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第九部・贖罪 編

縛る、言の葉

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「今夜、一緒に寝よう? それでいつもみたいに朝を迎えて、私がお見送りするの」

「……香澄の『いってらっしゃい』を聞いて、家に帰ったらフェリシアだけに『お帰りなさい』って言われるの、嫌だな」

「私の『お帰りなさい』は大事に取っておいて? 寝かせて熟成させたら、旨みが増すかも」
「……うまい事を言ったつもりか」

 苦笑した佑に鼻を摘ままれ、左右にくちくちと揺さぶられてから、ちゅっと啄むキスをされた。

「キス、しよう。最後のキスを」
「ん……」

 佑に誘われ、香澄は彼の膝の上に乗った。
 首に両手を回し、顔を少し傾けて口を開く。

 柔らかな唇が訪れ、はむ、はむと香澄の唇を啄んでくる。
 香澄も愛情を込めて佑の唇を舐め、彼のぬめらかな舌にちろりと己のそれを絡めた。

「……ふ、…………ん、……ン」

 くちゅ、ちゅぷと小さな水音が聞こえ、ときおり二人は顔を離して見つめ合う。

 胸を満たすこの愛情を、すべて佑に見せてあげたい。

「これだけあなたを愛しているから、安心して?」と彼にすべてを曝け出したい。

 求められたらどんな言葉だって口にする。
 ラブレターだって書くし、ベッドでだって応えたい。

 だがそれらの手段すべてを使っても、香澄の想いすべてを佑に伝える事はできない。

 ――なんて不便なんだろう。

 愛しくて、悔しくて、悲しくて、ただただ愛しくて、――香澄は涙を流す。
 両の手で佑をかき抱き、狂おしく彼の背中や髪をなで回した。

 ――好き。
 ――好きなの。

 ――愛してるの。

 想いが溢れ、次から次に涙が零れる。

 佑の舌が頬を舐め、しょっぱい想いの雫を吸い取った。
 頬に、鼻先に、額にと佑の唇が移動し、最後に優しいしるしが唇に与えられる。

 目を開くとやはり泣き濡れた彼が目の前にいる。

 彼は固い決意を宿した目で告げた。

「もし明日の別れを最後に、香澄が俺のもとに戻ってこなかったら、俺は一生許さない」
「……戻るよ?」

「分かってる。でも不安なんだ。……香澄が俺を裏切ったら、世界中のどこにいても必ず見つけだして捕まえて、どこかに閉じ込めると思う。――本気だ」

 ヘーゼルの瞳の奥に、ギリギリのラインを踏み越そうとしている男の狂愛がある。

「香澄の意志を尊重したいなんて、殊勝な事は言わない。傲慢だと言われても、必ず愛する女を手に入れて、強引に孕ませてでも手元に置く」

 香澄はこんな悲しい覚悟を知らない。
 佑の綺麗な目からまた新たな涙が零れ、両手が香澄の頬を包む。

「――必ず。……戻ってくれ。香澄を信じるから護衛をつけない。他の男と普通に話す程度なら許容する。だが友人や知り合い以上に接する事があったら――、絶対に許さない」

 言の葉が、香澄を縛る。

 彼が側にいなくても護衛がつかなくても、魂から振り絞ったかのような言葉だけで、香澄はしっかりと心に枷をつけられていた。

 ――なんて、幸せなんだろう。

 そう思ってとろりと微笑む自分も、きっとどこか狂っている。

 御劔佑というすべてを手にした人に愛され、普通の恋愛などできるはずがない。

 普通でありたいと願いながらも、香澄はとうに心の一部を壊されていた。

 何かを犠牲にしてでも、相手を愛したいという強い想い――。

 それは佑と香澄の間で共鳴し、魂の底で微かに震えていた。

「私が約束を破ったら、佑さんの好きにしていいよ。あなたにはその権利がある」

 香澄は佑の髪を撫で、形のいい耳をたどり、頬に触れて唇に指を押し当てる。
 その指先は、佑にじんわりと噛まれた。

「私はとっくのとうに、すべてを佑さんに捧げているの。私のすべては佑さんのものだよ。……ほんのちょっとだけ、メンテナンスに行ってくるだけ」

 そう言うと、佑がふぅ……と息を吐き微かに笑った。

「メンテナンス……か。確かに……。結婚してもたまには香澄に息抜きをさせないと、息が詰まってしまうな。どんな高額な買い物も、旅行も、星つきレストランでの食事も、郷里には叶わない」

 先ほどまでのギラギラとした狂愛を潜め、佑は緩やかに笑う。
 もう、何もかも呑み込んだ表情だ。

「どこか遠い外国に行く訳じゃないもの。北海道だよ? しかもたった一か月」

「……でも連絡は取らないんだろう?」
「…………うん。なるべく、スマホは開かないつもり」

 頷いた香澄に佑はもう一度溜め息をつき、諦めたように笑みを落とした。

「緊急事態があった時は、必ず連絡してくれ」
「うん。それは約束する」

 別離を根底に横たえた表情で、二人は微笑み合う。

 やがて香澄が夜の終わりを告げた。
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