどんな話題でも冷静に分析できるのでは、と思ったが、佑だって一人の人間だ。
話したくない事の一つや二つはある。
――恥ずかしい。
――自分だけが傷ついたと思って、我が儘を言って一か月北海道で羽を伸ばしたのに。
――もしかしたら、佑さんは傷ついたまま、まだ回復できていないのかもしれない。
佑の事を考えられなかった自分を恥じ、香澄は彼を抱き締め返して謝る。
「…………ごめんなさい」
具格反省して謝ると、「いいよ」と優しくキスをされる。
「……パリって美味しい物なんだっけ? クレープってパリだっけ? 私、クレープ大好き」
話題を変えたのはあからさまだったが、佑はそれに応じてくれる。
「クレープもガレットも、フランスだよ。用事が終わったら一緒に食べに行こうか」
「うん」
その後も少し会話をしたが、佑はふつりと言葉を切らして黙ってしまった。
「佑さん?」と呼びかけても、何も反応せず香澄を抱き締めるだけ。
眠ってしまった訳ではないが、香澄と会話をする気持ちにもならないらしい。
(……私が思っているより、ずっと傷ついているんだ)
猛省して彼の胸板に額を押しつけると、彼は香澄の香りを吸い、抱き締め返してくれた。
佑は頭の中の一部がショートして焼き切れそうになるのを、必死に堪えていた。
頭の中で、イギリスで味わった悪夢が蘇りそうになる。
あの八月、彼はロンドン中を駆け回って毎日絶望と悲嘆に暮れていた。
姿を消した香澄は今頃……と思うだけで酷く手が震え、まともな思考回路を保てなくなる。
今はもう大丈夫なのだと、何度も自分に言い聞かせたはずだった。
抱き締めて、彼女が回復するのを待って、側にいて、混乱した香澄を宥めた。
離別はあったものの、周囲の力を借りつつ、香澄と二人三脚でなんとか現状まで回復したつもりだ。
――けれど気が付けば、あの女が暗い影を落としている。
22
お気に入りに追加
2,501
あなたにおすすめの小説
【女性向けR18】幼なじみにセルフ脱毛で際どい部分に光を当ててもらっています
タチバナ
恋愛
彼氏から布面積の小さな水着をプレゼントされました。
夏になったらその水着でプールか海に行こうと言われています。
まだ春なのでセルフ脱毛を頑張ります!
そんな中、脱毛器の眩しいフラッシュを何事かと思った隣の家に住む幼なじみの陽介が、脱毛中のミクの前に登場!
なんと陽介は脱毛を手伝ってくれることになりました。
抵抗はあったものの順調に脱毛が進み、今日で脱毛のお手伝いは4回目です!
【作品要素】
・エロ=⭐︎⭐︎⭐︎
・恋愛=⭐︎⭐︎⭐︎
義兄に告白されて、承諾したらトロ甘な生活が待ってました。
アタナシア
恋愛
母の再婚をきっかけにできたイケメンで完璧な義兄、海斗。ひょんなことから、そんな海斗に告白をされる真名。
捨てられた子犬みたいな目で告白されたら断れないじゃん・・・!!
承諾してしまった真名に
「ーいいの・・・?ー ほんとに?ありがとう真名。大事にするね、ずっと・・・♡」熱い眼差を向けられて、そのままーーーー・・・♡。
前世で処刑された聖女、今は黒薬師と呼ばれています
矢野りと
恋愛
旧題:前世で処刑された聖女はひっそりと生きていくと決めました〜今世では黒き薬師と呼ばれています〜
――『偽聖女を処刑しろっ!』
民衆がそう叫ぶなか、私の目の前で大切な人達の命が奪われていく。必死で神に祈ったけれど奇跡は起きなかった。……聖女ではない私は無力だった。
何がいけなかったのだろうか。ただ困っている人達を救いたい一心だっただけなのに……。
人々の歓声に包まれながら私は処刑された。
そして、私は前世の記憶を持ったまま、親の顔も知らない孤児として生まれ変わった。周囲から見れば恵まれているとは言い難いその境遇に私はほっとした。大切なものを持つことがなによりも怖かったから。
――持たなければ、失うこともない。
だから森の奥深くでひっそりと暮らしていたのに、ある日二人の騎士が訪ねてきて……。
『黒き薬師と呼ばれている薬師はあなたでしょうか?』
基本はほのぼのですが、シリアスと切なさありのお話です。
※この作品の設定は架空のものです。
※一話目だけ残酷な描写がありますので苦手な方はご自衛くださいませ。
※感想欄のネタバレ配慮はありません(._.)
所詮は他人事と言われたので他人になります!婚約者も親友も見捨てることにした私は好きに生きます!
ユウ
恋愛
辺境伯爵令嬢のリーゼロッテは幼馴染と婚約者に悩まされてきた。
幼馴染で親友であるアグネスは侯爵令嬢であり王太子殿下の婚約者ということもあり幼少期から王命によりサポートを頼まれていた。
婚約者である伯爵家の令息は従妹であるアグネスを大事にするあまり、婚約者であるサリオンも優先するのはアグネスだった。
王太子妃になるアグネスを優先することを了承ていたし、大事な友人と婚約者を愛していたし、尊敬もしていた。
しかしその関係に亀裂が生じたのは一人の女子生徒によるものだった。
貴族でもない平民の少女が特待生としてに入り王太子殿下と懇意だったことでアグネスはきつく当たり、婚約者も同調したのだが、相手は平民の少女。
遠回しに二人を注意するも‥
「所詮あなたは他人だもの!」
「部外者がしゃしゃりでるな!」
十年以上も尽くしてきた二人の心のない言葉に愛想を尽かしたのだ。
「所詮私は他人でしかないので本当の赤の他人になりましょう」
関係を断ったリーゼロッテは国を出て隣国で生きていくことを決めたのだが…
一方リーゼロッテが学園から姿を消したことで二人は王家からも責められ、孤立してしまうのだった。
なんとか学園に連れ戻そうと試みるのだが…
この満ち足りた匣庭の中で 一章―Demon of miniature garden―
至堂文斗
ミステリー
――鬼の伝承に準えた、血も凍る連続殺人事件の謎を追え。
『満ち足りた暮らし』をコンセプトとして発展を遂げてきたニュータウン、満生台。
巨大な医療センターの設立を機に人口は増加していき、世間からの注目も集まり始めていた。
更なる発展を目指し、電波塔建設の計画が進められていくが、一部の地元住民からは反対の声も上がる。
曰く、満生台には古くより三匹の鬼が住み、悪事を働いた者は祟られるという。
医療センターの闇、三鬼村の伝承、赤い眼の少女。
月面反射通信、電磁波問題、ゼロ磁場。
ストロベリームーン、バイオタイド理論、ルナティック……。
ささやかな箱庭は、少しずつ、けれど確実に壊れていく。
伝承にある満月の日は、もうすぐそこまで迫っていた――。
出題篇PV:https://www.youtube.com/watch?v=1mjjf9TY6Io
自称ヒロインに「あなたはモブよ!」と言われましたが、私はモブで構いません!!
ゆずこしょう
恋愛
ティアナ・ノヴァ(15)には1人の変わった友人がいる。
ニーナ・ルルー同じ年で小さい頃からわたしの後ろばかり追ってくる、少しめんどくさい赤毛の少女だ。
そしていつも去り際に一言。
「私はヒロインなの!あなたはモブよ!」
ティアナは思う。
別に物語じゃないのだし、モブでいいのではないだろうか…
そんな一言を言われるのにも飽きてきたので私は学院生活の3年間ニーナから隠れ切ることに決めた。
待つわけないでしょ。新しい婚約者と幸せになります!
風見ゆうみ
恋愛
「1番愛しているのは君だ。だから、今から何が起こっても僕を信じて、僕が迎えに行くのを待っていてくれ」彼は、辺境伯の長女である私、リアラにそうお願いしたあと、パーティー会場に戻るなり「僕、タントス・ミゲルはここにいる、リアラ・フセラブルとの婚約を破棄し、公爵令嬢であるビアンカ・エッジホールとの婚約を宣言する」と叫んだ。
婚約破棄した上に公爵令嬢と婚約?
憤慨した私が婚約破棄を受けて、新しい婚約者を探していると、婚約者を奪った公爵令嬢の元婚約者であるルーザー・クレミナルが私の元へ訪ねてくる。
アグリタ国の第5王子である彼は整った顔立ちだけれど、戦好きで女性嫌い、直属の傭兵部隊を持ち、冷酷な人間だと貴族の中では有名な人物。そんな彼が私との婚約を持ちかけてくる。話してみると、そう悪い人でもなさそうだし、白い結婚を前提に婚約する事にしたのだけど、違うところから待ったがかかり…。
※暴力表現が多いです。喧嘩が強い令嬢です。
※史実とは関係ない異世界の世界観であり、設定はゆるゆるで、ご都合主義です。魔法も存在します。
格闘シーンがお好きでない方、浮気男に過剰に反応される方は読む事をお控え下さい。感想をいただけるのは大変嬉しいのですが、感想欄での感情的な批判、暴言などはご遠慮願います。
【R18】溺愛される公爵令嬢は鈍すぎて王子の腹黒に気づかない
かぐや
恋愛
公爵令嬢シャルロットは、まだデビューしていないにも関わらず社交界で噂になる程美しいと評判の娘であった。それは子供の頃からで、本人にはその自覚は全く無いうえ、純真過ぎて幾度も簡単に拐われかけていた。幼少期からの婚約者である幼なじみのマリウス王子を始め、周りの者が
シャルロットを護る為いろいろと奮闘する。そんなお話になる予定です。溺愛系えろラブコメです。
女性が少なく子を増やす為、性に寛容で一妻多夫など婚姻の形は多様。女性大事の世界で、体も中身もかなり早熟の為13歳でも16.7歳くらいの感じで、主人公以外の女子がイケイケです。全くもってえっちでけしからん世界です。
設定ゆるいです。
出来るだけ深く考えず気軽〜に読んで頂けたら助かります。コメディなんです。
ちょいR18には※を付けます。
本番R18には☆つけます。
※直接的な表現や、ちょこっとお下品な時もあります。あとガッツリ近親相姦や、複数プレイがあります。この世界では家族でも親以外は結婚も何でもありなのです。ツッコミ禁止でお願いします。
苦手な方はお戻りください。
基本、溺愛えろコメディなので主人公が辛い事はしません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる