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第九部・贖罪 編

いってらっしゃい

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「好きだよ、香澄」

 囁いて、もう一度彼女の額に唇を押しつけた。

「君が心底好きで惚れ抜いているから、君の言う事を聞こう。俺の負けだ」

 指先で黒髪をくしけずり、また彼女の香りを吸い込む。

「だが戻って来たら、抜け殻になっているだろう俺を癒やしてくれ。その声で、その目で、手で、体で。萎れた花に水を与えてくれ」

 我ながら詩人のような事を言って微かに笑い、もう一度キスをする。
 飽きずにまた香澄の香りを嗅ぎ、細く長く息を吐く。

「……好きだ。――――好きすぎてつらい」

 はぁ、と何度目になるか分からない溜め息をつき、佑は飽きずに香澄の寝顔を見つめた。



**



「おいし?」
「美味しいよ。香澄の手料理はいつも美味しい」

 何か特別な朝食を作ろうかと思ったが、結局いつも通りの朝食を用意した。
 白米に味噌汁に、焼き魚と玉子焼き。キュウリの酢の物も作った。

 いずれこの御劔邸に戻ってくるのなら、〝日常〟から脱して〝日常〟に戻る事になる。
 それなら今日の日の出発を、特別なものにする必要はないと判断した。

 シャツにネクタイ、ベスト姿の佑は、今日も身悶えするほど格好いい。
 少し伏せられた目元は涼やかで、静かに動く口元に品を感じる。
 箸を持つ手は綺麗だし、座り姿が神がかっているように思えた。

 自分が心底〝御劔佑〟という人のファンである事を自覚し、香澄は思わず微笑む。

「良かった。佑さんがいつもお手伝いしてくれるから、私も楽なんだよ? いつもありがとう」
「当たり前の事だよ。二人でやった方が時短になる」

「ふふ、そういうところ好き」

 幸せだなぁ、と思い玉子焼きをパクリと口に入れる。

「斎藤さんのご飯、ちゃんと食べてね? 斎藤さんのご飯さえ食べていれば、バランスが取れていて間違いないんだから」

「ああ、分かったよ」

 もくもくと無言で口を動かし、朝食が終わった。

「さて、お片付け。佑さんは支度していていいからね」

 食器を手にして立ち上がり、香澄はキッチンとダイニングを移動する。

 水道のレバーを上げた時、パシャッとシャッター音が聞こえた。
 顔を上げると、佑がこちらに向かってスマホをかざしている。

「思い出、作らせて。一分でいいから、動画撮っていいか?」
「もう……、仕方ないな。いいよ」

 苦笑して少し緊張しつつも手を動かし、いつも通り食器を軽くすすいで食洗機に入れていく。

 アイランドキッチンを挟んで佑が立ち、じっとこちらを見ている。
 何も面白い場面じゃないのにな、と少し笑いながら作業をしていると、佑が録画を終えてスマホをポケットにしまった。

「ありがとう」

 一言告げて、彼は洗面所に向かう。

 何気ない朝の風景の中に、一旦のお別れが織り交ぜられている。

 香澄は静かに微笑み、この朝の空気を肺いっぱいに味わった。





「ネクタイ曲がってないか?」
「曲がってないよ。佑さん上手だもん。でも直すフリ、してあげる」

 玄関先でそんな会話をし、香澄はクスクス笑って佑の首元をちょいちょいと弄る。

「気を付けてね」
「香澄も」

「あ、そうだ。ツーショットで写真とろっか」

 香澄は自分のスマホを取りだし、インカメラにすると佑に顔を寄せる。
 彼の整った顔の横に自分の丸顔があるのを少し恥ずかしく思いつつ、スマホをタップした。

「俺も撮りたい。ロック画面とホーム画面に設定しておく」

 佑もスマホを取りだし、同様にツーショットの写真を撮る。

 二人とも自然と無言になり、何を言おうか言葉を迷わせた。

 玄関前にはすでに車が待機しており、小金井と松井が待っている。

 意味もなく触れたくなり、手が微かに上がったが、それも戻った。
 視線が絡み合い、無言の中でお互いの心を見透かそうとする。

 やがて香澄は微笑んで手を振った。

「……いってらっしゃい」
「……いってらっしゃいのキスは?」

「――もぉ。昨日、最後のキスって言ったのに」

 泣き笑いの表情になり、香澄は一歩進むと佑の首に両手を回した。

 佑も背中を丸め、顔を傾ける。
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