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第十部・ニセコ 編

相手も自分も駄目にする優しさ

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「何かあったんだなと思って、お茶とか居酒屋に誘って聞こうとしても、香澄は話さなかった。というか、自分の心の中にある殻に閉じこもって、私と話しているのに私を見ていない感じがあった。相当ショックを受ける事があったのは分かったけど、結局無理に聞くのはやめておいた」

「心配掛けたのに……ごめん。当時の私、自分の事で精一杯だったのかも」

「ううん、謝る事はないよ。防衛本能だもん、仕方ない。そんなショックな事があったら、人によってはもっと拒絶反応を起こす場合だってある。私の知ってる人も似たような目に遭って、鬱病とか自傷行為とか自殺未遂とか……、聞いていて気の毒だったよ」

「そっか……」

 意外と身近なところにも、似たような被害に遭った人がいる。
 自分だけじゃないんだな、と思いながらも、それで気持ちが晴れる訳ではなかった。

「いつか話してくれたらいいなと思っていたけど、黙っている事で香澄が楽になるなら、それでもいいと思ってた。結局、香澄は自分の力で乗り越えて、八谷で働き始めて生き生きし始めた。だからそれで良かったんだと思って、私は黙ってた」

「見守ってくれてありがとう」

「ううん。……しかし、原西。あいつクソだな。最低。人間じゃない。キンタマ潰してやりたい」

 麻衣が低い声でうなり、香澄は苦笑いする。

「怒ってくれてありがとう。でももう、二度と会わないし、私には佑さんっていう最高の人がいる。だからもう大丈夫。きっと乗り越えていける」

 踏みにじられてなお、健気に微笑み自力で立とうとする香澄を見て、麻衣は何か言いかける。
 だが溜め息をつき、少し気を取り直した言い方で香澄を叱る。

「香澄は甘い! 自分を傷つけた相手に甘い!」

 そう言われて、香澄は「そっかな」と笑う。

 それから、アドラーや双子、マティアスの事を、この際だから言ってしまおうと思った。

「ぶっちゃけついでにもう一件いい?」
「まだ何かあるの!? 色々ありすぎでない?」

 困惑した表情の麻衣に誤魔化し笑いを浮かべ、香澄は胸の奥につかえていたものを打ち明ける。

「……それからね。私ね。……マティアスさんっていう佑さんの知り合いに抱かれ……たように偽装されちゃった」

「は!?」

 香澄の言わんとする事が分からず、麻衣は目を丸くする。

 彼女の反応を見て、香澄は自分を取り巻くドイツ関係の人間関係を説明したあと、一連の事をポツポツと話した。

 麻衣は相槌を打って聞いてくれていたものの、最後まで話し終わると難しい顔で黙り込む。

 話していた途中で炊き込みご飯と味噌汁、香の物が出されたので、とりあえず箸を動かす。

 沈黙の間、香澄は自分が東京を離れた経緯を改めて思い出す。
 そしてまだ自分がふがいない状態なのを自覚し、胸の奥で決意した。

(絶対健康体に戻って、佑さんのもとでまた働くんだ)

 ようやく、松井にも色んな仕事を任せてもらえていた矢先だった。
 ここで戦線離脱するような、情けない真似はしたくない。

 マティアスの事を思い出すとまだ少し足が竦む時もあるが、いつまでも逃げていられない。
 ちゃんと彼に向かって「許します」と言い、アドラーや双子とも和解した。

 それなのに、何をいつまでも怖がっているのか、佑に抱かれている時にも恐怖を覚える自分に苛立ちを覚えてしまう。

 グルグルと考えながら食事をし、気が付けば二人とも食べ終わっていた。

 デザートには抹茶アイスが出され、上品な甘みのそれをじっくり味わう。

 やがてアイスを食べ終えて温かいお茶を一口飲んだあと、黙っていた麻衣が口を開いた。

「……香澄は優しいよ。私はそういう香澄が好き。でもその優しさは、時として相手も自分も駄目にするタイプの優しさかもしれない」

「……相手も、自分も……か」

 香澄はポツンと呟く。

「香澄ってさ、何かあった時にその場ですぐ怒れないタイプでしょ。その場では事を荒立たせないように処理したあと、思い出してモヤるタイプじゃない?」

「そう……かも」

 草津で飯山たちに絡まれた時も、あまり言い返す事ができなかった。
 二度目にカフェで双子と一緒にいる時に絡まれた時は、彼らが好き放題言い返した姿にある種の爽快感すら覚えていた。

 あんな風になれたらいいな、と思っても、自分では到底無理なのは分かっている。
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