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第八部・イギリス捜索 編

キスに応える彼女の声

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 本当なら何も考えたくなく、ただ香澄の事だけを想っていたかった。

 けれどこういう時まで役員や社員の顔、取引先の事、今後のスケジュールなどが思い浮かぶ。
 十年近く社長業しかしていない佑は、根っからの経営者なのだ。

「……意識を戻した香澄に『行かないで』って言われたら、その通りにするのにな。……でもそれじゃあ、香澄が何か言われるか」

 香澄に向かって微笑みかけ、「なぁ?」と返事をしない彼女に相槌を求める。

「……生きている限り、〝先〟を考えないとならないんだ。香澄は休んでいていい。そのあいだ俺がしっかり働いて、香澄を支えるから」

 自分自身に語りかけると、仕事をしたくないという気持ちも和らいできた。

「何が必要になるかな。ベッドは普通のベッドでいいんだろうか。いや、それよりも香澄を側で見てくれて、メンタルケア的にも支えてくれる専門の女性だな。可能なら雑談をして、香澄の気持ちを和らげてくれるような気さくな人がいいな。幾ら払ってもいいから、俺がいない時に香澄を支えてくれる人を……」

 考え始めると、佑の気持ちもしっかりしてきた。

「東京は今……、午前中か。丁度連絡してもいい頃合いだな」

 時差が分かるGMT表示の腕時計を見て東京の時刻を確認すると、佑はスマホで松井に連絡をした。

 少し長文になったが、事のあらましや香澄の状態を細かに説明する。
 河野が役立ってくれたので、その礼も書いた。

 近いうちに戻るので環境を整えてほしいと送ると、佑の文章を読んだタイミングで簡潔に「承知致しました」と返事があった。
 その後、帰国の目処がついたら教えてほしいと言葉が続き、香澄を案じる文章と挨拶があり連絡が終わる。

「……俺も寝るか」

 アロイスは恨んでいる相手の一人だが、彼に「何かあった時のためにまず体力だ」と言われたのは、その通りだと思っている。

 このまま香澄の寝顔を見つめていたい気持ちもあるが、イギリスではそう長く入院させてくれないので明日には退院だ。
 病院で適切な処置が終わったのなら、それもそうなのだろう。

 河野からもメッセージがあり、ランカスターのホテルを押さえたとあった。
 もちろん双子とマティアスもそこに泊まり、あとからテオも合流するそうだ。

 マルコからは別口で連絡があり、彼は孫娘の心配もあるのですぐロンドンに戻るらしい。

『お互いバタバタしているから、落ち着いた頃にまた必ず会おう。私は君の友人だ』とメッセージに書かれてあるのが、なんとも心強い。

 もちろん純粋な好意だけでなく、ビジネスの話を望まれるだろう。
 それはそれでこちらも利用させてもらうだけなので、むしろ望むところだ。

「……香澄、もう安心して眠っていいからな。君とまた話ができるのを、楽しみにしている」

 キスはできないので、彼女の前髪を掻き上げてそこに唇を押しつけた。

 ――温かい。

 しばらく香澄の頭に手を置き、触れるほどの近さで彼女の体温を感じる。

 佑はまだ悲しさを残した目で、それでも安堵した表情で彼女に微笑みかけた。



**



 翌日香澄に付けられていた様々な医療器具は取り去られ、退院となる。

「香澄?」

 ぼんやりと目を開いた香澄に向かって、佑は優しく話しかけた。
 彼女の手を握り、仰向けになったままの香澄に不器用に微笑みかける。
 懸命に笑ってみせているのだが、ポツッと涙が滴ってしまった。

 香澄は頬に落ちた水滴に瞬きをし、懸命に視界のピントを合わせているようだ。
 やがて乾いた唇が小さく名前を呼ぶ。

「……たすく…………さん……?」
「ああ、俺だよ。香澄」

 看護師がまだいるが、構わず佑は香澄にキスをした。
 相変わらず柔らかい唇を堪能し、何度も食む。舐めて、ついばんで、上唇も下唇も甘噛みする。

 力ない手が佑の腕をトントンと叩き、彼は顔を離した。

「……くるし、……よ」

 そう言って香澄は微かに笑い、佑も微笑み返す。

『ミスター・ミツルギ。退院の手続きを取っても宜しいですか?』
『はい。お世話になりました』

 夜はほとんど眠れなかったが、明るくなると河野に連絡をして病院まで車を回してもらうよう手配した。

 医療費は少し掛かってしまったが、香澄が助かった事を考えるとどうって事はない。

 佑は香澄のためなら、金で解決するタイプだ。
 金に物を言わせて香澄を楽にできるのなら、幾ら札束を積んでも構わない。
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