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第十部・ニセコ 編

救いの手

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 パパッと車のクラクションが聞こえ、和也がハッと身を起こした。

 いつのまに側に来たのか、ルカの赤いRV車がすぐ近で停まっていた。
 運転席からルカが降り、こちらに歩み寄ってくる。

 動揺した和也が何もできないあいだ、助手席のドアがルカによって開かれた。

『カーセックスをするには、まだ明るいんじゃないかな?』

 にっこりと笑う彼の目の奥に、和也に対する侮蔑が見え隠れしている。

 香澄は呆然としたままルカを見るが、ショックが大きくて何も反応できない。

『ペンションの位置を確認しようと思って戻ってきたんだけど……。何だかタイミングが合って良かったよ』

『ペンションなら、比羅夫(ひらふ)駅の山側ですが……』

 運転席に戻った和也が返事をするが、ルカはそれを無視して香澄に手を差し出した。

『カスミ、ちょっと気が変わったから、僕とお茶をしないか? 僕、料理はできないけどエスプレッソ入れるのは上手なんだ』

 ぼんやりとしたまま香澄はルカの顔を見て、ノロノロと手を動かす。

 今の状況で、何が正しいのか分からない。
 だがこれ以上和也と一緒にいると、自分の心が死んでしまいそうになるのは分かっていた。

 ――逃げたい。

 情けない心が素直にそう告げ、香澄はシートベルトを外し、ルカの手に自分の手を重ねた。

「……すぐ、……戻ります。……すみません」

 小さな声で謝罪する香澄の顔は、真っ青になっていた。

 車を降りると、ルカがドアに手を掛けて和也に告げる。

『何があったか知らないけど、女の子は愛でるものだ。泣かせるものじゃない。女性の扱い方を一から学び直してから迫るんだね』

 目の前でルカがバンッと車のドアを閉め、『行こうか』と香澄に微笑みかけた。

 茫然自失とした香澄は彼に促されるまま、ルカの車に乗った。

 車の中では海外のロック音楽が掛かっていて、ルカはご機嫌に歌いながらエンジンをかけた。
 車が発進してペンションの車とすれ違うが、香澄は彼を見る事すらできないでいた。

『ちょっとドライブでもしようか』

 彼は明るく言い、『マウント・ヨウテイ一周コース!』とアクセルを踏む。

 フロントガラスの向こうには、秋晴れの空に雄大な羊蹄山。
 それらを目にしてぼんやりながら、香澄は仕事を途中で放棄してしまった事に罪悪感を覚えていた。

 ルカは助けてくれた人だが、初対面の男性の車に乗ったとなれば、佑にも他の人にも怒られるだろう。

(どうしてこうなっちゃったんだろ……)

 ルカは特に事情を聞かず、ロック音楽に合わせ声を張り上げる。
 途中で「Wow wow……」と歌詞のない部分までノリ良く歌うので、香澄の気持ちもいつの間にか明るくなっていた。

 緑や畑が九割を占める道路を走っているうちに、先ほどの出来事を冷静に思い返せた。

(佑さんが私の妄想のはずがない。彼の手も舌も覚えているし、この体に強い愛を刻まれた。いつ彼が何て私に言ったのかも覚えている。ずっと一緒にいたから、佑さんが他の女性と会う余裕がないのも分かってる。……大丈夫)

 脅されたとはいえ、少しでも揺らいだ自分の心を叱咤し、両手でピシャンと頬を叩く。

「自信!」

 日本語で気合いを入れた時、ルカが軽やかに笑った。
 車はルカが言った通り羊蹄山の周りを一周していたが、途中で彼は『そうだ!』と言って舌を鳴らした。

『ジェラート食べようか! 好き?』
『あ、はい』

 香澄の返事を聞いてから、ルカはジェラート屋に車を走らせた。

 店は目の前にジェラートの形をした看板があるので、分かりやすい。
 車から降りると、ルカが気さくに話しかけてくる。

『僕、こないだ一人でここに来たんだ。美味しかったよ』

 こぢんまりとした一軒家風の店に入ると、目の前に色とりどりのジェラートがあるショーケースが鎮座していた。

「いらっしゃいませ」

 出てきた若い女性は、ルカの顔を覚えていたのか彼を見てにっこりと笑う。
 ジェラートは幾つも種類があり、定番の味の他にも甘酒やしそ、柚子など和風テイストもある。

『僕はクリームチーズとヘーゼルナッツにする。カスミは?』

 ルカがオーダーして女性がカップに盛っている間、香澄は少し悩んでから決める。

「じゃあ、いちごとチョコレートお願いします」
「少々お待ちください」

 香澄がショルダーバッグをゴソゴソすると、ルカが「No」と香澄の手元を制した。
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