上 下
82 / 1,548
第三部・元彼 編

健二の思い出1

しおりを挟む
 まだその部屋には行った事がないのだが、もしいつか偽装の家として誰かに紹介する必要が出てきたら困る。

(そのうち、マンションに行ってみて内装とか整えて、ある程度〝住んでる〟感は出せるようにした方がいいのかな)

 考えているうちに午後になり、香澄は気持ちを切り替えて仕事に戻った。

**

 そうこうしているうちに、健二と会う土曜日になった。

「じゃあ、行ってきます」

 香澄は佑のコーディネート監修を受け、グレンチェックのワイドパンツにケーブル編みのベージュのニット、その上にコートを羽織って玄関に立つ。
 佑いわく「デートコーデではあるものの、男目線からあまりいやらしい気持ちにならない物をセレクトした」らしい。
 ニットワンピースや、縦リブニットの体にフィットしたセーターなどは、徹底的に避けたようだ。

「昼間とはいえ、二人きりだから気を付けて。久住と佐野も同行させるけど、護衛だと分からないような距離感を持たせるから、そこは安心して」
「うん」

 佑の顔を見て深呼吸し、香澄はニコッと笑ってみせた。

「じゃあ、行ってきます」
「いってらっしゃい」

 香澄は佑に手を振り、玄関を出た。
 さすがに今回ばかりは運転手つきの車で行く訳にいかず、交通機関を使う。

 健二に指定されたのは六本木だった。
 先日届いたメッセージでは、ランチをとってから映画を見て、少し商業施設をブラついてからディナーらしい。
 南北線に乗って移動し、少し迷いながら歩いて、何とか待ち合わせ場所に着いた。
 待ち合わせは十一時だったが、外で立って待っていると健二からメッセージが入った。

『ごめん、寝坊した。ちょっと遅れる』
「はぁ……」

 思わず香澄は溜め息をつく。

(この、時間にルーズなところ、変わってないな)

 つい、嫌な思い出が蘇った。

 健二と付き合っていた頃、冬の寒い時に香澄は三時間待ちぼうけをくらった。
 札幌での事なので、もちろん外で待ってはいない。
 ただ、彼が来てすぐに落ち合えるよう、札幌駅近くの店舗をブラブラしていた。
 当時は大学生で、今のように「じゃあ待ち時間にコーヒーでも飲もう」とはならない。
 大学生にとってコーヒー一杯の金は、アルバイトをしていても勿体ないのだ。
 三時間近く、香澄は手洗いに行く以外ずっと店舗の中をブラブラ歩いて待っていた。
 けれど結局、健二は来なかったのだ。

『待ってるんだけど』と何回連絡をしただろう。
 何回もメッセージを送り、三時間経った頃になって『ごめん、忘れてた。今日は無理』と返事があった。
 その場に座り込みたくなるほどの脱力感を覚え、香澄は彼女としての自分の存在意義を疑った。
 大事にされていないな、と痛感したのだ。

『じゃあ、近くにサンアドバンスあるから、そこでコーヒー飲んで待ってるね』

 交差点の向こうに見慣れたコーヒーショップの看板が見えたので、健二にそう伝えておく。

(映画は十四時台ぐらいって言ってたから、多少ランチが遅くなる時間まで遅刻されても、大丈夫かな。チケットはネット予約したって言ってたから、お金が無駄になるような事はしないだろうし、さすがにドタキャンはされないでしょ)

 大きめの溜め息をつき、香澄は交差点を渡ってコーヒーショップに入った。
 季節限定の甘いコーヒーシェイクは売り切れていて、レギュラーメニューの物を頼む。
 席に座ってストローを咥え、いつもなら笑顔になる甘みを飲んでも、今日は浮かない顔になる。

 芋づる式に思い出される記憶が、香澄を苛んでいた。

**

「赤松さんさ、俺と付き合わない?」

 大学の学食で麻衣と雑談していた時、急にやって来て告白してきたのが原西健二だった。
 彼は大学一年で同じクラスになり、オリエンテーションで少し話をした人だ。
 健二については、それぐらいの認識だ。
 大学の〝クラス〟と言っても基本的にそれぞれ履修する講義が違えば、別行動になる。
 クラス単位で纏まって行動する事もないので、あってないようなものだ。
 だから彼にいきなり告白されても、「あれ、見た事ある人だな」と思ったぐらいだった。

「え……と、どうして……」

 香澄も麻衣も、突然の事で鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。

「何かの罰ゲーム?」

 疑い深い麻衣は、周囲を慎重に見回した。

「違うよ。オリエンテーションの時から『いいな』って思ってたから、付き合いたくて」

 香澄はキョトンとしたまま麻衣を見る。
 麻衣とは高校時代からの付き合いで、一緒にグループデートをした事もあった。
 助けを求める意味で彼女を見たのだが、さすがに麻衣もどう判断したらいいか分からない表情だ。

「それとも、好きな人いる? 彼氏とか」
「い、いない……けど」
「じゃあ付き合ってよ。付き合ってみて嫌なら別れていいから」
「……うん。分かった。でも、本当に遊びとかふざけての告白なら、すぐに撤回させてもらうからね?」
「分かった。ありがとう」

 そのようにして、香澄は健二と付き合うようになった。

 付き合うと言っても、学生の本業は学ぶ事だ。
 香澄は西区の出身で、健二は清田区の出身だ。
 大学は豊平区にあり、周囲は住宅街に囲まれ、近くに霊園やドームがある。
 香澄は札幌の中心部を通って大学に通う形だが、健二は自宅に近い場所に大学がある。
 お互い自宅が反対なので、登下校が一緒になる事はなかった。

 なので休日のデートは遊ぶ先となる札幌駅付近で待ち合わせをし、遊んでから現地解散という感じだ。
 最初のうちは、健二は香澄という彼女ができて友人たちに自慢してくれたように見えた。
 けれどすぐに、違和感に気付く。

「あれ、健二、彼女できたの?」
「香澄って言うんだ。胸でかいだろ」

 健二の反応は、大体いつもそんな感じだった。
 確かにその頃には香澄はすでにEカップあり、体型の割に胸が目立っていた。

(『可愛いだろ』って言ってほしかったな)

 当時、もちろん彼の言葉に反感を覚えたが、自分は「可愛い」と言われるほどの器量を持っていないのだと痛感するようになっていた。
 周りを見ればもっと可愛い人が大勢いて、その中に香澄が混じっても、せいぜい良くて「普通」で終わる。
 だから自分の容姿に過度な期待はしていなかったのだが、健二が香澄の胸を強調するたびに、「私の取り柄って胸しかないのかな」と思うようになっていった。
 そのようにして、香澄の自尊心はジリジリと削られていったのだと思う。
 やがて、香澄は〝どうやったら健二に理想の彼女と思われるか〟を異様に気にしだした。

「香澄ってさ、着てる服がいまいちパッとしないよな。周りの子、もっと服装に気を遣ってるだろ」
「うん……ごめん。でも可愛い服って高いし」

 当時の香澄は、まだアルバイトをしていなかった。
 両親に「学ぶのが本業なんだから、バイトにかまけて学業がおろそかになるようなら、最初からするんじゃない。するなら長期休みの時にしなさい」と言われていた。

「そう言うならバイトしたら? 俺だって深夜のコンビニバイトしてるし、やる気があればできるだろ。そうしたらデートだってもうちょっと楽しい事できるし」
「……そうだね」

 そのようにして、香澄もアルバイトを始めた。
 働いたのは、健二に勧められ「時給がいいから」という事ですすきのの居酒屋だ。

 それが、八谷グループとの出会いだった。
 すすきの交差点から少し歩いた場所にあるビルの最上階に、『月見茶屋』がある。
 そこで、くのいちのような制服を着て、オーダーを聞いたり運んだりして働いた。
 生まれて始めて働いた場所なので思い入れが強く、当時の店長の言葉が胸に響いた。

「アルバイトでも、お金をもらう以上はプロです。プロとしての意識を持って働いてください」

 そう言われるとピッと身が引き締まった思いになり、楽しく飲むために来店している客のため、頑張って働こうと思った。
 アルバイトで稼いだ金で健二とのデート代や、自分の服やアクセサリーなどにも気を遣いだした。
 彼が求めた事をこなしたので、きっとこれで満足してくれると思いきや、健二の言動がまた気になる。

「ごめん、今日財布忘れたわ」

 言われて、香澄が食事代を支払う事もたびたびあった。

「夏休みに免許取るから、いま金がいるんだ。車は叔父さんの中古もらう予定だから、乗れるようになったらドライブ連れてってやるよ」
「うん、楽しみにしてるね」

 仕方のない事なんだと自分に言い聞かせ、香澄は健二の言う事をすべてきいた。
しおりを挟む
感想 555

あなたにおすすめの小説

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

ハイスペック上司からのドSな溺愛

鳴宮鶉子
恋愛
ハイスペック上司からのドSな溺愛

『逃れられない淫らな三角関係』番外編 ヘルプラインを活用せよ!

臣桜
恋愛
『逃れられない淫らな三角関係』の番外編です。 やりとりのある特定の読者さまに向けた番外編(小冊子)です。 他にも色々あるのですが、差し障りのなさそうなものなので公開します。 (他の番外編は、リアルブランド名とかを出してしまっている配慮していないものなので、ここに載せるかは検討中)

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

ドSな彼からの溺愛は蜜の味

鳴宮鶉子
恋愛
ドSな彼からの溺愛は蜜の味

地味女で喪女でもよく濡れる。~俺様海運王に開発されました~

あこや(亜胡夜カイ)
恋愛
新米学芸員の工藤貴奈(くどうあてな)は、自他ともに認める地味女で喪女だが、素敵な思い出がある。卒業旅行で訪れたギリシャで出会った美麗な男とのワンナイトラブだ。文字通り「ワンナイト」のつもりだったのに、なぜか貴奈に執着した男は日本へやってきた。貴奈が所属する博物館を含むグループ企業を丸ごと買収、CEOとして乗り込んできたのだ。「お前は俺が開発する」と宣言して、貴奈を学芸員兼秘書として側に置くという。彼氏いない歴=年齢、好きな相手は壁画の住人、「だったはず」の貴奈は、昼も夜も彼の執着に翻弄され、やがて体が応えるように……

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

ナイトプールで熱い夜

狭山雪菜
恋愛
萌香は、27歳のバリバリのキャリアウーマン。大学からの親友美波に誘われて、未成年者不可のナイトプールへと行くと、親友がナンパされていた。ナンパ男と居たもう1人の無口な男は、何故か私の側から離れなくて…? この作品は、「小説家になろう」にも掲載しております。

処理中です...