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第九部・贖罪 編

信じてくれるか?

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「香澄はマティアスに抱かれてないよ」

 耳元で落ち着いた声で言う佑が憎たらしい。
 分かりきっている事実なのに、こんな時まで甘い嘘で自分を欺そうとする。

 だから香澄は、彼に現実を突きつけるために思いきり首を横に振り否定した。

「抱かれたもの! ……っ、な、中に……っ、出されたのっ、覚えてるの。ちゃんと。中から……出てくる感覚を、鮮明に覚えてるの……っ」

 そこまで白状すると、あまりの絶望と悲しみに、佑に抗う力を失ってしまった。
 香澄は両手で顔を覆い、嗚咽しだす。

「うぅーっ! ……っ、ぅ、うぅっ、あぁあ……っ、ぅ、ううぁあっ!」

 香澄は激しく泣き続け、体中の水分がすべて出たのではないかと思うほど、涙を流した。
 ときどき咳き込み、そのたびに佑が背中をさすってくれる。

 そのうち、佑が彼女を抱き上げリビングに入る。
 フェリシアによってライトの種類が変えられ、温かみのある照明がリビングを照らした。

 グスッグスッと洟を啜っていると、「はい」と佑がティッシュの箱を差し出してくる。

「ん……っ」

 ひどい鼻声で返事をして受け取り、洟をかむ。
 子供のように大声を上げたからか、幾分激情が収まった気がする。

 しゃくり上げが収まった頃になって、辛抱強く待っていた佑が口を開いた。

「香澄、俺の話を聞いてくれないか?」

 大人げなくたっぷり泣いたからか、先ほどのように彼を憎たらしく思う気持ちはもうない。
 ただ、きちんと確認しなければいけない事があった。

「…………聞く。けど、その前に訊かせて?」
「何でも言ってごらん?」

 彼の穏やかな表情は変わっていない。
 佑をひどく裏切って傷付けてしまったのに、彼は香澄の言う事をすべてを受け入れるという顔をしている。

 幾ら優しくて懐の広い男性でも、レイプされた婚約者を受け入れるなどあり得ない。

 愛というものはいつ冷めてしまうか分からない。
 だから香澄は婚約者という立場になっても、不安を切り離せない生活を送っていた。

「……本当は怒ってるんでしょ? 私、佑さんを裏切っちゃったもの。佑さんは優しいけど、今回の事を受け入れるなんてあり得ない」

 自分の心が冷えて凝り固まっているのが分かる。
 本当はこんな風に、佑を疑って皮肉を言うなんてしたくない。

 本来の自分なら、もっと柔らかで温かな言葉を言えただろう。

 だが今はどうしても傷を負った自分を庇ってしまい、彼を思いやる事ができなかった。

 佑は少し沈黙したあと、彼女の髪をサラリと撫でる。

「マティアスたちには怒っている。だが本当に香澄に対しては怒っていない。香澄は犠牲者だ。可哀想で……気の毒だと思っているよ」

「……本当?」

 こんな風に、怒っていないと聞いて安心したい訳じゃない。
 哀れんでもらって安堵したい訳じゃない。

 けれど――、どうしても確認したかった。

 自分は〝セーフ〟なのだと言ってほしかった。

 それでなければ〝佑に捨てられる〟という耐えがたい恐怖に襲われ、足元が崩れ底知れない闇に落ちていく感覚に陥っていた。

「本当だよ。俺は香澄に嘘をつかない」

 香澄は眉間に皺を寄せ、唇をキュッと引き結んで佑を見つめる。
 疑い、彼の本心を探っている目だ。

 大好きなヘーゼルの目が、優しさと思いやりと憐憫をまとって自分を見つめている。
 いつもと変わらない優しい目。

 彼の目はいつも、香澄だけを見て心配し、思いやって見つめてくる。
 香澄が些細な事で喜んだら、一緒になって我が事のように喜んでくれる。

 はぁ……、と香澄は小さく息をつく。

 今まで積み重ねた思い出があったからこそ、何とか「信じてみよう」という気持ちになれた。

「信じてくれるか?」

 もう一度、佑が尋ねる。

「…………うん」

 小さく頷くと、「よし」と頭をポンポンと撫でられ、額にキスをされた。

「話す前に、何か飲もう。沢山泣いて喉が痛いだろ?」
「ん……」

 いつのまに震えは止まっていた。

 さっきは怖くて堪らなかったけれど、今は佑が離れても一人で座っていられた。
 佑はキッチンに向かい、それほど経たずに戻ってくる。

 リビングの時計は、深夜二時過ぎを指していた。

「はい、飲んで」

 彼がマグカップを手渡してきた。
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