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第九部・贖罪 編

覚えてないし

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 それでも香澄は人形やペットではない。
 自分の意志を持つ人間だ。
 決定権が佑にある奴隷でも所有物でもない。

 知りたいと思えば聞く権利がある。

 二十八歳になり、守られ頼るだけの子供はとっくに卒業したつもりだ。

「……覚悟はできてるから」

 体の向きを変え、正面から佑を見つめると「お願い」と訴えた。

 佑はそれからも数秒悩み――――、やっと口を開いた。

「エミリアは、香澄が考えているようないい人間ではない」
「あ……」

 その一言で、すべてを理解した。

「エミリアさん……佑さんの事が好きだったの?」

「そうらしい。加えて、アロクラの事も幼馴染みとして気に入っていた。……だから、その三人に可愛がられている香澄に嫉妬したんだろう」

「……そう……」

 香澄は目を閉じて、エミリアを思い浮かべた。

 とても綺麗な人だと思った。
 優しくて上品で、洗練された貴族のお嬢様という印象しかない。

「私が佑さんと知り合うより前からの……恋なんだろうね」

 エミリアが遠いドイツからずっと佑を想っていたのだと思うと、申し訳なくてやりきれない。

 佑は何も言わなかった。

 しかし香澄は事実を受け入れようと決めた。

「私、いつかこういう事があるっていう覚悟はあったの。飯山さんたちの事もあったし、佑さんの隣に立っていたら、いずれ誰かに嫉妬されて痛い目を見るって分かっていた。それでも……」

 香澄は佑の両肩に手を置き、こみ上げる感情を抑えて彼を見つめた。

「私は……佑さんが好き。さっき取り乱してしまったけど、佑さんが受け入れてくれるって言うなら、私はどこまでもついて行きたい。誰に嫉妬されても、嫌な女って思われても……。…………佑さんがいればいいの」

 我ながら、とても傲慢な想いだ。

 不器用に笑ってみせると、佑は何かを堪えるように眉間にギュッと皺を寄せる。
 目を閉じて数秒してから、彼は止めていた息を吐いて微かに笑った。

「俺も、香澄を手放す気は絶対にない」
「ん……」

 香澄は腕を伸ばして抱きついた。

 彼の温もりを感じ、安堵を得る。
 そうやって少しずつ、停止していた思考がいつも通りに戻っていくのを感じた。

「……マティアスさんは、エミリアさんに私を傷付けるよう命令されたの?」
「……のようだな」

 抱き締められたまま尋ねると、彼の胸板を反響して低い声が伝わった。

「……気持ちは……分かるけど。…………これは、やっちゃ駄目だよね」
「当たり前だ」

 激しい怒気を押し殺した佑の声は、低くかすれていた。

 目を閉じて、香澄は佑にできるだけ体を密着させた。
 彼の鼓動を自分の胸元で感じ、息づかいに耳を澄ます。

 自分の心の奥にも耳を澄まし、自分がどうしたいのか考えた。

 確かに傷ついた。
 とてもとても、酷く傷ついた。

 それでも、と思う。

 つらい時、人は自分の事ばかりになる。
 身勝手になって自分だけが被害者だと思い込み、周りを傷つける時だってある。

 先ほどの香澄は、大切な佑すら疑い、傷つけた。

 だからこそ、冷静に考えたい。

 マティアスに命令したエミリアも、ずっと苦しかったのではないだろうか。
 とっさに命令違反をしたマティアスだって、レイプなどしたくなかったに決まっている。

 口数こそ少なくて何を考えているか分かりづらいが、彼と接して「いい人だな」と感じた。

 マティアスだって、悪意があった訳じゃない。

 自分は――、無事だった。

 犯されていないし、佑の事も裏切っていない。

 それなら……。

「…………覚えてないし」

「ん?」

「マティアスさんに何かされたとか、私、酔っ払って寝てて覚えてないし」
「そう……だけど」

「…………だから、佑さんが側にいてくれて、これまで通り愛してくれるなら……。……いいや」

 最後の言葉と一緒に、香澄は諦めたように笑った。
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