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第六部・社内旅行 編

人生はビスケットの缶 ★

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 けれど悔しさと痛みとで、目からは大粒の涙が零れていた。

 周囲にいた人々は修羅場を引いた目で見ていて、飯山たちが大声で言った「ガバガバ」だけ聞こえたのか、香澄をそういう目で見ている男性もいる。

 この上なく惨めで情けない気持ちになり、香澄は思いきり唇を噛みしめた。
 ブツッと皮膚が破れる感触がし、血のしょっぱい味がする。

「……旅館に戻ります」

 久住の手を借りて立ち上がり、香澄は松葉杖を使って旅館への道を戻っていく。
 行きは距離をとってくれた久住と佐野も、今ばかりはピタリと側についていた。

 ただでさえ松葉杖が目立つのに、怒ったような顔のまま涙を流す香澄を、行き交う人が興味本位の目で見る。

(これじゃあ、久住さんと佐野さんが私を泣かせたみたいに思われる。早く泣き止まないと)

 そう思うものの、腹の奥でマグマのように怒りが煮え立ち、気がおかしくなりそうだった。

 だが同時に、頭のどこかで「これが本来受けるべき罰なのだ」と納得している自分もいた。

 今までが何もかも順風満帆すぎたのだ。
 何度も何度も、「幸せすぎて怖い」と思った。

 その反動が今きているのだと思うと、どこか安心している自分もいた。

 こんな目に遭って嬉しい訳がない。

 ただ、香澄は身の丈を分かっているつもりだった。
 いい事があっても、そのあと少し悪い事があって人生は帳尻がついていると思っている。

 とてもツイている人なら別かもしれないが、自分はごく普通の一般人だ。
 佑に見初められたというだけで、一生分の運を使い切ったという自覚も常々持っていた。

 だから、〝こう〟なって当たり前だと思っている。

『カスミ、一個イイコト教えてあげる。〝うまくいきすぎてる〟と思った時は、注意した方がいいよ。必ず何かがくる』

 そう言ったのはアロイスだ。
 そして、節子もこう言っていた。

『昔読んだ本に〝人生はビスケットの缶だ〟っていう言葉があったの。どう表現していたかは忘れてしまったけど、そのフレーズだけ覚えているわ。中にあるビスケットがどんな形なのか……、幸せなのか不幸なのか分からない。それでも一人一人の人生のビスケット缶には、同じ量の幸せと不幸が入っている。……私はそんな風に解釈してるわ』

 彼らと話したのは、ドイツで入院生活を送っている時だった。

 忙しいだろうに毎日顔を見せてくれて、富豪だからこそ分かる金言を教えてくれた。

 日本からクラウザー家に嫁いだ節子だって、想像を絶する苦労があったに違いない。
 日本人がドイツの貴族に嫁ぐというだけで、猛反対する者が必ずいただろう。

 また、生まれた時からクラウザー家の御曹司である双子だって、必ずどこかに敵がいるに決まっている。
 あのような性格をしているなら、彼らに惹かれてならない人がいると同時に、毛嫌いする人もいるだろう。

 香澄はこれから節子と似た道を歩む。

 波瀾万丈な人生の幕開けが、今始まったばかりなのだ。



**



 いっぽう佑は、社員が泊まる『草津灯りの湯』の自室で社員と話していた。

 同性にも好かれる佑らしく、部屋にいるのは男女両方の社員だ。
 その平均年齢が高いだけあり、室内は若さに溢れている。

「社長~。どうせだったら赤松さんも連れてきてあげたら良かったのに」

 成瀬の声に、佑は苦笑いをする。

 まさか連れてきていて、個人的に融通のきく別の旅館にいると言えない。
 いま部屋にいる面子で渋面をする者はいないだろうが、東京オフィスの社員ほぼ全員……となれば話は違う。

「彼女は今ちょっと、病欠をしているから無理は言えないかな」

 それを、成瀬たちは香澄から直接聞いていて知っている。
 だから、分かっていて話を合わせてくれていた。

「えー? 病欠ですか? お大事にって言ってくださいね。社長秘書業は大変でしょうし、とても大切な戦力だと思いますから」

「そうだな」

 荒野に言われ、佑は頷く。
 彼女たちがこうやって香澄の事を好意的に言ってくれているからこそ、この場にいる社員たちも香澄に対して同情的になっていた。

「ていうか、もし寝込むほどじゃないなら、湯治にでも来てたら良かったのかもしれませんね」

 そういったのは、営業部にいる生島いくしまという男性社員だ。

 佑とは勿論、雇用主と被雇用者なのだが、彼と接していると弟のように感じる事が多々ある。

 明るくて単純なところもあり、佑を見るといつも好意を見せてじゃれついてくる。
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