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第三部・元彼 編

美人局

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「もし原西さんから何か言いたい事があるのなら、弁護士を通してください。私は二度とあなたに会いません。会うための時間を捻出するのも惜しいです。また、香澄はあなたの連絡先をすべてブロックしています。別のアカウントやアドレスを取得しての迷惑行為や、彼女を待ち伏せするなどのつきまといもやめてください。その時は警察にも連絡をします。また同様に秋葉さんへの迷惑行為も一切やめてください。彼女と契約しているChief Everyの社長として警告します」

 冷たい目で見下ろされ、健二は自分の足元に暗く深い闇が現れ、埋まっていく気がした。

「あなたは香澄を一度も愛そうとしなかったでしょう。彼女をアクセサリーとしてしか見ておらず、ぞんざいに扱ったら傷つくという事すら想像しなかった。そこが、人として最低だと言うのです」
「ま……、待ってください……っ、俺……」
「ああ、ここの会計はもちろん私が持ちますので、ご心配なく」

 脚にすがろうとする健二を、佑は一歩引いてかわす。

「二度と俺の女に近付くな。今はまだ、この程度で許してやる。だが『やめろ』と言った行為をするなら……、完全に社会的に抹殺する」

 掌を返したような態度を取ってから、佑は靴を履いて個室を出て行った。

「あ…………、あ……」

 健二は呆然としてから、ノロノロとスマホを取りだした。
 コネクターナウのアプリを開くと、香澄のアカウントは消えていた。
 電話帳には、以前から引き継いだまま、香澄の昔の連絡先が入っている。
 だがこれに頼ろうとすれば、確実に事態は悪化するだろう。

 思考が動かないまま、健二はその場に座り込むしかできなかった――。





「出してください」

〝終わり〟を告げようと思った辺りで、佑は小金井に連絡をしていた。
 店を出て丁度いい頃合いに車が来て、後部座席に乗り込むと溜め息をついた。

(本当にくだらない男だ。香澄の見る目が……と今さら言うのもおかしいが、どうしてあんな男と付き合ったのか)

 ドッと疲れを感じ、佑はもう一度息をつく。
 健二のような手合いは普段関わらないので、相手をしていると余計に疲れる。

(彼は香澄と同い年で、俺より五つ下。それほど大きく歳が離れている訳でもないのに、……救いようのないガキだ。香澄の方がずっと大人じゃないか)

 とめどなく文句が溢れてきそうになるが、これ以上関わらない相手の事をずっと考えるのは時間の無駄だ。
 ピタッと思考を止め、気持ちを切り替えてスマホでとある人物に電話を掛けた。
 数回コール音が鳴ったあと、『もしもし』と女性の声がする。

「もしもし、秋葉さんですか? 御劔です」
『あっ、社長~!』

 先ほど話題に出たモデルが、明るい調子で電話に応じた。

「原西さんの件、片が付きました。ご協力ありがとうございます」
『お疲れです~! もう綺麗さっぱりです?』
「お陰様で」

『じゃあ、報酬はお伝えした口座にお願いします』
「分かりました。くれぐれも、内密にお願いします」
『分かってますよぉ。元・プロなんですから、そこは信頼してください』
「今回は本当に助かりました。今後、困った事があったら何でも言ってください」
『はーい』

 そのようにして、電話は切れた。

 現在〝秋葉〟という名前でモデル業をしている彼女を知ったのは、〝別れさせ屋〟として彼女にターゲットにされたのがきっかけだった。

 過去に褒められない付き合いをしていた中で、とても嫉妬深い彼女と交際をしていた時期があった。
 佑はもちろん、浮気をするタイプではない。
 だが嫉妬深い彼女と付き合っていた当時、仕事の関係で時々食事をしていた他の女性との間に、秋葉が送られてきたのだ。
 疑われた女性とは付き合ってもいなかったのだが、仕事相手は秋葉を恐れて佑に近付かなくなってしまった。

 困り果てて秋葉を捕まえ、じっくり話を聞けば、当時付き合っていた彼女が嫉妬して、別れさせ屋の秋葉を雇ったとの事だ。
 そこまでする彼女に呆れたのとは別の話で、秋葉を見てとてもスタイルが良く、理想的なマネキンになりそうだと思ったのは商売人ゆえだ。

『今の仕事をやめて、俺が紹介する事務所で働かないか?』

 当時、二十歳そこそこだった秋葉は、自分の進路や仕事先に困っていたのが本音だった。
 ターゲットだった佑に逆にスカウトされ、それからまじめにモデル業をして、現在は一定のポジションを得ている。
 別れさせ屋をやっていた精神的タフさがあるからこそ、モデルという嫉妬や蹴落としなどもある業界で、図太くやっていけたのだろう。

 だがモデルになって少ししてから、その仕事で長く生きていきたいと思ったからか、秋葉は佑に何回も「別れさせ屋をやっていた事は秘密にしてほしい」と言ってきた。
 スカウトしたのは佑だし、勿論言いふらすつもりはない。
 その上で、秋葉はもし自分が協力できる〝何か〟があった時は、いつでも言ってほしいと言っていた。

 しばらく忘れていた申し出だったが、今回はハニトラのために依頼を申し込んだのだ。
 健二とベッドにいる証拠写真があったが、秋葉の事なので本当にセックスをしてはいないと思っている。
 彼女もそういう事には慣れているらしく、秋葉が主導権を握って男に目隠しをし、セックスをしているように見せかけて実は素股だった……という手をよく使っていたらしい。
「原西健二が不利になる状況を作ってほしい」とは言ったが、正直あそこまでするとは思っていなかった。

 だが逆に言えば、そこまで自分の依頼に応えてくれようとしたのだろう。
 加えて「役に立てるならいつでも〝仕事〟をする」と言ってくれ、佑にはいっさい責任を求めないと約束している。

(こうなる事を見越した訳じゃないけど、恩を売れる時に売っておけば、こうやっていつかはリターンがくる訳だ)

 今回の事を秋葉に頼む時、念のため顧問弁護士に頼んで契約書を作ってもらった。
 彼女から証拠となる音声や画像データが送られていて、あとはお互い何も干渉しないという約束になっている。

(あとは少し多めの報酬を口座に振り込むのみ)

 一仕事終えた、というように息をつき、佑はコネクターナウで香澄にメッセージを送った。

『これから帰るよ』

 トークルームを見ていると、パッと既読がつき、キャラクターが「おつかれさまです」とビールジョッキを掲げているスタンプが送られてきた。

『気を付けて帰ってね!』

 車で帰るというのに、こうして気に掛けてくれるのが嬉しい。

『ほしいお土産はある?』
『実になっちゃうから今夜は遠慮しとく! でもありがとう!』

 気にする体型ではないのに、こういうところが女子らしくて可愛い。

『じゃあ、自撮り送って』

 自分でも何が「じゃあ」なのか分からないが、今は一刻も早く香澄とイチャイチャしたかった。
 少し間があったあと、『じゃあ、ってなに?』と突っ込みが入る。

(やっぱりか)

 思わず笑いながら、『どうしても』と駄々をこねる。
 すると、ほどなくして香澄の自撮り画像が本当に送られて来た。
 先日、「自撮りする時って、ちょっと上からのアングルにすると、小顔に見えるんだって」と言っていたからか、さっそく上から撮っている。

(お)

 上から撮ったからか、もう少し覗けばTシャツの中身が見えそうだ。
 思わず口を開け、鼻の下を伸ばして覗こうとしている自分に気づき、佑は横を向いて笑い始めた。

(こんな反応をするのも初めてだな)

 自分の新たな面を見つけ、佑は面映ゆそうに笑う。
 今まで大勢の女性と付き合いはしても、自撮りをもらってこんなにニヤニヤする事はなかった。
 メッセージも過去の彼女には「業務連絡」と言われた事があり、相手からのメッセージを心待ちにしていた事などなかった。
 恋愛は、数よりも質なのだと香澄に恋をして初めて分かった。

(早く会いたいな)

 車を使えばすぐの距離なのに、帰宅するのが楽しみでならなかった。

(それからもう一つ、香澄には確認しないとならない事がある)

 とある物を脳裏に思い浮かべ、佑は静かに息をついた。





 暇なので、夕食後に爪を磨いていた香澄は、フェリシアが『佑さんが帰宅されました』と告げるのを聞いて立ち上がった。
 フェリシアは玄関でのセンサーや音声での挨拶だけでなく、車のリモコンで御劔邸のゲートが開いた時点で、家の中にいる者に知らせてくれる機能があった。

「お帰りなさい!」

 玄関のドアが開き、香澄は張り切って声を掛ける。

「ただいま」

 佑が言うのとほぼ同時に、玄関に置いてあるフェリシアが「おかえりなさい、佑さん」と言った。

「よし! フェリシアに勝った!」

 ガッツポーズを取る香澄を見て、佑は「なんだ、そんな事か」と笑い出す。

「ん? 裸足、冷たくないのか?」

 靴を脱いだ佑は、香澄の足元を見て尋ねてくる。
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