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第十部・ニセコ 編

一か月ぶりのキス

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「んっ! ん、――――ぅ、…………ん、ぅ」

 ――佑さんにキスされてる。

 彼が激怒しているのは分かっているのに、キスが優しかったからか、香澄はすぐに恐れを手放した。

 愛しげに、悲しげに、彼の唇は香澄のそれを吸い、舐めては甘噛みする。

 ダウンジャケット越しに地面の冷たさが伝わり、土の匂いに混じって佑のウード&ベルガモッドが香る。

 秋風が吹いて林がざわめき、葉を落とす。
 地面に積もっていた枯れ葉が、風に吹かれてカサカサと音を立てて舞い上がった。

 毎日過ごしていたニセコの中に、大好きな人の香りが混じっている。

 他の誰が同じ香りをつけても、こんな安堵感は得ない。

(……たすくさんの、におい)

 キス一つですべてを支配された香澄は、まったく抵抗せず、されるがままになっていた。

 やがて佑は体を起こし、はぁ、と息をつく。
 濡れた唇を舐めて香澄を見下ろし、目の奥に熱を宿す。

 そして何も言わず彼女を抱き起こすと、手を引いてドアが空いたままの車に向かい、助手席に座らせた。

「社長!?」

 前の車の外に立っていた瀬尾が声を掛けるが、佑は何も答えず運転席に乗り車を発進させた。

「……あの」

 呆気にとられた顔で少し車を追いかけてくる護衛たちを、香澄は心配そうに見やる。

「シートベルト」

 だが短く言われ、「はい」と大人しく言葉に従った。

 車は道路を走り、香澄は「どこに行くのかな?」とハンドルを握る佑を盗み見する。
 これからどこへ連れて行かれるかの不安もあるが、別の気持ちも湧き起こる。

(佑さんが車を運転するの、初めて見た。助手席に座れてる。……嬉しい)

 じんわりと小さな幸せを噛みしめた香澄は、こんな状況なのに内心悶える。

(ルカさん、大丈夫かな)

 しかし佑がなぜルカを殴ったのかが理解できず、おずおずと口を開く。

「あの、さっきの人はルカさんって言って……」

「今は喋るな」

 けれどそう言われ、香澄は悄然として口を噤んだ。

 彼が双子やマティアスに怒りを向けた姿は見たが、香澄に怒りや苛立ちを向けたのは初めてだ。

(私がルカさんのところにいたから? 心配していたのに楽しそうにしていたから?)

 悶々とした気持ちを抱えた香澄は、「いや、でも」と顔を上げる。

(ルカさんと話して、『顔を合わせて話し合わないと何も進まない』って学んだばっかりだ。話し合いになったら、きちんと一から事情を説明しないと)

 考えているうちに、車はルカの別荘からそれほど離れていない場所で停まる。

 目の前にあるのは、ルカの物に勝るとも劣らない立派なログハウスの別荘だ。
 佑は車から降り、香澄も慌てて降りる。

「ここ……」

 立派な別荘を見て呆けている香澄の手を、佑が握る。

 佑はウッドデッキに上がって玄関前まで行き、あらかじめ誰かが置いたらしい隠し場所から鍵を出してドアを開いた。

 背中を軽く押されて玄関に入り、おずおずと中を見回す。
 別荘に入るとやはり木の香りがする。
 ずっと人が住んでいなかった雰囲気はあるが、掃除は行き届いていて換気もされてある。

 玄関ホールはやはり天井が高く、吹き抜けの頭上にはシーリングファンがあった。
 奥には暖炉があり、両側に薪が積まれていてソファセットもある。

 暖炉では午前中に火が焚かれていたようで、屋内の空気は暖まっていた。
 シーリングファンはゆるやかに回り、二階と三階に暖かな空気を送っている。

 きっと佑から連絡を受けた管理人が整えておいたのだろう。

 ほけっとして壁に掛けられている絵画や、階上を気にしていると、佑に手を引っ張られた。

「あ……っ」

 彼は香澄の手を握ったまま、階段を上がって三階に向かう。

 着いたのは主寝室とおぼしき部屋だ。

 大きな窓があり、窓辺にはテーブルセット、そして部屋の中央にはキングサイズのベッドが鎮座している。
 ベッドサイドにはランプがあり、ヘッドボードの上には羊蹄山を描いた絵画が掛けられてあった。

 そこで初めて、佑はまともに口を利いてくれた。

「ジャケットを脱いで」

 しかし告げられた言葉は話し合いのためのものではなく、「これからお前を抱く」という宣告だった。
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