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第九部・贖罪 編
心の奥底に潜む狼
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「札幌に戻って、元住んでいたマンションは引き払ってしまったから実家だけれど。一か月ダラダラ過ごすんじゃなくて、自分一人で何かしてみせる。その間に、〝赤松香澄という人物は、何かがあって情けなく寝込むだけじゃない。一人でもちゃんと立ち上がって、生きていける〟って自分自身に証明したいの」
静かだがきっぱりと言い切った香澄に、佑は声もなく打ちのめされていた。
ひどく傷ついてなお、香澄は強い。
佑の庇護から抜けて、自分の足で立つと言っている。
彼女にはそういうつもりはなくても、佑の手助けやお節介は不要だと言われている気がした。
――そして悲しいかな、佑はこうなったら香澄が頑固なまでに意見を変えないのを知っている。
彼女の完全な復活のためにも、認めるしかないのだ。
「……いつから?」
溜め息交じりの佑の問いに、香澄は少し考える。
「明日……、お二人とデートするって約束したから、それはちゃんと果たす。それから美里さんに対して持っておいてほしい心構えとかを伝える。それが私のお二人を許す〝条件〟だから」
「……じゃあ、月曜日から?」
まるで母の帰りがいつになるのか、必死で尋ねる子供のようだ。
その必死さが伝わったのか、香澄が微かに笑った。
「佑さんは月曜日、いつも通りお仕事に行って? 私はその間に出掛けるから」
「ご――」
「護衛とか、お目付役的な人はいらないからね?」
佑が言おうとした事を、香澄が申し訳なさそうな顔で先んじて否定する。
「お休み中なのに、私の行動がすべて佑さんに筒抜けなのとか……落ち着かないの。分かって」
香澄はごく普通の感覚で言っただけなのに、佑はすべてを否定された気持ちになった。
それだけ香澄に行かないでほしいと、未練がましく思っているのが窺い知れる。
香澄だけだ。
自らを平凡と言う地方都市出身の彼女だけが、佑のすべてを狂わせる。
それでも、自分は彼女の望みを叶えない訳にいかない。
傷付いた香澄には心身共に休養が必要だ。
距離を取りたがっているのに、「愛しているから」を理由にして側にいさせるのはただのエゴだ。
できるだけ、香澄には物分かりのいい優しい婚約者でいたい。
だから、本音を押し殺して承諾した。
「……分かった。……その代わり、きっかり一か月後に迎えに行くから。その時は一緒に戻ってほしい」
感情を凍結させたとても平坦な声が口から出て、その声の無機質さに佑自身が驚いた。
「ありがとう」
だが香澄は――残酷で愛しい婚約者は、この上なく可愛い顔で礼を言ってくる。
佑は自分で香澄の手を離してしまった。
あと一日一緒に過ごしたあとは、地獄のような日々を耐えなければいけない。
これは――、自分で選んだ道だ。
パシャ……と水音をたてて香澄の背中を撫で、佑は何度も香澄という存在を確かめた。
彼女はもう、明後日にはこの家からいなくなってしまうのだ。
「ごめんね。……ありがとう。……好きだよ」
――何を今さら。
香澄が好きすぎて、憎らしくさえ思う。
――俺の手からすり抜けていってしまうくせに。
僅かに残っている理性さえなければ、乱暴に犯して腰が立たなくなるまで攻め、地下室のある別荘に監禁したいとすら思った。
しかしギリギリのところで――、御劔佑という男は良識人だった。
自分の心の奥底に、悲しくて寂しくて遠吠えする狼のような獣性を感じた。
心の中の狼は、一歩間違えれば香澄に唸って噛みつき、彼女を力尽くでねじ伏せようとする獰猛さがある。
だが佑という狼は、愛しいつがいには決して牙を向ける事ができないのだ。
「……少し、一人で考えたい」
堪らず、初めて彼女にそんな言葉を向けてしまった。
「……うん、分かった。ごめんね」
真珠のような肌から水滴を滴らせ、香澄が立ち上がる。
ぷりんとした白いお尻を佑に見せつけ、彼女は静かにバスルームから出て行った。
ジェットバスの中で脚を伸ばし、佑はズルズルと体を滑らせる。
天井を仰いで――、魂も一緒に抜けてしまいそうな溜め息をついた。
――これで良かったのか。
――まだ、取り返しがつくんじゃないのか?
ぶくぶくと沸き起こるジェットバスの泡のように、佑の心にさまざまな思いがわき上がる。
静かだがきっぱりと言い切った香澄に、佑は声もなく打ちのめされていた。
ひどく傷ついてなお、香澄は強い。
佑の庇護から抜けて、自分の足で立つと言っている。
彼女にはそういうつもりはなくても、佑の手助けやお節介は不要だと言われている気がした。
――そして悲しいかな、佑はこうなったら香澄が頑固なまでに意見を変えないのを知っている。
彼女の完全な復活のためにも、認めるしかないのだ。
「……いつから?」
溜め息交じりの佑の問いに、香澄は少し考える。
「明日……、お二人とデートするって約束したから、それはちゃんと果たす。それから美里さんに対して持っておいてほしい心構えとかを伝える。それが私のお二人を許す〝条件〟だから」
「……じゃあ、月曜日から?」
まるで母の帰りがいつになるのか、必死で尋ねる子供のようだ。
その必死さが伝わったのか、香澄が微かに笑った。
「佑さんは月曜日、いつも通りお仕事に行って? 私はその間に出掛けるから」
「ご――」
「護衛とか、お目付役的な人はいらないからね?」
佑が言おうとした事を、香澄が申し訳なさそうな顔で先んじて否定する。
「お休み中なのに、私の行動がすべて佑さんに筒抜けなのとか……落ち着かないの。分かって」
香澄はごく普通の感覚で言っただけなのに、佑はすべてを否定された気持ちになった。
それだけ香澄に行かないでほしいと、未練がましく思っているのが窺い知れる。
香澄だけだ。
自らを平凡と言う地方都市出身の彼女だけが、佑のすべてを狂わせる。
それでも、自分は彼女の望みを叶えない訳にいかない。
傷付いた香澄には心身共に休養が必要だ。
距離を取りたがっているのに、「愛しているから」を理由にして側にいさせるのはただのエゴだ。
できるだけ、香澄には物分かりのいい優しい婚約者でいたい。
だから、本音を押し殺して承諾した。
「……分かった。……その代わり、きっかり一か月後に迎えに行くから。その時は一緒に戻ってほしい」
感情を凍結させたとても平坦な声が口から出て、その声の無機質さに佑自身が驚いた。
「ありがとう」
だが香澄は――残酷で愛しい婚約者は、この上なく可愛い顔で礼を言ってくる。
佑は自分で香澄の手を離してしまった。
あと一日一緒に過ごしたあとは、地獄のような日々を耐えなければいけない。
これは――、自分で選んだ道だ。
パシャ……と水音をたてて香澄の背中を撫で、佑は何度も香澄という存在を確かめた。
彼女はもう、明後日にはこの家からいなくなってしまうのだ。
「ごめんね。……ありがとう。……好きだよ」
――何を今さら。
香澄が好きすぎて、憎らしくさえ思う。
――俺の手からすり抜けていってしまうくせに。
僅かに残っている理性さえなければ、乱暴に犯して腰が立たなくなるまで攻め、地下室のある別荘に監禁したいとすら思った。
しかしギリギリのところで――、御劔佑という男は良識人だった。
自分の心の奥底に、悲しくて寂しくて遠吠えする狼のような獣性を感じた。
心の中の狼は、一歩間違えれば香澄に唸って噛みつき、彼女を力尽くでねじ伏せようとする獰猛さがある。
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「……少し、一人で考えたい」
堪らず、初めて彼女にそんな言葉を向けてしまった。
「……うん、分かった。ごめんね」
真珠のような肌から水滴を滴らせ、香澄が立ち上がる。
ぷりんとした白いお尻を佑に見せつけ、彼女は静かにバスルームから出て行った。
ジェットバスの中で脚を伸ばし、佑はズルズルと体を滑らせる。
天井を仰いで――、魂も一緒に抜けてしまいそうな溜め息をついた。
――これで良かったのか。
――まだ、取り返しがつくんじゃないのか?
ぶくぶくと沸き起こるジェットバスの泡のように、佑の心にさまざまな思いがわき上がる。
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