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第十部・ニセコ 編

ルカと過ごす時間

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「寝ていて具合が悪くなったら、何時でもいいから起こしてね」

「はい」

 聡子に向かって微笑み、香澄は残る三人に会釈をしてまた二階に上がった。

(なんか今日は疲れたなぁ……)

 すっかり湯冷めしていて、くしゅんと小さくくしゃみをする。

 不安というものは一つ感じ始めると一気に加速していく。
 それに、身の回りの事について心配がまだあった。

(なんだか最近、パンツがないんだよな。……盗られたのかな。やだな。どこかに挟まって落ちてるとかだといいんだけど。ブラとセットだから、なくなると分かるんだよなぁ)

 共同生活だと干してある洗濯物の問題もある。
 さすがに年頃の男女の下着を、オーナーとは言え他人の物と一緒に洗う訳にいかない。

 スタッフ分はある程度溜まったら、ペンションのコインランドリーで各自洗濯をして、自分の部屋に小さな物干しを置いて干す事になっていた。

 夜寝る時は防犯のために鍵を掛けるが、昼間は外出したり働いたりしているので、いちいち鍵を掛けていない。
 その隙に誰かが入ったのか……と疑ってしまうが、証拠もないのに疑えない。

 結局、正体の分からない不安を抱いたまま、香澄は「寝るしかない」と気持ちを切り替えた。

 あと少しすれば東京に帰る。
 気持ちは固まっていないが、ここでずっと釈然としない気持ちを抱えているのも嫌だ。

(嫌だと思う事からは距離を取らないと)

 和也たちに強く言えないのは、自分がここで〝客〟だからだ。
 一時的にしか滞在しないのに、彼らの仕事や生活を引っかき回して立ち去るのは最低な行為だ。

 だから香澄は、やられっぱなしと思っていてもなるべく我慢し、佑のもとへ戻る時になったら、すべてを忘れてニセコを離れようと思っていた。

(お布団入ろう)

 きちんとドアの鍵を閉め、スマホの充電をし、電気を消してからベッドに潜り込んだ。

「明日からルカさんのところで過ごそう。明るい人だからきっと気持ちが晴れる」

 独りごち、香澄は目を閉じて眠ろうと努力した。



**



 翌日から香澄はルカの所で過ごすようになった。

 働くと料理の他にやる事は、彼と二人で薪の準備をするぐらいだ。
 掃除は、管理をしている地元の人が、定期的にしてくれているらしい。

 ルカの別荘の周りは雑木林だけなので、二人で大きな声で話して沢山笑っても、誰にも何も言われない。

 ルカはとてもユニークな人で、何かにつけて笑わせてくれる。

 会社でいびられていた事を話しても、『カスミが可愛いから嫉妬したんだよ。心のブスにつける薬はないよ』と明るく言い切られ、随分気持ちが楽になった。

 沢山話してよく笑い、ルカの車に乗ってドライブに行っては、二人で買い物をして料理を作る。

 食べる物は、最初こそイタリアンを求められていた。
 しかし香澄の料理の腕が大体分かったところで、「何でもいいから得意な物を作って」とオーダーしてきた。

 それで一般的な日本の家庭料理を作ると、煮物も生姜焼きも味噌汁も、すべて『美味しい!』と食べてくれたので嬉しくて堪らない。

 一緒に過ごすうちに、お互いの深い事情も少しずつ話すようになっていった。

 名前を出さず双子やアドラーたちの話もしたが、ルカは決して感情的にならず、きちんと話を聞いてくれる。

 悔しい、悲しいと思った気持ちも理解してくれるし、双子やアドラーにもそれぞれの人生や、守りたいものがあるという考えも分かってくれた。

『カスミはもうその人たちに結論を出して、示談金ももらって終わりにしたいなら、これ以上考える事はないよ。悲しいけれど、どんな事件も日々が過ぎれば過去のものになっていく。毎日やる事があるのに、取り返しのつかない過去に振り回されているのは不健康だ』

『そうですね』

『どれだけ君が傷付いたかは、想像にあまりある。男の僕でさえつらい気持ちになる。増して、それがもしマリアの身に起こった事なら……と考えて、君の婚約者の気持ちも痛いほど分かる』

 同意してもらえ、香澄は涙ながらに頷く。

『でもね。幸せにならないと。その人達に〝絶対味方になる〟と言わせたなら、人の手を借りてでも幸せになるんだ。カスミは可愛いね。優しくて繊細で、吹けば飛んでいくタンポポの綿毛のようだ。でも綿毛は、次の花を咲かせるために種を飛ばす。どれだけ踏みにじられても、最後に笑った方が勝ちなんだよ。幸せになるんだ、カスミ』

 力強い手で肩をポンと叩かれ、頬を涙で濡らした香澄はしっかり頷いた。

『ありがとうございます』

 麻衣と同じように、佑たち当事者ではないから、励ましの言葉もスッと胸の奥に入っていった。
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