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第九部・贖罪 編

香澄を包む白い霧

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「いつも過保護だよ。デザートに桃でも食べようか。フルーツも食べたほうがいい」
「やったぁ、桃、桃」

 カウチソファに脚を投げ出し、香澄は背もたれにもたれかかって目を閉じる。

 頭は〝目の前の現実〟にしか向いておらず、他の事を思い出そうとする働きもない。

 ただただ佑が優しいという幸せを感じ、満足だった。

 ほどなくして食器を食洗機に任せ、桃を剥いた佑がガラスの器を手に隣に座る。

「いただきます。やったぁ」

 待ちきれずペロリと舌なめずりをし、香澄は満面の笑顔で桃にかぶりつく。

「美味いか?」
「うまい!」

 佑の口調を真似て、香澄はとろけそうな笑みを浮かべた。

「香澄がそんなに喜んでくれるなら、百個食べさせてもいいな」
「ふふふ、百個はさすがに入らない」

「来年もシーズンになったら、産地から取り寄せようか」
「うん。…………ん……?」

 ふ……と、ここで、このリビングで誰かと桃を食べた気がした。

 佑かもしれない。きっと佑だろう。
 それでも自分は桃の他にも何かを用意して、もてなそうとしていた気がする。

 その人は――――。

「…………」

 ふつ……と思考が止まり、香澄の頭の中が白くなる。

 それが自己防衛本能だと、香澄は気づいていない。

 動きが止まり表情が曖昧になった香澄を、佑が覗き込んだ。

「香澄? ……どうした?」

 佑は焦った表情をしているが、香澄は彼を気遣える余裕がない。
 そして、まだ二きれ残っている桃の皿を緩慢な動作でテーブルに戻した。

「…………」

 香澄は無言で佑の腕を抱き、肩に顔を押しつける。
 何も考えたくないと目を閉じると、皿をテーブルに置いた佑が肩を抱いてくれた。

 そのまま、どれだけジッとしていただろうか。

 佑の手がポン、ポンとあやすように肩を叩いてくれる。
 その心地よさに身を任せて不安を解き放ちたいのだが、得体の知れない感情が胸を支配している。

「…………たすく、……さん」
「ん? 眠たいか?」
「んーん」

 香澄は佑の肩に顔を押しつけ、ぐりぐりと額を摩擦させ首を振る。

 言おうか、言うまいか。
 言ってしまったら呆れられるかもしれない。

 それでも香澄は、この得体の知れない漠然とした不安が恐ろしかった。

 真っ白な霧の中に包まれて、思考も何もかも奪われ言葉すら話せなくなるのが怖い。

 いや、霧の向こうにある〝何か〟に触れた時が恐ろしいと、〝何か〟の正体も分かっていないのに本能的に脅えていた。

 今は幸か不幸か、「思い出そう」とどれだけ努力しても、何も思い出せない。
 手持ちの扇風機を最大出力にして霧を晴らそうとするが、頭の中にある濃密な霧はまったく薄れるない印象だ。

 だがいつか、パッと霧が晴れてしまうかもしれない。
 隙間ができて霧の向こうの〝何か〟がチラりと見えるかもしれない。

 ――それが、怖い。

 香澄は佑の手に自分の手を重ね、何度も撫でた。

 男らしい大きい手。指が長くて綺麗な手。
 手の甲に浮いている血管を、何度もふにふにと潰して遊んだ。

「香澄?」
「……あの……」

 そろりと顔を上げ、こちらを見ているヘーゼルの瞳を見つめる。
 ああ、いつもの綺麗な色だな、と安堵し――自然に腕が伸びた。

「ん……」

 抱っこをせびり、香澄は佑の首に両腕を回し、彼の腰の上に乗った。

「抱っこか?」

 すっぽりと両腕で包んでくれた佑は、耳元で優しい声で言い、大きな掌でポン、ポンと背中を叩いてくれる。

「……甘えてごめんね」
「なんで謝る? 嬉しいよ」

 スン……と香りを嗅ぐと、佑からはいつもの香りがする。

「……好き」

 佑の耳元に囁き、猫かというぐらい、すりすりと顔を押しつける。

「俺も好きだよ。多分香澄の〝好き〟よりずっと大きい自覚がある」
「……私のほうが好きだもん」
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