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第十一部・スペイン 編

第十一章・序章2 秘書として

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「赤松さんの身の上に宜しくない事が起こったのは、それとなく聞いています。詳細は存じ上げません。ですがいつも仲のいいお二人が距離を取らざるを得ないほど、重大な事件だったと認識しています」

 松井や河野になら、マティアス絡みの事を知られていてもおかしくない。

 覚悟はしていたが、一瞬ヒヤッとする。

「赤松さんは赤松さんの人生を歩んでいます。あなたの人生の中に、秘書、婚約者、札幌出身の一般家庭のご息女、八谷のエリアマネージャーをしていた顔など、あなたを形作るものは沢山あります」

 飛行機のエンジン音が絶え間なく聞こえるなか、香澄は頷く。

「社長も同じです。Chief Everyの社長である他に、個人としての顔を幾つもお持ちです。ですが赤松さんの婚約者である部分は、とても大きいのだと思います。自分を形作る芯が損なわれた時、人は自身のあり方を簡単に見失ってしまいます」

「……はい」

 香澄はコクンと頷く。

「赤松さんは気取った女性ではありません。私はそこを好ましく思っています。ですが、社長の婚約者である自覚を、もっとしっかり持って頂けたらと思います。特別な女性になれと言っている訳ではありません。そのままでいいです。ですがあなたが社長の側にいるかいないか、機嫌がいいか悪いか。そんな簡単な事で〝世界の御劔〟は簡単に己を見失います。それをもっと重く受け止めてほしいのです」

「……はい。すみません」

 婚約者としてきちんとしたいのに、大事にされすぎると息が止まりそうに感じる。
 彼もそれは分かっていて、最大限の譲歩をしながら「覚悟を持ってほしい」とは言っていた。

 香澄だって彼の気持ちに応えたいし、努力したい。

 だが一般家庭育ちの彼女が、百万、千万単位の買い物や、プライベートジェットを所有する人の価値観と合わせるには修行が必要だ。

 赤松家の家訓は「自分の事は自分で」だ。

 そう思っていたから、家政婦や護衛がいる生活が慣れないし、「悪いな、自分でできるのに」と思ってしまう。
 勿論、彼らには彼らの仕事があり、奪ってはいけないと理解している。

 それらの気持ちには、いつか折り合いをつけなければいけない。

 だが、いまだできていないのが現状だ。

 けれど第三者の河野に言われ、目が覚めた気がする。

(私は、佑さんの恋人だけど秘書だ)

 長らく会社から離れてグニャグニャになっていた香澄の背中に、シャンとした芯が入る。

(ボロボロになっていたから、佑さんや皆さんに甘やかしてもらって休暇をもらった。けど私が側にいない事で佑さんが使い物にならないなら、自分の調子がどうこうより、彼を優先させなければいけない。私より佑さんのほうが、皆に必要とされているもの)

 考え直し、香澄は河野にお礼を言う。

「ありがとうございます。佑さんは優しくて私に甘いので、厳しい事はあまり言わないと思います。河野さんから第三者の意見を頂けて、ハッとしました」

「それなら、何よりです」

 河野はうっすら微笑む。

 ――もう絶対こんな事にならない。

 香澄は考えの甘かった自分を恥じ、河野に頭を下げる。

「本当にすみませんでした。社長を支える者として一番の悪手でした。以後気を付けます」

 きちっと礼をした香澄に、河野は静かに息をつく。

「謝らせたい訳じゃありません。赤松さんにも療養する時間が必要だと分かっています。私は社長秘書となって日が浅いですが、あの方が赤松さんから離れるとああなってしまうと初めて知りました。Chief Everyのためにも、秘書として情報を共有し、協力していきましょう」

「分かりました。教えてくださってありがとうございます」

 ペコリと頭を下げた香澄に、河野はラウンジのほうを示した。

「もういいですよ」

「はい」

 立ち上がり、香澄はもう一度ペコッと頭を下げるとラウンジへ戻った。

(佑さんが駄目人間になるとは知らなかった。責任重大だな……。でももう、こんな事はない。……うん、大丈夫)

 佑は戻ってきた香澄を、少し心配な顔で迎える。

「大丈夫だったか?」

「うん、平気」

「何を言われた?」

(佑さんが駄目人間になっていたって、きっと言わないほうがいいんだろうな)

 彼が言っていた通り、香澄の前では「完璧な婚約者でいたい」のだから。

「ううん、大丈夫。それよりお昼楽しみだな」

 話題を変えると、佑はテーブルの上にあるメニューを見せてくれた。

「俺の栄養も考えてくれているようだ」

「やったぁ。お肉ある!」

「肉好きか?」

「好き!」

 食い気を見せる香澄に、佑は愛しげに目を細めるのだった。
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